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水谷隼選手がプレイ中もずっと大事にしている言葉

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ゲストは、
東京オリンピックの卓球混合ダブルスで金メダルを獲得された
水谷隼選手です!




水谷隼選手のプロフィール】

水谷選手は、1989年生まれ。静岡県磐田市のご出身。
5歳から卓球をはじめ、青森山田高校2年の時には、
当時史上最年少で全日本選手権を制覇。
明治大学1年の2008年、北京オリンピック出場。
ロンドン、リオデジャネイロ、東京と4大会連続で出場。
リオ大会では、日本卓球界初のシングルス銅メダル、
男子では初となる団体銀メダル獲得。
今年の東京オリンピックでは、混合ダブルスで、
伊藤美誠選手とのペアを組み、日本勢初となる金メダルを獲得、
男子団体では銅メダルを獲得

 



ドイツ戦は諦めることは一瞬もなかった?

2対9になった時に、自分も卓球経験長いですから。
本当に試合が決まったような。
逆転できる点数差じゃなかったので、
心の中では、もう本当に終わったかなっていう気持ちがありましたね。
でも最後の一本まで諦めちゃいけない。
心の中では難しいなってもちろん感じたんですけど、
伊藤選手を励ましながら、一本ずつ点数を取り行こうという気持ちでした。
だから思ってることと、
言ってることはちょっとずれてたかもしれないですね。

 

-どこで行けると感じた?

いけると感じたのは10対10ですね。
追いついて初めて余裕ができたっていうのはあります。
やっぱりちょっと勝ったら奇跡だなみたいなのが心のどこかで。
10対11になった時は、ここまで来たのに最後は負けんのかよみたいな。
一番悔しい負け方っていうか。それは考えましたね。
ここまで来たら勝たなきゃいけないって言うか。
1点取ったり取られたりするごとに、感情の変化が激しかったです。
卓球っていうのは心理的にもすごく重要な競技なので、
ちょっとでも自分が不安そうな顔とかしてると、
相手選手は不安そうだから弱気に来るんじゃないかな、
みたいに勘繰られてしまうので、
表情はできるだけ冷静に装う必要があります。

 

-リオのタカマツペアが
「バドミントンはじゃんけんみたいなものだ」と話してました。卓球も似ている?

卓球は、一本とるのって本当に野球とかサッカーみたいに重くないと言うか。
ちょっとしたミスだったり、例えば攻撃してても点数取れないもあるんで。
2対9から相手が2本とる間に自分達は9点取らなきゃいけないですから。
やっぱり諦めますよね。
例えばまあ相手と自分がいても確率って50%じゃないですか。
7回連続でマッチポイント凌いだんですけど、
7回連続で1/2を制する確率って約0.3%ぐらいなんですよ。
1000回に3回ぐらいしかできないので。

 

-ドイツペアはしぶとかった

あの時は一本こっちが取ると、
流れを渡さないために、タオルとか汗をふいたり
相手もすごく緻密に計算してるなーってのは感じたので。
一本一本がすごく重かったですね。
最後10対10に追いついてからも、
そこから3回ほどマッチポイントを取られたので、
相手も必死ですから、
こっちも負けないぞっていう強い気持ちはずっと持ってましたね。

 

-組み合わせは?

組み合わせ的な一番厳しかったです。
準々決勝であたるであろう対戦相手の中で一番強いペアでした。
今回の組み合わせなんですけど、
一回戦のオーストリアも一番その時点で厳しかったんですよ。
準々決勝も一番厳しくて準決勝も世界ランキング一位で厳しくて。
なので名だたるペアを破っての優勝になりますね。

 

-決勝よりも準々決勝の方が喜びは大きかった?

そうですね特に伊藤選手はもう涙流してね、
放心状態になってたんで。

 

-これで燃え尽きることはなかった?

メダルが確定しなかったってのが、
お互い大きかったかもしれないですね。
準々決勝であの厳しい試合、
あれが準決勝だったら中国ペアに敗れたかもしれないですけど。
準々決勝でまだメダルも獲得していない、
準決勝が夜にある。
台湾とは今までに2勝0敗で負けたことないってなると、
厳しい試合を乗り越えた後に
簡単に負けるということは考えてなかったですね。

 

 

リクエスト曲は?

 夜に駆ける / YOASOBI  

 

YOASOBIさんの曲をオリンピックの期間中に、聞いていて。
今までバラードしか聞いてこなかったんです。
リラックスした状態で集中して試合に臨むっていうことが多かったんですけど。
なんかYOASOBIさんの曲を聞いてからは
あんまりバラードにとらわれず、
色んなジャンルを聴きながら試合に入るようになりました。
ちょっと新たな自分を発見しましたね。

 


そんな水谷隼選手に金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!

