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成瀬善久投手が渡辺監督から言われて大事にしている言葉

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ゲストは、
ロッテ、ヤクルト、オリックスでプレー、
現在は、ルートインBCリーグ栃木ゴールデンブレーブスの
投手兼任投手コーチの成瀬善久さんです!



成瀬善久さんのプロフィール】

成瀬善久んは、1985年生まれ、栃木県出身。
横浜高校を卒業後、千葉ロッテマリーンズに入団。
その後、東京ヤクルトスワローズ、オリックス・バファローズでプレーし、
2019年にルートインBCリーグ栃木ゴールデン​ブレーブスに入団。
現在は投手兼任投手コーチとして活躍している。

 



栃木県の中学校は軟式?

中学校に入って野球部が強かったんですけど、
シニアに行くという選択肢もなかったですし、
あとは栃木県に多分一つしか硬式野球チームがなくて。
軟式が盛んで、そこの選択肢は一本しかなかったですね。

 

-高校は元々どこに行くつもりだったんですか?

本当の正直、地元の高校で野球やろうと思ってたんですよ。
どこでも良かったんですよ。実家から出るって感覚がなくて。
作新学院とか、お話ももらいましたけど。
当時、父が結構厳しい人で。
家から通うんじゃなくて、「家から出てけ」って言われて。
栃木県は当時、甲子園もセンバツもそうなんすけど、
毎年違う高校が甲子園に行く感じだったので。
甲子園に行ける可能性がわからないから、
だったら違う高校に行きなさいって言われて。
その時点で、僕の選択肢から栃木県がなくなるわけじゃないですか。
それで横浜高校から話を頂いたので、
当時、小倉部長が僕のところに来てくれて、
その時に色々野球の話だったり、体のことだったり色々説明をしてくれて。
その時にうちの父が「この人だったら預けたい!」って思ったらしくて。
「うそ!」って思いましたね。

 

-栃木の中学3年生には、地理的にも心理的にも遠いですよね

ちょっと恥ずかしい話、
松坂さんが甲子園優勝した時って僕見てないんですよ。
その時の夏に中学校1年生で、
それこそ今は同じチームで先輩の飯原さんっているんですけど、
飯原さんが3年生で、僕が1年生で、その時に全国大会出てるんです。
甲子園を見た記憶がないんですよ、練習がきつくて。
プロ野球は見てましたけど、
地元の作新の選手とかは知ってますけど、
逆にそっちは知らなくて、興味がなかったと言うか。
だから、こういう話をする時に、
「僕、松坂さんに憧れたんです」って言うと胡散臭いというか。
それを言うと「どこに憧れたの?なんのグラブ使ってたかわかる?」って、
何も分からなくて。
横浜高校が男子校というのも知らなかったですし。
本当に地元の高校に行くしか頭がなかったんで。
特にウチは裕福ではなかったので。
野球で頑張って推薦、特待で行こうってしか考えてなかった時に、
栃木県内しか思ってなかったんですよ。
だったらどこでもいいやと思ってて。

 

-横浜高校に入っていかがでしたか?

正直、一か月ぐらいでやめようかなと思いました(笑)
キツすぎて。食事もちゃんと食べなきゃいけない、
常日頃、先輩といる。そういう免疫がなかったんでしょうね。
特に僕、食が細かったので。
当時、野菜全般食べられなかったんです。もう地獄でした。

 

-周囲のライバルはいかがでしたか?

入学前に小倉部長が来てくれた時に
「お前ともう一人、シニア全国NO1の左ピッチャーを取ったけど、
それでもお前来るか?」って言われたんです。
でも僕はなんかそんだけ期待してくれてるし、
体のことも気にしてくれてたので。
僕はそんなに深く考えなくて、
「行きたいです」ぐらいな感じだったんですよね。
当時、僕は軟式出身、彼はシニア出身で。
みんなその選手のこと「お前がいたら優勝できるな」って言ってるわけですね。
そんなにスゴイんだって。僕は分からないじゃないですか、見てないから。
彼は練習もすごく真面目だったので
「やばいなーやばいなー」って思ったんですけど。
入学の時に先輩たちが練習試合をやってて。
僕とそいつが今すぐ来いって呼ばれて。
急遽、「お前ら投げろ」って言われたんですよ。
準備してアップして9回を二人で投げて。
僕が最初に投げて、2/3投げて抑えて。
後はもう一人が投げて。それぐらい期待されてたんですよね。

 

-試合で硬式球を投げるのは初めて?

試合はそうですけど、中3の夏が終わってから
ずっと硬式で投げてたんで。
あと、よく軟式から硬式に移ると球が速くなるんじゃないかって言われてて。
何キロ出るのかなっていう期待の方が強かったですね。
ただ、その有望だった選手はケガ持ちだったことがあって。
結果、3年間で硬式登板ゼロなんですよね。
肩肘がよくなくて。メンバーにも入れずに終わりましたね。
本当すごかったです。中3で当時138〜9ぐらい投げてるんで。
当時の左だったら貴重だったと思うんで。
だからそれを考えた時に僕は軟式で良かったなと思う部分がすごくあって。
それまでの体が出来上がってない時に硬式で投げてると
肩肘故障のリスクが増えるなとは思ったんで。

 

-阪神の伊藤将司投手が成瀬さんの投げ方をコピーしていますよね、
なぜ成瀬さんはあの投げ方?

