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渡辺元智さんがガンジーから得た言葉

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今週のゲストは、
高校野球界の名将、
横浜高校野球部元監督の渡辺元智さんです。




今回は、
渡辺元智さんの『相棒』=「こだわりの用具」に迫りたいと思います。

-用具ってありますか?

監督時代はノックバットでしょうね。
やっぱりノックができない監督はいい監督になれない。こだわりました。
特にキャッチャーフライなんかもね。
当時若い頃は僕がキャッチャーノックをしますと甲子園でも、
横浜スタジアムは沸いたもんです。
大袈裟にいうと、スタンドで弁当持ってた人が、
ちょこちょこっと食べてて、ちょっと見てやっと落ちてくる。

 

-あの高いキャッチャーフライのコツは?

当時、体が硬いと思ったら、柔らかかったんですね。体を反るじゃないですか。
それが今、仇となって頚椎の4番5番が潰れてますよ。それから狭窄症。
当然、真上に上げるわけですからバットを下から上に持ってかないと行けません。
前に打つフライは、ボールの下を打ったり、フックかけたり、
ヘッド下げてスライスボール打ったりはできますけど、真上は腰を反らせないと。
これが影響してんじゃねーかなって思いますね。

 

-ノックのできない監督はなぜ厳しい?

唯一のコミュニケーションの場ですよ。
ショートバウンドが合わない打球を打つとか、ノックバットの芯を外したり、
根元で打ってみたり、打球を殺して打ってみたり。
そういうことをしない限り実践に近づけないじゃないですか。
練習=実践なんですよ。練習と試合が全く異なったら練習をやる意味がない。
供えの野球と言うんですかね。僕は偶然という言葉は使いたくない。
伏線があったり、自分でノックをやってて、
こういう打球ってすぐそこで思い浮かべて。
ピッチャーもその日によって違いますから、
それによって打球をの強さ弱さ、間に打つとか。練習がゲームなんですね。

 

-監督としての渡辺さんはどういう時に怒って、褒めてきたんですか?

若い頃は、スパルタで「何やってんだこの野郎!」って言葉が乱暴でしたね。

 

-どの辺りからそれは変わっていきました?

センバツで優勝するんですけど、どうしても夏の大会に出られないんですよ。
それで「渡辺は無理だな」っていう声が聞こえてね。
もうちょっと反省する気になったんです。
特に覚えているのは、1973年のセンバツの時に、広島商業と決勝戦をやるんですが、
10回の表に1点を取って、その裏を抑えれば勝利という場面で、
レフトの富田がイージーフライを落球して同点になったんです。
ベンチに帰ってきて「すいません」って言うから、
私はぶっきらぼうに
「お前次バッターで回ってくるじゃないか。打ちゃいいじゃねぇか」って言ったら、
涙を流したんです。そのままバッターボックスに行ったので「あぁこりゃダメだ」と。
代打もいませんし、僕は「終わりだ」って思ったんです。
そしたらレフトのポール際に2ランホームラン。
10回の裏にエラーして、同点になって11回の表に2ランホームランですよ。
後になって彼に会ったことがあるんです。ある日の講演に彼がいたんです。
終わってロビーに出て抱き合って喜んで。
「あの時のことをまだ怒ってるのか?」って聞いたら、
「あの時は嬉しくて嬉しくてしょうがなかったんだ」と。嬉し涙だったんだと。
私が愛情をかけて声かけてくれたんと取ってくれたんじゃないすか?
それが、色んなところで取り上げられて、
スパルタばかりじゃなくて変えなきゃいけないなって。
言葉っていう野球に切り替えていく中で愛甲の時代に入っていくんですね。

 

-では割と早い段階からスパルタじゃないやり方があると気づいていた?

でも10年かかりましたね。コーチの時代から数えると。
それから自分のアパートの部屋に聖書なんかを置いたりして、
選手たちの内面的なものも知ることができてね。

 

 

リクエスト曲は?

 横浜行進曲 /ウイリー沖山 

 
非常に親しくして頂いてました、ウイリー沖山さん。
ウイリーさんは「慕情」「ゴッドファーザー」とかいろんな歌を歌うんですよ。
ヨーデル歌手で一世を風靡した人ですね。
フランク永井さんと同時代じゃないですか?

 


そんな渡辺元智さんに金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!