『金子の深堀り!』


決勝はどんな気持ちで最初のゲーム迎えられたんですか。

今回の決勝で対戦した相手(中国)は、一度も勝ったことないんですけど、
毎回すごい接戦になるんですよね。
決して届かない相手じゃなかった。ほんとにちょっとしたこと。
自分が勇気を持ってプレーが一本あれば
勝ってたような試合が多かったので。
無理しないでいこうみたいな。

 

-試合が始まって調子は?

伊藤選手がびっくりするくらい調子が悪かったんですよ。
僕たちのダブルスって伊藤選手がキーマンなんで。
彼女が攻めていれば勝てるし、彼女が弱気になったりとかしたら、
やっぱり苦しい戦いになるし。
最初はいつも通りこう彼女に任せるような。
無理しないでいってたんですけど。
彼女がミスがすごく多くて。僕もこの後どうしようかなっていう。
自分が攻めてもなかなか点とれないし。
彼女に託しても入らないし。
どうしようかなーって思ってる間にもう0対2になってましたね。
僕もほとんど試合に参加してないような状況だったんですよね。

 

-流れが変わったのは?

3ゲーム目、僕達が調子良かったっていうよりも、
やっと自分たちの戦いがスタートしたというのが3ゲームでしたね。

 

-2対2で迎えた第5ゲーム。
9対8の場面でタイムアウトを取りましたよね?

 

サービスが伊藤選手だったんですよ。僕が3球目なので。
僕の3球目が何より重要だなと思ってたので。
この一本が試合の命運を分けるっていう認識はありました。
5ゲーム目を取られたら絶望的だなって。
逆に3対2になればまだ自分たちにチャンスはあるかなって。

 

-0対2よりも2対3の方が絶望的?

やっぱり中国選手に3ゲーム取られたらもう厳しいかなと。
今までの経験上。
余裕を持った中国選手ほど無敵なものはないですから。
追い込んでプレッシャーを与えなきゃ絶対に勝てない相手なんで。
実力的にはやっぱり相手が上なので。
精神的に追い込んで本来のプレーをさせないのが
僕たちにチャンスですね。

 

-結局第7ゲームまでもつれこみました。

やっぱり底力を感じましたね。
どんだけ試合しても1ゲームで最後に勝敗が天と地に分かれちゃうんで。
最終ゲームほど戦いたくない時はないですね。
今まで、卓球やってきて。
リオのオリンピックの決勝も経験したんですけど、
金メダルまであと一歩となった時の緊張感というか興奮というか。
一生この先経験できないかもしれないですね。

 

-オリンピックの金メダルは初めてですね?

初めてですね。それこそなんか優勝する大会って、
全日本選手権もそうなんですけど、
相手が格下の場合が多いんですね。
格上に対して決勝でマッチポイント取る事ってあんまりないんで。
そこで弱気になったら駄目だと思うし、
本当に自分が勝てるの?っていう弱気の部分もあるし、
色んな感情が入り乱れて。
ミックスダブルスだったんで、
伊藤選手頼む!っていうのが強かったですね。
僕は緊張が強すぎてあまり役に立たなかったですね。

 

-最後の方は伊藤選手は絶不調から抜け出していた。

完全に抜け出してましたね。笑顔ばっかりで。
ちょっと不気味に笑ってるんですよ。
ぶつぶつ言いながら笑ってて。
なんでこんな場面で笑えるんだろうって。

 

-最後の1ポイントはいかがでしたか?

その試合で唯一出したロングサーブ。
ドイツ戦も最後の一本も伊藤選手のロングサービス。

 

-どんな意図があるんですか?

僕に回すなって言う。
何もできないから、
伊藤選手にも決めさせようと思って。
一番やっぱりそのサービスで点数取れるやつを出しました。
出して一本目で勝負が決まりました。

 

-その時の感情は?

茫然自失ですね。驚きが強いかもしれないですね。
ありえない。今が現実なのかっていうそんな状態でした。

 


そんな水谷隼選手が今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?

『感謝』

 

これは自分が卓球始めた時から、
この感謝という言葉はすごく大事にしていて。
生前祖父が自分に対して「絶対に感謝の気持ちを忘れてはいけない」
「いろんな人に支えられてるから周りの人への感謝は忘れちゃいけない」
って事あるごとに言ってたんですよね。
周りに感謝しよう、卓球できることに感謝しようっていうのを
ずっと思いながらプレイしています。
その時80歳ぐらいで、人生すごい長く経験をしていて、
どんな人に対しても丁寧に接する人で。
例えば、全日本選手権とかで優勝して、家に帰った時に、
おめでとうとかっていうのも感謝が先にこう言われるんですね。
色んな人に感謝しなさいとか。

 

-若い頃は感謝という言葉をスルーしがちですよね。

若い頃ってあんまり認識がないというか。
感謝って言っても、ドイツに行って自分の力で頑張ってきた、
みたいな認識なんですけど、でもだんだん年齢を重ねていくと、
いろんな人の支えがあって、
自分一人で乗り切られなかった壁もたくさんあったので。
どんな時でもやはり初心に帰って感謝の気持ちを忘れずにプレーしています。

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