ゲストは、
北京オリンピック男子400メートルリレーの銀メダリストで、
41歳の今もプロとして競技を続ける末續慎吾さんです!
【末續慎吾さんのプロフィール】
末續慎吾さんは、1980年生まれ、熊本県出身。
九州学院高校を卒業後、東海大学2年で
2000年シドニーオリンピックに出場。
2003年、世界陸上パリ大会では200mで銅メダルに輝き、
日本短距離界史上初のメダルを獲得。
2000年シドニー、2004年アテネ、2008年北京と、
3大会連続でオリンピックに出場、
北京オリンピックでは400mリレーで銀メダルを獲得。
2015年4月からプロ陸上選手として独立、
現役アスリートとして走りながら、
自身が主宰する「EAGLERUN」のメンバーとして、
陸上競技の指導やスポーツイベントの参加など
多岐にわたって活躍を続けている。
–子供の頃から運動神経のおばけ?
抜群でしたね。
体を動かすということに関したら抜群だったと思います。
-熊本といえば野球大国ですが…
野球の子達は目立ってましたね。
やっぱりどこの学校でも。僕は球技全くダメで。
物に想いを伝えられないんですね。
体を動かすのは得意なんだけど、
それを物とか道具に伝えるのが非常に苦手で。
苦手というかちょっと分からない感じですね。
-サッカーは?
サッカーもやってたんです。
でもまっすぐしか走れないからブレーキができないっていう。
-陸上でやっていこうって決意が固まったのは?
中学校卒業、高校ぐらいですかね。
中学校の時はそんなに真面目に取り組んでなくて。
ちょっと語弊がありますけど、
中学の時って思春期だったりとか、
いろんな感情がこう動くじゃないですか。
一つのことに一生懸命やることに対して何かカッコ悪いみたいな。
ませてたかもしれませんね。
部活動とかを一生懸命やってるみたいなのが
自分の中で照れくさかったりとかあったかもしれませんね。
-高校は名門九州学院。陸上部一年目は?
元々、九州学院陸上部は長距離が強い高校だったんですよ。
短距離は少数精鋭で10人前後ぐらい。
だから最初は長距離の雰囲気だったんです。
ゴリゴリの縦社会で、厳しかったんですけど、先生とは仲良いんですよ。
一緒に野球やったりするし。
九州学院のあるあるなんですけど、卒業しても仲良くなることも多いんです。
-高校入学時点の100mタイムは?
11秒2ですね。まだ全然すね。
インターハイとかも端にもかかんない感じ。
-端にもかかるようになったのは?
その年の秋ですね。陸上競技ってのを教えてもらったんですね。
スパイクを履いて走るとか、
3〜4日前にこういう練習をやるとか、
やりだしたら10秒6まで速くなって。急激に。
-これは全国レベルでいうと?
1番でしたね。いきなり1番になっちゃったんですよ(笑)
だから全国的にもびっくりしたでしょうし、
自分も全国1番っていうのが実感がないんですよね。
-すごいタイム出たって分かるもの?
分かる時と分からない時がありますね。
ただ普通に流してるみたいな。
こんなにゆっくり走っていいのかな?と思って10秒6ぐらいだったんで。
だから一番最初に10秒台に入ったレースって
どれも一生懸命走ってない感覚なんですよ。
だから不思議だなぁと思ってましたね。
何にも分かってない時だったので、
練習とか環境とかがヒットしたパターンですね。
リクエスト曲は?
歌うたいのバラッド / 斉藤和義
ずっと好きで。
最後に「愛してる」って言うんですけど、
こんなシンプル言葉をそんな感じで歌うんだと。
響くみたいな。
男として愛してますよっていうのを
こんなシンプルに言うんだみたいなのが好きで。
そんな末續慎吾さんに金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』
–2000年シドニーオリンピックはどんな思いで望んだ?
当時は伊東浩司さんて方がいらっしゃって。
その後輩の立ち位置というか。
そんな感じで出るんで結構安心して出れたというか。
そんなにオリンピックを意識することなく。
初めて出たかった試合に出たって言う。
喜びだったりとか新鮮さが大きかったんで、
楽しんで行けてたかなあと思います。
-緊張は?
緊張しましたね。
自分より何倍もでかい外国人選手と走ること自体が初めてだったんで。
それが緊張しましたね。びっくりするぐらい筋肉モリモリだから。
筋肉ってでかすぎると怖いじゃないっすか。
最初は少し怖かったかもしんないですね。
それを伊東さんが笑ってみてるって言う。
「怖いよなー」っていう。
-出来は?
