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高校時代、不良になりかけた三浦大輔を引き留めた恩師の言葉

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今日のゲストは
横浜DeNAベイスターズでエースとして活躍された
「ハマの番長」こと三浦大輔さんです!


973年、奈良県出身
奈良県の高田商業高校では2年生からエース。
3年生の春・夏ともに決勝で天理高校に敗れてしまう。
1991年、大洋ホエールズにドラフト6位で入団。
1998年に背番号18に変更。
2005年には最優秀防御率、最多奪三振のタイトルも獲得。
トレードマークのリーゼントから、「ハマの番長」として親しまれ、
大洋ホエールズ、横浜ベイスターズ、横浜DeNAベイスターズ横浜一筋25年。
2016年のシーズンで惜しまれつつ現役を引退。
現在は野球解説者としても活躍されています。


阪神戦にはめっぽう強く、阪神ファンからは「阪神キラー」として恐れられていた三浦さん。
実は、子供の頃から阪神ファンだったという。
子供の頃からファンだったチームに初めて投げた時はどんな感情だったのか?

「マウンドの上で阪神の応援歌が聴けるっていうのは嬉しかったですよ。格別な思いはありましたね。だって頑張って7回まで投げればあのジェット風船が見られるんです!」


そんな三浦さんに金子がより深掘りして聴いていく
『金子の深堀り!』

通算172勝で現役を終えた三浦さん。
200勝へのこだわりはなかったのだろうか。
「もちろんできれば200勝したかったですけど、それよりも、もう一回優勝したかったですね。」

個人記録よりもチームでの優勝にこだわっていた三浦さん。
しかし2016年に三浦さんが引退して一年後にチームは日本シリーズに進出した。
三浦さんはどんな心境で、後輩たちを見ていたのか?
「羨ましかったですよ。ええな〜って思って見ながら(笑)でも後輩たちが成長している姿が見られたので、嬉しかったですね。これで横浜の街も盛り上がったし。」

1998年には日本シリーズに進出した横浜ベイスターズ。
2連勝の後に先発に指名された三浦さん。当時は25歳。
どんな心境だったのだろうか?
「よしやってやるぞ!って気持ちばっかり入れ込みすぎて、全然ストライクが入らなかったんです。日本シリーズの独特の雰囲気で、初めての経験でした。」
その試合のチームは敗れ、その後連敗してしまうが最終的には日本一に輝いた。
「正直、ホッとしましたね〜。あいつから流れ変わったってずっと言われますからね(笑)」
「今度はもう一回ちゃんとしたピッチングができるようにって99年からは頑張りましたよ」


そんな三浦さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『信頼を失うのは一瞬だ。信頼を得るには時間が掛かる』
この言葉は高校1年生の時に監督から言われた言葉。
小学校からずっと野球をやってきて、練習漬けの日々に魔が差したという三浦さん。
「ちょっと今日体調悪いので、病院行ってきます。」
練習をサボって、中学時代の友人と遊んでいたという。
そこから、学校を休むようになり、野球部も学校も辞めるというところまでいった三浦さん。
その後、チームメイト、監督から引き留められて野球部に戻ってきた。
「お前は信頼を失ったんだ。そこからみんなの信頼を得るには時間が掛かる。でもちょっとの嘘とかですぐに信頼は崩れるからな。」
その言葉を言われ、その年の冬から、ちゃんと真面目に練習を始めるようになったそうだ。
「あの時、チームメイトと監督が止めてくれなかったら、野球は辞めてましたね。
だって一人で生きていけるって思っちゃってたから。あの年代の時期ってそうじゃないですか(苦笑)」
その言葉を聞いて「アホですね〜!」と金子、思わず暴言!(笑)
しかし、三浦さんの話を聞いて、「でも、やっぱり言葉にチカラがありますね。」と唸り、感心するのだった。


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