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田知本遥さんが山下泰裕先生から貰った前を向かせてくれる言葉

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ゲストは、リオ・オリンピック柔道女子70 kg金メダリスト
田知本遥さんです
 

 
 


今回は、田知本遥さん
『相棒』=「こだわりの用具」に迫りたいと思います。
 

ストレッチポールとボール、ダンベルの超ミニチュアバージョン。
 これはなんですか?

アスリートだった時は、常に時間があれば、
疲労回復だったり、筋肉をほぐすのにストレッチしていて。
一人でやるセルフストレッチだけじゃ疲労が取れなくて。
そういう器具を扱うようになって、
ストレッチポールは、背中をいろいろ動かしてほぐすやつと。
ストレッチボールは、結構本当に小さいので、
どこでもカバンに忍ばせて持ち歩いていました。

 

-大きさはゴルフボールぐらい?

テニスボールぐらいですね。
ピンポイントにほぐしたい場所に置いてぐりぐりやる。
私は腸腰筋と言って、股関節の付け根の方が
ランニングトレーニングをした時とかに、
疲労がくるところなので。
うつ伏せになってボールの上に乗って、
全体重をかけてグリグリするっていう感じで使っていました。

 

-結構痛いですか?

そうですね。
とんがってる部分があるじゃないか?
そこを当てると、イタ気持ちいいですね。

 

-オリンピック選手ならマッサージを受けられるんじゃないんですか?

もちろん週に1回は行ってました。
でも毎日は行けないので。
そういう相棒が必須でしたね。

 

-他には?

当日、試合の時に使うわけじゃないんですけど、
いつも試合の時に持ち歩いてて
毎日やってたのが「柔道ノート」ですかね。
そこに色々気持ちを書いてたんですけど、
不安な気持ちとか、それこそ病んでたような気持ちとかも。
心のはけ口って本当にそこぐらいしかないので。
どんなに親しい家族とか友人にでも、
自分の奥底の暗い言葉とか、落ち込んだ言葉って言えなくて。

 

-それはお姉さんにも?

そうですね。
やっぱり全部が全部、人に対してそういうことはしなかったので。
ノートに自分の不安な気持ちを正直に書いたりだとか、
優勝した時とかは優勝した喜びを書いたりだとか。
本当に相棒でしたね。

 

-そのノートは?

取ってますね。ずっと書いてたので。
20冊ぐらいあるんじゃないかな。

 

-見返したりしますか?

現役の時はよくしましたね。
この試合の時どういう気持ちだったっけ自分?とか。
試合前にノートを開くことで、ちゃんと自分はこういう風に、
色んなことあったけど、歩んできたなって
自分自身を確かめられたりしていたので。
リオの時に、10日前に「10日後の自分へ」
みたいな感じで書いたんですよ。
10日後の自分と11日後の自分。
試合が終わったときの自分に書いて。
試合前の自分には「緊張しているか?」とか。
今はこういうような心境だよ、みたいなことを書いていて。
試合後の自分には、
「どんな気持ちですか?」とかって書くことによって、
10日前にすごくドキドキしてる自分の気持ちを落ち着かせたり、
試合の前に開くことによって、一番心強いエールでしたね。

 

-ちなみに10日後の自分へというノートを書いたのは日本でしたか?

日本で出発する前だったんですけど、山の中で書きました。
東海大学が山の方にあったので、
車でふもとに行って、椅子に座ってボーっとしながら書いて。
精神統一しに行きましたね。

 

-これからひょっとして指導をする側になった時の引き出しになるかもしれませんね

そう思いますね。
当時の記憶ってのはもちろん頭にはあるけれども、
忘れて消えちゃうので。
ノートがあることで、リアルな心境を思い出させると言うか。

 

リクエスト曲は?

 帰ろう / 藤井風  

心を浄化してくれるような素敵なメロディーと、素敵な歌詞があって。
「憎みあいの果てに何が生まれるの」とか、
そういう人としてハッとさせられるような。
そういう素敵な曲です。
出会ったのは昨年なんですけれど、
コロナ禍で結構世の中がギスギスしてたり、
海外留学を予定してたんですけど、
それが無くなって、ギスギスしてたので。
それを聞いて前向きな気持ちになれました。

 


そんな田知本遥さんに金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!

