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荒井陸選手がももクロの曲で大事にしている言葉

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今週のゲストは、
水球男子日本代表・ポセイドンジャパンの
荒井陸選手です。



 荒井陸選手のプロフィール】

荒井陸選手は、1994年生まれ、川崎市出身。
兄の影響で小学3年から水球を始め、
高校は、水球の名門・埼玉県上尾市の秀明英光高等学校に入学。
日本体育大学在学中の2012年、日本代表に選ばれた。
2016年から約一年間、水球大国・ハンガリーの名門クラブ「HONVED」に所属。
リオデジャネイロオリンピックには、日本代表として出場。
水中の格闘技と呼ばれる水球界では、身長2mクラスの選手が多い中、
168cmで戦う姿は「小さな巨人」と呼ばれている。

  



東京五輪の延期が決まった時の心境は?

やっぱり張り詰めた空気の中でずっとやってたので
一時は糸がパッて切れたような。
頑張らなくていいのかなって。
そういう風な感じにはなりました。

 

-この1年はプラスとマイナスでどちらが大きかった?

プラスの方が大きかったですね。
自粛期間っていう風になった時に、周りの人のありがたさというか
「いろんな人が協力してくれて、僕らは練習が出来てる」とか、
そういうのも感じられました。
今まで何もしてない時間って全くなかったので、
こういう時間も必要なんだなーっていうのはすごい感じて。
練習をしたいなっていう欲もやっぱり出てきたので、
そこから練習に取り組む姿勢も格段に上がったかなと思います。

 

-対外試合はできている?

全くできてないですね。コロナ禍になる前は
水球は年間200日間ぐらい海外遠征に行ってたので、
それだけがちょっと心配。

 

-これは世界中?

いや、そうじゃないですね。日本に行けないっていうだけで、
海外の選手も呼ぶはずだったのに来れない。
ヨーロッパでは試合がいくつも行われてるんで、
国際大会もクラブチームの大会も。
クラブチームの大会も毎週のようにやってるんで、
そうすると試合経験は海外の方がどうしても多くなってしまうんで、
最後の勝負強さとかそういうところはちょっと心配だなっていうのはあります。
いきなり東京オリンピックってなると、面食らう可能性も大きいので。

 

-1年前の段階では東京オリンピックにどんな目標を持っていた?

まあ今と変わってないですけど、メダルっていうのを目標にやってて。
以前のリオオリンピックは全敗したので。
当時は出るのが目標だったんです。でも今回はもう出場権があって。
メダルっていうものを目指してやってたので。
延期になる直前の何週間前にも海外にいたんですよ。
そしたら日本でトイレットペーパーがないみたいな状況で。
海外ならあるでしょ?買ってきて!みたいなことをいろんな人に言われて。
日本もこんな状況なんだ…みたいな感じでしたね。

 

-メダル獲得は現実的な目標なんですか?

水球ってベスト8に入るチームは、
全部メダルが取れると思ってるんです。
どこが飛び抜けて強いっていうのはなくて。
日本チーム自体にベスト8に入る力はあると思うので、それでメダルを目標にしました。

 

-全敗したリオから何が変わったんですか?

世界からも注目されていて、
リオでやってたメンバーと新しい若いメンバーが合わさったことで、
いろんなパターンも生まれましたし、
勢いがあるチームだなっていう風には今は思いますね。
番狂わせも起きやすいし、ボロボロに負けることもある。
そんなチームですね。

 

-小学校3年生で水球を始めたきっかけはお兄さんの影響?

そうです。地元のスイミングクラブで。

 

-スイミングクラブで水球をやるって珍しくないですか?

珍しいですね、足も着くプールなので。
でも小学生だとかだとそんなに身長も大きくないし、
足がついてても、巻き足の練習とかもできるので、
その感じで始めましたね。

 

-楽しかった?

楽しかったというか、難しかったっていうですね。
なんか自分にできないことがあるのが悔しかったっていうか。
当時は運動神経もよくて何でもできたイメージがあったんで。
バク転とかもできたし、サッカーのリフティングもできたし、
足も速かったですし。その中で、水球と出会った時に、
まず足がつかない。泳げないといけないっていうのがあって、
その中で片手でボールを扱わないといけない。
もう難しすぎてわけわかんない感じだったんで。
そこでこれをできるまでやろうって感じで始めたのがきっかけですね。

 

-できるようになってきたという実感があったのは?

