7月31日(日)の放送では日本医師会の松本吉郎会長に「医学部」を目指した理由について
伺いました。
自見 子供の頃、憧れていた職業は?
松本 4、5歳の頃、対馬海峡の対馬に2年間いました。
福岡から船で渡るんですが、その船のボーイさんに憧れていました。
すごくかっこよかったです。
中学生ぐらいになると、外交の仕事に憧れました。
そして高校1、2年の頃は、大学の数学科に行こうかなあという気持ちに
なりました。
自見 医学部というのは、いつから?
松本 高校2年生の頃です。叔父が医者をやっていまして。
中学生の頃から、医療の道を志すように勧められていました。
「医師は世の中のため、国民のために、やりがいのある仕事だ」
と言われ続けて。
親戚など身近な人の影響ってあるものだなと感じました。
自見 昭和49年(1974年)
静岡県の浜松医科大学の1期生として入学されました。
当時としては珍しい「形成外科」を学ばれました。
「形成外科」を選ばれたきっかけ、お聞かせください。
松本 学生の時にスライドなどを見せてもらって。
医師って、こういう仕事が出来るんだなと。
怪我の方とか、ハンディキャップを背負った方とか、
あるいは癌などで苦しんでいる方を、
元に戻す、再建するということに興味を持ちました。
自見 「形成外科」は「整形外科」とは違っていて。
形成外科は皮膚科の先生なんですが、乳癌で片方の乳房を再建するとか、
赤ちゃんが産まれた時に、口唇口蓋裂と言って
唇と唇が離れている時があるんですけど、綺麗に縫ってくれるんです。
形成外科って、確かに新しい外科の分野ですよね。
その後、恩師の山田瑞穂教授から
「将来を考え、もっと視野を広く持つべきだ」と勧められ、
「皮膚科の専門医」の資格も取得されたそうですね。
松本 実際に仕事をしてみて山田先生の予見力って素晴らしいなと、思いました。
山田先生から言われたことが自分の身にも起きました。
山田先生には、大変感謝しています。