『金子の深堀り!』

   

「オリンピズム」とは?
あのオリンピックに付帯している
オリンピックの理念みたいな感じなんですけど。
正直、現役の時は知らなくて、知らなかったんだけども、
リオの時にそれに近い感情になっていたっていうことに興味を抱いて。
オリンピックに参加することに意義があるんだよっていう事が含まれていて。
そういったことに近しい心境に私自身もなったってことですね。

 

-海外留学して何を?

海外留学をしようと思ったのは
オリンピズムとはまた違うんですけど、
ロンドンからリオに復活の機会になった海外留学の時に、
海外選手との交流だったり、
ライバル選手との交わりっていうのがすごく私には斬新で、
すごく心を豊かにしてくれた。
ライバル選手なのにすごく私に力をくれた柔道を、
また頑張りたいと思う力にしてくれたというきっかけがあって、
オリンピズムにそういうのは含まれているんですよね。
ライバル選手とのつながり、大事さっていう。
そういうのを実際に経験してたので、
海外留学を行こうと思ったのは、
英語の勉強をしたいってのもありますけども、
じゃあなんで英語喋りたいかって言ったら、
そのライバル選手ともっと深い話をしてどういう練習、
どういう心境なのかってのをもっとお互いにお話できたら
楽しいだろうなぁっていうのがあったからですね。

 

-全然過去の栄光に浸ってないんですね。

それはありますね。
第1章はもう終わったってのもあるので、
自分の人生、第2章をどう切り開いていこうかな、
どう楽しんで行こうかなっていう思いが強いですね。

 

-東京オリンピックに出たいという思いはなかった?

無かったですね。それすごい言われました。
私にとっての東京がリオだったんですよね。
「死んでもいい」とまで思えた大会なので、
やっぱりあれが私にとっての東京大会の位置付けですよね。
本当にやりきったってのはあったし。
あそこで金を取ったからっていうよりは、
究極、あそこで初戦で負けてたとしても辞めてたと思います。
それだけその日に向けて、これ以上できないっていう準備をしたので。
そこで負けたら、それが私のマックスの実力なんだって
思わざるを得なかったと思います。

 

-「オリンピズム」を研究なさっているということは
これからもオリンピックには関わっていく?

そうですね。
色んな形で関わっては行きたいなという風に思っていますし、
一番伝えたい事っていうのは、
オリンピックの結果で落ち込んでしまう選手がいると思うんですね。
それはそうなんだけれども、
でも決して本当に自分を責めすぎないでっていうところは、
メッセージとして、ずっと伝えていきたくて。
オリンピックの結果は出ますけれども、
それがあなた自身の価値を決めることではないっていうこと。
すでに素晴らしい過程だったり、そう言った経験を
あなたは持っているんだよっていうことを伝えていきたいです。
自分がロンドン大会の時に思った感情を
一人でも多くの人がなってほしくないと思っているので。
その辺りは伝えていきたいですね。

 

-オリンピックに対して反感を持つ人の数が増えています。
これからオリンピックはどうなっていくと思いますか?

私は、今回色々ありましたけれども、
ある意味、オリンピックが変わる
きっかけになってくるんじゃないかなと思っていて。
これからは選手が主導になって行かなきゃいけないと思っていて。
選手は催し物に駆り出されてるって言うわけじゃなくって、
選手が主役で、選手が主導であるべきだからと思っています。
今回、開催するかしないかによっても、
選手は黙っているのが美徳っていうことではなくて、
どうしたいかを言ってる選手も最近は出てきてますけども、
もっと発信して行かないといけないと思います。
そうすることによってオリンピックのあり方は
変わっていけるんじゃないかっていう風に思いますね。 

 


田知本遥さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
 

「苦しい時こそ笑っていました。
 きっと希望が生まれると信じたからです」

2015年ぐらいですかね。
東海大学で練習を拠点にしていたので、
山下泰裕先生がいらっしゃるので、
先生の研究室にたまたま用があって尋ねたときに、
研究室の扉に貼ってあって。
私がふと見ていたら、
これコピーしてあげるよって言ってくれたんですけど。
前を向かせてくれると言うか。
やはり暗い気持ちとか、そういった気持ちでずっといると、
そういったものしか寄ってこないよなって。
苦しいけどやっぱりどう変えていこうかって、
頑張ることが明日につながるのかなって。
そう思わせてくれた言葉ですね。

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