2月21日(日)の放送では教育評論家の親野智可等さんをお迎えして子供の頃のお話をお伺いしました。
淵澤 親野智可等(おやの ちから)さん╱本名は杉山桂一さん。
1958年、静岡県のご出身。小学校の教員を23年間務めた後、
講演や執筆活動を本格的にスタート。ホームページで情報発信し、
メールマガジンの読者数は4万5000人を超えています。
また勉強が苦手な高校生が東大を目指す人気漫画「ドラゴン桜」の
指南役としても知られています。
自見 子供の頃はどんな場所で遊ばれてたんですか?
親野 田んぼはいっぱいありましたので、
そこでサッカーやったり野球やったり。気づいたら夕方でした。
自見 子供の頃、なりたかった職業は?
親野 一生懸命思い出そうとしているんですが、あまりなかったですね。
将来のことを考えるとか、そういう感じではなかった。
いまでもそうなんですが、ボーとするのが好きで(笑)
二人 (笑)
自見 お母様ってどんな方だったんですか?
親野 ガミガミ叱ることはなく、優しかったですね。
愛情は常に感じていました。
自見 大学で東京に下宿した際、お母様からの毎月の仕送りの荷物に
「体は大丈夫か」などと気遣う長い手紙が必ず添えてあったそうです
ね。
親野 うれしかったですね。色々なことが書いてあって。
手書きの手紙ってありがたいなって。特に離れて住んでいると。
自見 そして23年間、小学校の先生をされていたということですけど。
教師としての理想が高すぎて、空回りしてしまったそうですね。
親野 「こういう教育をしたい」とかね。
理想が高すぎると、ようするに叱ることが増えちゃうんですよね。
「他のクラスは、もっと頑張ってるよ」とか。
「あんたたちのために言ってるんだよ」とかね。
自見 そんな時にお母様の教育方法を思い出されたそうですね。
親野 おふくろは感情的に叱るということがなかったんです。
ひとつのお手本という感じですかね。
自見 この番組では子供の頃、出会った1冊の本についてお伺いしています
子供の頃、出会って影響を受けた1冊、お聞かせください。
親野 野口英世の伝記ですね。感動して何回も読みました。
スゴイ努力家ですよね。