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田知本遥さんが苦難を乗り越える力となった武将の言葉

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ゲストは、
リオ・オリンピック柔道女子70キロ級金メダリスト
田知本遥さんです!



田知本遥さんのプロフィール】

田知本遥さんは、1990年生まれ、富山県出身。
小学校2年生からお姉さんと柔道を始め、
高校1年生でインターハイ団体優勝。
柔道の名門・東海大学では4年生の時、
全日本選抜女子70キロ級で優勝、
2012年のロンドン・オリンピックに出場。
本大会では準々決勝の試合中に肘を痛め、7位。
大学卒業後はALSOKに所属し、2016年リオ・オリンピックに出場。
力強い大外刈りを生かし、金メダルを獲得。
日本女子でただ一人の頂点に立った。
翌17年に現役を引退。
その後は、筑波大大学院に進まれ、オリンピズムの本質を探究。
現在もオリンピックを取り巻く社会や、後進の選手に向けて、
オリンピックの価値を問う活動に力を注いでいる。

 



東京オリンピックはメダルラッシュでしたが、大会前のメダル予想は?

結構獲るんじゃないかなって思っていましたね。
自国開催っていうのもありますし、移動とかのストレスがない分、
最後まで自分のやりたいように調整ができるんじゃないかって思っていました。
あとはそれに対して海外勢がどれくらいの
コンディションかなっていうところだけでしたけど。

 

-強くなった?

強化の仕方とか、
選手たちの努力っていうのももちろん一番にあると思います。
ただやっぱり自国開催っていうのもアドバンテージでもありますよね。

 

-いい意味で予想を裏切った選手は?

78キロ級の濵田尚里選手かな。同い年なんですよ。
強いのは分かってたんですけど、
まさかあそこまでを完勝で金メダルを獲ったのはうれしい驚きでしたね。

 

-前回大会の予選で、同じ階級でリオに行けなかった新井千鶴選手は?

彼女も強いのは分かっていたんですけど、
試合の日はあまり調子は良さそうじゃなかったんですよね。
苦しい感じで勝ち上がっていくような感じで。
準決勝も14分ぐらいの試合をして、
そんな中でも勝ち上がっていって優勝して。
私がいうのもなんですが、
彼女もリオの時の悔しさがあったと思うんです。
5年間その悔しさをバネにやってきて、
報われたので良かったなと思いました。

 

-最後の団体戦でフランスに負けました。これは意外な結果だった?

意外ではなかったと思うんですけど、
今まで世界選手権ではこの種目で日本が勝ってたので、
そういった意味では意外かもしれないですけど、
フランスチームのオーダーを見た時に、
「これはちょっとわかんないな」と思いましたね。

 

-3年後はやっぱり強敵になってきますか?

これはありますね。
フランスチームも意識してたと思うんです。
ここで勝つことで、3年後のパリ大会につなげたいっていうのはあって、
フランスチームの意地が見えましたね。

 

-今大会、有効が廃止されたことでの影響は?

試合展開を早くする。
わかりやすく柔道を見れるようなルール改正だったんですけど、
実際、技あり以上になるので、
一本になるのが早かったので、
見やすさという点では確かにあったんではないかなと思います。

 

-不透明なジャッジが減った印象ですが、
専門家からしたらいかがですか?

ルールをいろいろ変えられるのに対応するのは大変だと思うんですけど、
見ている人たちにとっては良い。
柔道ファンを増やすためにはいたしかたないというか。

 

-田知本さん個人としてはどっちのルールがやりやすいですか。

やっぱり有効ありで戦ってた方が長かったので、
「今の技でも技ありなんだ」っていう戸惑いは未だにあると言うか。
前は有効だったのが技ありっていう判断なので、
そういう驚きはありましたね。
投げる力を持ってる日本選手にとってはよかったかなと思います。

 

-今後、このルール変更でしばらく日本の柔道は安泰?

いや、また少し変わると思う。
毎回オリンピック終わった後に若干そういう修正が入ってくるので、
今回、日本がたくさん獲得したので、
ちょっとそれ獲りすぎだよっていうことで
ルールがちょっと変わったりすると思います。

 

リクエスト曲は?

 もうええわ / 藤井風  

 

これは去年、コロナ禍で励ましてもらった曲で、
なんかいろいろな囚われてるものだったり、
そういったモヤモヤを吹き飛ばしてくれる。
「もうええわ」の一言で、
なんか吹き飛ばしてくれる曲だったんですよね。
歌詞もすごくいいので、その辺も聞いていただけたらと思います。

 


そんな田知本遥さんに金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!

『金子の深堀り!』


12年のロンドン、16年のリオ大会に出場されました。
初めて出たロンドンオリンピックは?

キラキラした舞台にたてた高揚感と、
試合に怪我して負けた瞬間、
本当に天から地に落とされた気分になってしまいましたね。

 

-怪我の瞬間、どれくらいの怪我になったのかすぐ分かったんですか?