僕は中学校までは速球派として通ってたんですけど。
入学した時も138は投げてましたし、
でも横浜高校で僕の一個下に怪物、涌井が入ってきたんで。
その時に「お前はスピードは勝てないから」って渡辺監督に言われて。
ちょっとフォームを変えるしかないなって言われたんです。
元々すごく大きいフォームで投げてたので。
コントロールには自信があったんです。
だから、どんどんフォームが小さくなって。
高校の時はそういう投げ方だったのでパワーは出なかったんですけど、
プロに入って出力が出るようなりましたね。
一回肩壊して、手術してプロに入ったんで、
ある意味1から作り直せたというか。
そこから今のフォームになったというか。

 

-見にくいというのはバッターにどれぐらい影響するか気になります。

僕が色んなバッターに聞くと、
僕が「140 キロのスピードを超えた時はチャンス」って言ってました。
それがすごい面白くて。
140 キロのストレートと変化球のスピードの差が出ると
球種の判別がしやすくなるらしいです。
同じチームの川﨑宗則さんとか左バッターの方に聞くと、
137、8キロぐらい、135ぐらいでもいいけど、
そんぐらいのスピードからのスライダーを投げてくると
全然わかんないって言ってました。軌道が一緒で。

 

-速ければいいってもんじゃないんですね?

そうですね。特に僕の場合は。
今もこれぐらいってバロメーターはあるんですけど、
結果的にスピード調子いいな、ストレート押したいなって思ってると、
独立リーグでも打たれることがあるんで。
てことは結局スピードよりも見にくさだったりとか力感がない投げ方ですね。

 

リクエスト曲は?

 ありがとう / 大橋卓弥  

 

歌詞を聴いてると、僕も田舎から出てきて…
こう、泣けてくるんですよね。
やっぱり親といろいろあったけど、本当にありがとう。
感謝してる。
今度はこっちが支えてあげるよって、
面倒見るよっていう歌詞なんですよ。
結構僕は歌詞が好きですね。
地元の友達とかに聞かせると泣いてるやつもいましたので。

 


そんな成瀬善久さんに金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!

『金子の深堀り!』


横浜高校3年生の春に甲子園準優勝、夏は出られず。
プロはいつ頃意識しましたか?

センバツに出てからですかね。
3年生センバツが決まって投げる時ですかね。
甲子園に出て、センバツで雑誌に特集されたりして、
もしかしてなれるかなっていうのは思いました。

 

-ガツガツ感はなかったんですね?

やっぱ確信が得られなかったですね。
スピードが速くなかったんで。
140キロ出るかぐらいだったらいいんですけど、
コンスタントに135、6キロぐらいだったので。
ちょっと遅いのかなと思ってました。

 

-プロの世界はいかがでしたか?

最初の一年目は、手術明けで、
ゲーム復帰で投げられたってだけで良かったのかなって思ってました。
2年目に31年ぶりに日本一になった時に、
6人の先発が10勝した年だったんです。
それを見て絶望を感じましたね。
来年以降って、俺、枠があんのかなって。
3年4年でクビにさせられるかもしれないって思いましたね。

 

-プロに入ってレベルに驚かなかった?

あまり驚かなかったですね。
やっぱり横浜高校で鍛えられたおかげですかね。
小倉さんが野球を教えてくれて、人間的に渡辺さんが教えてくれて。
2軍の練習で投内連携とかやるんですけど、
これできないの?ってレベルだったんで。
むしろもっとできんじゃないの?ってぐらいのレベルだったので。
その辺は勝てるって思ったし、そんなに苦じゃなかったっすね。
だから今でもこれが活用できると言うか。教えやすいです。
一つのアウト取るんじゃなくて、
色んなケースを考えながらアウトを取らないといけないよねって。
取れたら2個取りたいよねとかいうのが、
高校の時ずっとかんがえてたんで。
そこが基本ベースになっちゃったんで。
逆に普通に1個アウトとることがつまんなくなっちゃう。
それが投げながらイマジネーションというか、
こういう打球をあそこに打たせたら、こういうゲッツーが取れるなって。
自分がそれを投げれる技術があればできるわけじゃないですか。
それが今も野球の楽しさなのかなって思います。

 


そんな成瀬善久さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?

『信念』

これは横浜高校、渡辺元智監督からです。
小学校まですごく野球が好きでやってたんですけど、
好きすぎて練習するのも苦じゃなかったんです。
でも、中学校になってやっぱちょっとサボる癖がついちゃったんですよ。
小学校の時に休みって言う休みがなくて。
そういうのが積み重なって爆発して…。
高校入った時にサボるにもサボれない環境じゃないですか。
サボったらサボった分だけバレたら怒られるんで。
そん時に渡辺さんから「お前は信念を持って行動してんのか」って言われ続けて。
「信念ってなんだよ」って思いながら(笑)
でも徐々に自分のパフォーマンスが上がってきて、
野球の知能がすごく上がった時に、こういう事って大事なんだなって。
まずは信じなきゃダメなんだって思って。
だからこそ、この言葉って、今もそうなんですけど、
やっぱり自分を信じないとだめだなって思いました。
まずはやって、それをやりながら結果的に今があるので。
当時は高校生でよくわからなかったですけど、信じる事って大事だし、
自分で頑張るぞ!やるぞやるぞって思わないとやれない世界だったので、
それはすごくありがたいなと思いました。

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