よかったですね。初出場で準決勝までいったんで。
準決勝は伊東さんに負けたんですけど。
最初の試合からするといい試合だったかなと思いますね。
-2003年パリの世界陸上でついに表彰台へ
今思うと膨大な練習量ってのもあったし。
世界一練習したこともあったから、
まあ出して当然だなっていうのもあったんです。
もともと200mは得意種目で、
自分の身体能力的にもあったようだったんで
それが100%発揮できた状態でしたね。
今振り返ればねいろんなことを含めたら、
金とか銀とかいけたかなっていうレースでもあったと思います。
足も肉離れしてましたし。全然ベストじゃない状態でした。
-そうなると謎なのが1年後に200mに出なかったのは?
国内で負けるのがいやだったんでしょうね。
あそこまで行くと、守りたくなるんですよ。
そういう位置につけられないっていう変なプライドが出てきて。
若いくせに。それで100mに挑戦するっていう。
当時9秒台が話題でしたし、
自分も100mを見て決勝に残りたいって気持ちも強かったですけど、
それ以上に回避の思いが強かったかなって今思えば思います。
こうやって今なら平気で言えますけどね。
-平気で言えるようになるには時間がかかった?
やっぱり事が事だったんで。
やっぱ銅メダル取ったりとか、
アジアで誰もやったことないことやってしまったから。
後悔はしてませんけどね反省はしてますけど。
-3度目となる2008年北京大会。これはどんな気持ちで?
これまで勝負から逃げてたわけじゃないですけど、
失いたくないものが大きかった。
勝負から隠れていた。
隠れてるときって、負けたのかも戦ったのか、
逃げたのか、分かんないんで。
ただ怖いだけなんですよね。
逃げちゃえば楽なんですけど。隠れてる状態が一番きつい。
だからずっと毎日不安で。
その自分の心とちゃんと向き合えばよかったんですけど、
対人っていう所に行ってしまってましたね。
ただそれで勝てちゃったのも原因なんですけど。
よっぽど強かったと思います。
-最終的に銀に繰り上がった。あの時点では銅メダルだったリレー。
一人の時とは違う?
そうですね。
やっぱりリレーっていうのは4人でやるものだし、
その中で4人で力を合わせて走ったという実績は、
自分の力だけじゃダメだったし、っていうことの実証ですよね。
だからそういった点では、
リレーでメダルとるって事はこういう事なのかっていうのは、
個人とは違う視点を持てるようになった経験ではあります。
-銅メダルを取った瞬間は?
早く帰りたかったですね(笑)
あの時は、リレーが期待されてたということよりも、
個人に対する期待の方が大きかったんですよ。
そっちのほうが(肩の荷物を)降ろしたかったんですよ。
やっぱり陸上競技って言っても個人競技なんで。
リレーが「陸上」じゃないんですよね実は。
やっぱり陸上は個人競技なんですよ。
なんだかんだで個人で全部自分の責任を負わなきゃいけなくて。
だから銀メダルを取っても後ろめたいんですよね。
リレーに対しては完結してるんですけど、
個人の自分の走りに関してはまだ終わってない。
そんな末續慎吾さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『覚悟と勇気』
30代の時に、28歳の北京が終わった後に3年間休養して。
復帰を決める、何も持たない状態で行くっていうの決めた時に、
やっぱり自分の全てを壊して行かなきゃいけない。
いろんな事を壊していったり、置いてかなきゃいけない。
自分のまっさらな陸上競技を追求していく。
今までの「末續慎吾」が積み重ねてきたものを下ろしていく。
それってそれなりに「覚悟と勇気」がいる。
だから、陸上だったりとかスポーツは勝利至上主義じゃないですか。
その中で勝ち負けを積み重ねていくっていうのは、
生き方が反してるんですよね。
どう見られてどういう風な生き方でも、自分が思う道しかないと。
それには覚悟もいるし、今までのものも全て置いてかなきゃいけないから、
勇気が必要だった。初めて腹を決めた瞬間ですね。
やっぱ中途半端な気持ちで臨むと、また同じことになっちゃうんで。
二度ともうそういうところに逃げてたまるかと。
-過去の自分を否定する?
否定と言うか、そういう自分と向き合うつもりでしたね。
どうしてもそこを否定するとそこを見なくなっちゃうんで。
そこといかに向きあうか。
-そもそもなぜカムバックを?
やっぱり、そういう自分に納得いかなかったんじゃないですかね。
アスリートって魂と念で走るんですよね。
最後は身体能力じゃないんですよ。
身体能力は命がかかるじゃないですか。
それって衰えていくものだし、でも心っていうのは変わらなかったりする。
それが中途半端にやっちゃうと後悔とか、
やれば良かったっていう一生残る念になっちゃうんですよね。
だからそれを肉体的に表現したのがアスリートで。
本当はアスリートの引退とかアスリートの人生って
美しいもんじゃないですね。
もっと負けたり、ボロボロになったりするように見えるもんなんです。
僕も今だったら平気で学生に負けたりする姿がボロボロに見えるんだけど。
僕は今フレッシュなんですよね。
悔しいと思ってる自分がいるみたいな。
そういう経過を歩きましたよね。