いや、分かんなかったんです。
痛いどうしようっていう。
あまり大怪我をしたことなかったので、
これがどれくらいの怪我のレベルなのかわかんなくて。
ただただ痛いどうしようってパニックになってましたね。
かなり気持ちが落ちましたね。
その後、敗者復活戦があったんですけど、あんまり覚えてないですし、
テーピング巻いてもらって。
頭が真っ白だし、その試合もあんまり覚えてないし。
帰ってきてからもずっと塞ぎ込んでいましたね。

 

-全く予想外だった?

当時の私は若かったし、
あまり準備もできなかったと思うんですね。
本当にツメが甘かったですよね。

 

-もう一度立ち上がろうと思えたのはどれくらい経ってからですか。

2年ぐらい経ってですね。
それでもやっぱり試合はやってくるので
出るんですけど1回戦負けとかそういうのばっかり続いていて。
なんか頑張りたいけど頑張り方がわからない。
何か変えなきゃいけないんだけど、
どう変えたいのか分かんないっていう。
ほとんど負のループにはまって。

 

-負のループから抜け出すきっかけは?

色々あったんですけど、出来事としては2014年。
2年後の夏にイギリスに武者修行に行ったんです。
それがすごく自分自身を見つめ直す時間になって。
海外の柔道家、イギリスの柔道家の人たちと触れ合って。
同じ柔道家なのに全然、
練習へのモチベーションとかがすごくキラキラしていたんですね。
すごく自発的にやっていて。
そういった姿を見て色々吸収できたってのが出来事としてあります。

 

-なぜイギリスへ?

そうですよね。
あまり深い意味はないんですけど
恩師から勧められたのがイギリスだったんです。
大学も、もともと縁があるところで。
バーミンガムとスコットランドの方なんですけど。
スコットランドの思い出の方が結構濃いんですけど。

 

-イギリスの柔道は強かった?

私自身、柔道強化するために行くっていう目的ではなく、
自分自身を異国の地で一人で生活することで
見つめ直すっていうところが重きだったんですね。
でも結果的に向こうでの練習方法が自分にとって新鮮だったりしたので、
自分の強化にも繋がったんですけれども。
当時は身体的な強さを求めるというよりも、
心の回復っていうのはやっぱり優先していたんだと思いますね。

 

-気持ちが変わると結果も着いてくるようになった?

本当に嘘みたいな話なんですけど、夏にイギリスに行ってから、
帰って日本で10月ぐらいに日本の国内の大きな大会があったんですね。
そこで久々に優勝して。
そこからまたリオの代表選考レースにのったという感じですね。

 

-リオ大会ではロンドンの時の田知本さんとは何が違ってた?

練習のやり方も変えましたけど、
一番は準備っていうものがしっかりできたと思っていますね。
ロンドンに比べて。

 

-目標は金メダルだった?

この時の私は、あえて金とは思わずに、
オリンピックチャンピオンになるっていう風に思ってました。
金とか銀とかそういうメダルというよりは、
自分がチャンピオンになりたいっていう風に思い込むことで
変なプレッシャーを回避できたのかもしれません。
金メダル欲しいですっていうのが違和感があったんですね。
なので、オリンピックチャンピオンになるっていう風に言い聞かせて。
あと覚悟も違いましたね。
リオの時は死んでもいいって思って畳に上がってましたね。
今は思わないですけど(笑)当時は思えたんですよね。
なのでオリンピックが終わってからの予定なんて一切入れてなかったです。

 

-迎えた決勝戦でそこまでかけたものを手にした瞬間の気持ちは?

それがすごい不思議な感情だったんですよね。
死んでもいいと思ってやっと手に入れたのに。
なんかよっしゃーって感じじゃなかったんですよね。
静かに「ふぅ」て。
色んな事が走馬灯のように蘇った瞬間で。
金メダルが浮かぶってよりは、これまでの過程が浮かんできて。
なんかそういうことなのかなオリンピックってと思った瞬間でしたね。

 

-柔道家としての田知本さんはひょっとしたらその場で終わった?

本当におっしゃる通りです。私もそう思ってます。
あの瞬間に私の一人の柔道家・田知本遥が終わった瞬間だったのかなって。
張り詰めた糸が切れた瞬間だったので。
ロンドンとは違う満たされた真っ白でしたね。

 


そんな田知本遥さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?

『我に七難八苦を与えたまえ』

2015年、リオの1年ぐらい前ですね。
いろんなことがあった時に、なんで私ばっかりこんな災難じゃないけど、
このことが起きるんだろうなーって思い始めた時に恩師から、
「はるか、こういう心境があるんだぞ」ということで
山中鹿之助っていう武将の言葉なんですけど、
その武将が「我に七難八苦を与えたまえ」と、
月に三日三晩祈ったというストーリーを聞かされて、
その言葉を調べてすごく自分の中で腑に落ちた言葉でしたね。
もちろん最初から理解はできなかったんですけど、
多分それを与えられることで、超えた時にすごく自分自身が成長できたり、
強くなれるって知っていたからこそ、そういった言葉を言ってたのかなって。
どんどん来いと、どんどん自分に苦労を与えろって。
全部受け止めて、私はそれを超えてやるって言うという強い気持ちになれました。

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