6年生ぐらいに上手くなったなっていうのがあって。
全国大会でも後輩たちに支えられたのもあって、
3番になったんですよ。
そのぐらいでちょっとできるのかな?っていうのはありました。
当時、全国には、多分16〜20チームぐらいでしたね。
関東予選をやって出てくるのがそのぐらいになってるので。
スイミングスクールで水球があるって言うのはおそらく珍しいですね。

 

-この頃は水球に夢中だった?

泳ぐのがまず嫌いだったんで、
なんかタイムを見て泳ぐとかそういうのが嫌いだったんですよ。

 

-サッカーの道は考えなかった?

やっぱりその簡単な方っていうか。
できちゃう方には魅力を感じなかったんですよね。
 

 

リクエスト曲は?

 君に捧げる応援歌 / HIPPY 

 

これは東京オリンピックが延期になって、その時に聞いていた曲で。
目標に向かって一歩ずつ前進してれば必ず誰かが見てくれてるし、
良い事があるって言うのを、聞いてて感じたので、
本当に僕の中では大切な曲ですね。

 


そんな荒井陸に金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!

『金子の深堀り!』


子供用で日本に深いプールはない?

やっぱないですね。
日本は安全を結構重視してるので、飛び込みもダメじゃないですか。
そういうところが多分深いプールを作れない原因でもあるんですよ。
海外の子供達はバンバン飛び込んだりしてるじゃないですか?
だからそういう安全性の日本では、
深いプールを作るっていうのは難しいのかなっていう風には思います。

 

-深いプールがないと水球は強くなれない?

そうですね。
足がついててもボール回しだったりっていうのは力がつくんですけど、
やっぱり最後の一点勝負ってなった時に足の踏ん張りだとかっていうのは、
やっぱり深いプールでやってるチームの方が
馬力があったりすると僕は当時感じてたので。
やっぱりきつい時に踏ん張れるとかっていうのは
深いプールでやってないと厳しいと思います。
僕の中学校のチームは、カワサキスイミングクラブってあるんですけど、
中学生になったら途端に優勝できなくなるんですよ。
先日、22年ぶりぐらいに優勝をして、やっとかっていう。
優勝できるんだって思いました。

 

-勝てなかった中学時代から高校は名門を選んで行きました。

そこは本当にチャレンジしたいって思ったのと、
僕の兄も水球でその高校に行っていて。
兄がいた世代でインターハイ、国体、あとジュニアオリンピックっていう
三大大会で全部優勝したんですよ。
そこに憧れがあって、僕もそういう風になりたいなって思って決意しました。

 

-オリンピック、日本代表を意識したのは?

大学生ですね。水球自体がオリンピックに出てるって言うのは、
僕が生まれてから無かったんで。
海外の水球選手とかは知ってたんですけど、
日本がオリンピックに出るっていうのが現実味がなかったというか。
どうやったら出られんだろ?っていう感じでしたね。
出たいっていう欲はありましたよ。
オリンピックって素晴らしい舞台っていうのもテレビ見て知ってたんで、
まず日本代表にならなきゃいけないのに、
その日本代表になるっていう目標より、
なんかオリンピック出たいなっていうのがありました。

 

-日本代表が現実味を帯びてきたのは?

大学生ですね。大学2年生の初めぐらいに、
初めて日本代表に選出して頂いて。
大学に入った当時は、僕は日体大に入るはずではなくて。
他の
大学を受験したんですけど落ちてしまって。
日体大の監督に誘われてたんですけど、
日体大を倒したいからって言って他の大学を受験したんです。
ところが落ちて。それで高校の監督が、
当時、日体大(現:日本代表監督)の監督にお願いしてくれて。
それで入ってっていう感じでしたね。

 

-日体大を倒したかったんですね。

当時、何十連覇ってしてたので、そこに勝つっていう。
その方が頑張れるかなと思ったんですよ。
ずっとチャンピオンでいるより、
そこを倒す方が面白いのかなっていう風に思ったんですね。
それで、断ったんですけどまぁ見事に受験失敗して。
拾ってもらったっていう感じです本当に。

  


そんな荒井陸選手が今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?

逆境こそチャンス

これはですね、
僕が好きなアイドルの、
ももいろクローバーの曲の歌詞の中にある言葉で。
高校生の時から好きなんですけど、
当時、辛い時があったりして、
そういう時にこの「逆境こそチャンス」っていうのを聞いた時に、
今は辛いけどこれを乗り越えたらチャンスがあるなとか、
成功に繋がるなとか。水球中もそうで、
やっぱりピンチになってる時にそれを守ると、
チャンスが来るんですね。
だからそういうのを含めて、
僕の中でこの言葉はすごい大切になってる言葉だなって思います。

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