『金子の深堀り!』

   

最初からそうだったわけじゃありませんけどもね。

長い間やってれば何かあるかな、コツコツやってれば何かあるかなっていう。
やはり私も目標持ってやってきましたから。
最初から春夏連覇なんて考えたことないですね。
最初は永川でセンバツ優勝して、愛甲で夏を全国優勝して。
そこから春夏連覇をやってみたいなっていう気持ちが湧いてきました。
それは勝利至上主義とかいう訳じゃなくて、
やはり努力することによって、己を高めていけるし、一番は選手たちです。
彼らが、成し得なくても「やるんだ」という姿勢が、
今度野球が終わったあとの人生に非常に役立つんじゃないかと。
それは勉強で一生懸命頑張ってる生徒と、また違った意味で。
好きなものに向かって一生懸命努力することは決して無駄じゃないと。
その努力をするためにはね親を大事にしたり、仲間を大事にしたり、
支えてくれた人を大事にしたりして、やってかなきゃいけない。
そこから生まれることはやがて野球が終わった時に、
社会に役立つような人間になってくれればいいかなと、それが一番ですね。

 

-イチロー選手が智弁和歌山で指導したことがニュースになりました。
プロ野球で一世を風靡した選手は、
いつかは高校野球の監督をやってみたいっていう方は珍しくない。
高校野球の魅力とは?

人を育てるっていうことが一番大事なことなんですね。
人を育てる仕事に携われたってことで、自分が姿勢を正さなきゃいけない。
その裾野には大勢の野球部員がいるわけじゃないですか。
この子達が一生懸命やるから底が上がっていって、頂点に素晴らしいチームができる。
コロナ禍でつくづく思うのが、好きな野球だからこそ耐えられる。
そして人のためにやらなきゃいけない。
力強く最後まで生きるんだっていうものをね見つけてもらいたい。
最後は子供達に野球を教えてもらえるような、
そういった高校球児を育てたいと思っています。
 
-高校野球を通じて教えたことは?

9回の中に人生の縮図と言いますか、あらゆるものが詰まってる。
誰かが送りバントして、サードに送って。そして自分でホームを踏む。
野球はホームベースを踏まなければ得点が入らないんですよ。
満塁ホームランを打ったバッターも、満塁になる時には、誰かがフォアボールで出る、
相手がエラーするような打球を打つ、色んなことが重なって
ホームランを打って4打点を上げるわけですけど、
僕は打点以上に得点っていうことが素晴らしいと。必ず伏線があるわけです。
そういうことを裾野の選手たちは知ってるわけですよ。
ただ裾野の選手たちが、そのまま補欠で終わったっていうことで終わらせたくない。
だから本当にこの野球を必死になって取り組んでいくためには、
ただ単に上だけじゃなくて下の選手。
そういう下の選手を大事にするところが甲子園の優勝に繋がってくるし、
一流の選手が高校野球の監督やってみたいってことに
繋がっていくんじゃないでしょうか。
だから今、プロ野球選手が資格審査を通って、監督についてる人たちがいます。
そういうことを思いながら采配を振るっている人もいると思うんです。
「俺は野球が好きだから野球に携わりたい」じゃなくてね。
私も最初はそうだったんですね。だけどやってるうちにそうじゃないと。
その後輩たち、子供達が野球によって最後まで立派に生き抜いていくような、
そういう子供達を育てたい。

  


渡辺元智さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
 

「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」

 

ガンジー。インドの独立の父ですよ。名言を彼は披露してるんですね。
平昌オリンピックで小平奈緒選手が、一生懸命、
超一流のアスリートとして頑張ってる間はこれをずーっとを座右の銘にしてくんじゃないかなと。
僕は今、「楽しくやろう」というような風潮が見えるんです。それも大事ですよ。
だけども一流のアスリートがどれだけの厳しい練習やってきたか。
池江璃花子選手の復活劇を見れば分かるようにね、
自分が好きなことがあるから、命をかけてやってる。
こういったことの素晴らしさを少し教えてあげたいな。
楽しいが楽を産んじゃってるようなところがありますから。
命を落としてまでスポーツをやるもんじゃないと思ってますけど、
しかし、自分で生涯、スポーツを通して鍛えたもので
最後まで生き抜きたいということであれば、
小平奈緒さんがコメントしたこのガンジーの言葉は素晴らしいと。
苦しさっていうのはなんだろうと。
苦しさが楽しさになっていかなきゃいけない。
苦しんで、その先に楽しさがあるんだって。
小説家の北方謙三さんが、ある席で一緒になってこういう言葉を言ったんです。
「小説で書きたいことは色々ある。しかし人は生まれて死ぬ。
その日まで懸命に生きることでしょう」ということを残しているわけですけどね。
生きるということは、環境によって大変だと思います。
人に言えない苦労があると思うんですけども、
やはり若い頃から「生き抜いていくんだ」っていう力強さを教えていければなと。
そこに野球があるんじゃないか、野球だからこそできるんじゃないかと。

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