ゲストは、
アテネオリンピックの体操男子団体金メダリスト
冨田洋之さんです!
【冨田洋之さんのプロフィール】
冨田さんは、1980年生まれ。大阪府出身。
8歳から体操を始め、京都の洛南高校時代は、
高校選抜優勝、インターハイ2連覇、全日本ジュニア優勝の3冠を達成。
順天堂大学時代も全日本学生選手権3連覇、全日本選手権2連覇の他、
NHK杯優勝などの数々の好成績を残した。
2004年アテネオリンピックでは、日本のエースとして出場。
最終種目の鉄棒では最終演技者を務め、完璧な着地を決め、
その姿は、「栄光への架け橋だ!」の名実況とともに
多くの人の記憶に刻まれている。
アテネ大会で日本は、28年ぶりとなる団体総合の金メダルを獲得。
さらに、冨田さんは、種目別の平行棒で銀メダルを獲得。
2008年の北京オリンピックでは、
団体総合銀メダルに貢献、その後引退。
現在は、母校の順天堂大学でコーチを務め、
東京オリンピックで、体操男子個人総合と鉄棒で金メダル、
団体では銀に輝いた、橋本大輝選手を育て上げた。
–教え子の橋本大輝選手の活躍は予想通り?
まぁ予想以上の活躍をしてくれましたね。
力は徐々に徐々にレベルアップしていって、試合前の練習の中でも、
どれぐらい点数出るかなっていうところの練習があるんですけど、
そこでも優勝ラインになるかなあぐらいの点数は取れていたので、
どんどん期待値が高くなっていったっていう感じで。
そのまま東京のオリンピックでも披露してくれたなという印象ですね。
-予想をいい意味で裏切った部分とは?
オリンピックが初出場だったので、比較的予選会でも、
ここだっていうところですごく緊張をしたりとか、
ちょっとネガティブになったりっていう部分もあったんで。
それがどういう風に影響するかなー
っていうのは少し心配してたんですけど、
予選会でそういうことを乗り越えたからか、
オリンピックっていう雰囲気で、
しかも調子がいいっていうところで何とか乗り切れたのかは
ちょっと定かではないですけど。
何の心配もないぐらいも晴れ晴れとした姿で披露してたので。
見ているこっちが安心したぐらいでしたね。
全然失敗しそうにないなっていう雰囲気がありましたね。
-大会前に体操について注目されていたのは内村選手だった。
失敗箇所が特にまさかっていうところだったので
離れ技もしっかりと完璧にこなしてからの、小技っていうか。
あまり失敗するケースが少ない技で。まさかっていう失敗だった。
私も喪失感がありましたし、内村っていうブランドは
世界中が注目している存在ですし。
国際体操連盟も、久々に内村が世界の舞台に出てきてくれたっていうところで、
すごい期待感の中で全世界が注目している中でああいう失敗だった。
みんな終わってから「内村はどうしたんだ」っていう言葉は
いろんな国の選手とか審判とか体操連盟の人とか。
それだけ注目されている存在ですし、
あの失敗はまさかっていうような。
喪失感を世界中が持ってたような感じでしたね。
-「内村はどうしたんだ」とかけられた声に富田さんは?
その前にも本人からどうだったのか?って聞く機会があったんで。
「自分自身も分からない」「どうなったのかわからない」って言ってたので。
内村が言うには「こういったことがあるのがオリンピックだ」
っていう言葉があったんで。
色んな修羅場を乗り越えてきた選手だからこそ、
どうしても苦い思いとか、何が起こるかわからないっていうのが
オリンピックっていうのは言ってましたね。
-ちなみにあの瞬間、団体戦がどうなると思われましたか?
次の種目の「床」がキーポイントになるなっていうのがあって。
まぁその内村が失敗したっていうところがあって。
どういうふうにチームが転がっていくかなっていうところが、
次の種目の床で一つ出てくるだろうなという風に思っていて。
ガタガタと崩れる怖さが少し予感としてあったんですけど。
そういうところもなんなくこなしてくれたんで、
立派に成長してるのかなっていう。
そこでも成長を感じられたところはありますね。
予選で次の種目だったんで、床でボロボロいってしまうと、
次が不安定な「あん馬」だったんで。
より緊張してるんでその負の連鎖が続かないように、
床でなんとか自分のペースに持ち込んでもらいたいなという思いもありましたね。
-決勝は衝撃のシーンはなかった印象
最初から最後まで大きなミスなく全選手がこなしてくれたので、
決勝に関しては、
もう出し尽くしたっていう達成感があったなぁと思いますね。
リクエスト曲は?
栄光の架橋 / ゆず
-冨田さんは演技中に聴いてないと思いますが、なぜこの曲を?
やっぱり終わってから、
いろんなテレビであの名場面を放送してくれてますし。
「栄光の架橋」が流れたら、
「冨田の曲だ」っていうくらい皆さんも言ってくれたり。
あの映像と実況と音楽っていうところがすごくマッチして。
すごく印象的ですね。
-自分の身体の感覚に残っている記憶と
映像で見る記憶ってズレてる場合がありますが?
もう一致してましたね。
あの実況を初めて聞いた時はもう鳥肌立ちましたね。
そんな冨田洋之さんに金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』
–アテネオリンピックと世界選手権は、体操選手にとってどう違う?
もちろん体操競技って世界選手権だろうと、国内の大会であろうと、
オリンピックであろうと自分のやる演技って変わらないんですけど、
重圧ってなると、本当に最終種目の鉄棒の演技なんかは比べものにならない。
自分だけの責任にならない、失敗したら国内の期待していることとか、
チームメイトも裏切るような形になるんで。
もうそれは比べ物にならない。
今まで味わった事ないぐらい緊張がありましたけど。
-28年間、遠ざかってた金メダル。銀でも十分賞賛される結果だったと思うが?
みんなチーム一丸となって、金に向かってって言う所だったので、
それがもう目の前に来ているというところになると、
やっぱ重圧はすごいですね。
-鉄棒にぶら下がった瞬間平常心である自分を感じた?
そうですね。前の選手の演技を見ている時ってのが一番緊張していて。
こんな状態じゃ、とてもじゃないけど演技ができないぐらいな体の状態でしたね。
途中で見るのをやめて、自分に集中しました。
自分にそういうシチュエーションが来るだろうなっていうことも踏まえて、
練習に取り組んでたし。その対処をどうやってしようかっていうのを
日頃の練習からこういう場合はこうしようとかっていうのを
いろんなシチュエーションの中で自分で決めて
練習に取り組んでたりとかしてたんで。
やるべきことは全てやったんだと言えるぐらい準備したので。
そこはある意味良い開き直りっていうところはあったなと思います。
-でも一回多く回っちゃった?
そうですね。それはコールマンっていう離れ技の瞬間に
会場全体が「ドーン!」っていう感じになって。
それを自分で演技しながら鳥肌が立ったんですよ。
こんな瞬間って今後一生味わえないだろうなと思って。
オリンピックの最終演技者で、金がかかっている演技。
全世界が注目している演技っていうのは、もう今後ないだろうなと思って。
こんな中で演技できてる自分って幸せだなぁとか思いながら演技をして。
この時間を少しでも長くしたいなと思いながら演技をしてたんで、
ちょっと一周多く回してみようかなとか思ったりしてましたね。
-着地はどの辺りで大丈夫だと思うもの?
離した瞬間に分かるんで。
その離した瞬間の感覚で、空中の中で少し微調整をして着地に入るんですけど。
あの時は少しずれた感じがあって。
もう少し回転を加えたかったところが、少し手が離れるのが早くて、
回転がちょっと足りないようなところがあったんで。
失敗まではいかないですけど、ちょっとずれた。
ベストではないくらいです。
それをまひねりを加えながら、
もう回転力を加えるような動きをして着地に持って行ったっていう感じですね。
ちょっと理想とは違うんですけど、
上体が下がったような着地になるので、
あそこは観客の皆さんとかその場の雰囲気の力でまとめてくれたっていう感じ。
-コールマンの時よりもっとすごい歓声でしたね?
もうあの瞬間っていうのは、
内側にのしかかってくるような重圧とかが全て、
外にはじけ飛んだぐらいの開放感というか、達成感がありましたね。
もう夢見ごこちですね。
会場を見渡してもすべての観客が拍手して、
スタンディングオベーションみたいな感じになってますし。
選手もそれぞれ各国、讃え合うような拍手もありましたし。
本当に夢見心地な感じでしたね。
そんな冨田洋之さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『美しさ』
体操競技の中で自分自身がずっと持ち続けた言葉が「美しさ」。
美しさをどう表現するかにスポットをあてて
日々練習に取り組んでたので、
この言葉はすごく大事にしているところですね。
-いつ頃から?
高校ぐらいからですね。いろんな選手の演技を見てても、
自分自身が魅了されるのが美しさの表現の仕方っていうところ。
簡単な動きだったりとか、ただ方向転換する動きでもすごく美しさを感じたりとか。
その中で難しい技をいとも簡単にやってるように見せる美しさとか。
ただ美しいというだけじゃなくて、
いろんな表現の仕方があるなっていうものを教わった。
それを自分の中で体現して、
いろんな人にそう感じてもらいたいなと芽生えたのが高校時代ですね。
美しさの追求はエンドレスですね。
それがまた楽しさもありますね。