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鈴木桂治さんが高校の友達に感じる大事な言葉

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今週のゲストは、
2004年アテネオリンピック
柔道男子100キロ超級で金メダルを獲得した鈴木桂治さんです。
 

 


今回は、
鈴木桂治さんの『相棒』=「こだわりの用具」に迫りたいと思います。

-何をお持ちいただいたんですか?


 

ギアって言わないんですけど、今日は「帯」を持ってきました。
柔道選手って柔道着は何着も持ってるんですよ。
それこそ10着ぐらい持ってる選手もいると思うんですけど、
帯は多分1本か2本しか持ってなくて。
柔道家の「魂」と言われてますね。

 

―帯の寿命はどれぐらい?

どれくらいなんでしょう。
僕の場合は5、6年なのかな。

 

―どういうタイミングで変えるんですか?

ルールがあって、黒いところが剥げてくると、
中から綿とか出てくるとダメなんですよ、使えないんですよ。
なので替え時。
もしくは例えば試合に負けて、駄目だこの帯って言って替える人も、
もちろんいるでしょうし。
僕は負けた時は塩と一緒に洗濯機で洗ってました。清め直すみたいに。

 

―今回お持ちした帯はいつ頃の帯?

これはもうコーチになってからですね。
だから8年替えてないです。2012年からコーチやって。
あと赤いマークがないと試合で使えないとかルールがあって。
国際柔道連盟が認めた帯だよっていうことですね。
この文字に関しては名前のみ。
昔は逆側に自分の所属を入れたりとか、
練習で使ってる選手は今でもいるんですけど子供の名前を入れたりとか。
色も自由なんですけど基本的には金とか白が多いですかね。

 

―他に道具に対してこだわりは?

基本的には試合用の柔道着は練習では使わないとか。
やっぱり汚れですかね。
白い道着なのでちょっとした黄ばみとか僕は嫌だったので、
例えば相手の血がついた時とかもいっぱいあるので、
試合用の柔道着はもう畳んで保管しておくっていうことをやってましたね。

 

リクエスト曲は?

 Time To Say Goodbye / サラ・ブライトマン 

試合直前に聞いてました。
試合に挑むときに、冷静にさせたい自分と、
どうしても鼓動が速くなったりっていう
自分とで葛藤があるわけですよね。
落ち着きたいんだけど、でも落ち着かせても…っていう思いと。
最終的に辿り着くのが、
僕もこの言葉を全て詳しく見たわけじゃないんですけど
「別れの話のようでまた会おうね?」
みたいな内容でもあるということをちょっと聞いて。
最終的に自分がたどり着いたのはこれを聴きながら
「たとえ負けても死ぬわけじゃねえ」と。
自分の中で緊張すると「負けたらどうしよう」と思いもでてきますし、
もちろん興奮とかでやってやるって思いもあるんですけど、
どこかに必ず不安はあるんですよね。
その中で、大丈夫だ、別に負けても死ぬわけじゃねえって。
「負けても次があるよ」って自分に言い聞かせるようにするんです。

 


そんな鈴木桂治さんに金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!

『金子の深堀り!』

   

東京オリンピック男子66 kg 級の代表争い。
 阿部一二三選手と丸山城志郎選手の戦いをどう見ていましたか?

やっぱり二人の苦しさみたいなのがビシビシと感じてしまって。
僕の現役時代の立場的には丸山だったので、
「お前の気持ちわかるぞ」と。
でも阿部選手は阿部選手で計り知れないプレッシャーがあったでしょうし、
二人の気持ちわかるぞと思いながら。
予選会とか例えば柔道はどうしても見なきゃならないですけど、
例えばフィギュアスケートとかの予選会ってテレビでやるじゃないですか?
僕、あれ見れないんですよ。気持ちがわかりすぎちゃって…。
もうなんかすさまじく、長く感じた時間でもありましたし、
あっという間だったなというような時間でもありましたね。
見てる方も苦しかったですね。でも、すっきりしました。
やっぱりこの今のコロナの状況で、
延ばし延ばしになってしまってたので、
阿部選手も丸山選手もスッキリしたと思います。
こればっかりはしょうがないとしか言えないですよね。

 

―現役時代の鈴木さんといえば、
 史上最も“足癖の悪い柔道家”という印象があったんですが?

明確な答えはないんですけど、両足使えるんですよ。
もともとサッカーは右足で蹴ってました、
ですけど柔道は左足なんですよね。
だから柔道始めて左足で足払いとかをすることによって
サッカーボールも左足でも蹴れるようになりましたし。
なので両足使えるんですよね。
これが柔道にもものすごく活きてると思います。
蹴る軸が両足あるわけです。
両方に軸をおけるので両方の足払いができるということが
僕はすごく自分の強みだなと思ってて。

 

―普通の人よりも相手のバランスを感じるセンサーも敏感だったんですかね?

あると思います。
ここにこうしたら、こうなるだろうなっていうのはやっぱりわかりますよね。
例えばバナナの皮みたいなもんで、
あれって地面に足着いてないわけじゃないですか。
地面に着く直前ってすごく隙だらけなんですよね、人間の重心って。
着く直前ってことも体重が乗っちゃってるわけなんで。
ここを払うんでしょ、そしたら転ぶんでしょっていう
一番当たり前のことを僕の左足でやってると。
あとは足技は絶対にタイミングだけじゃ絶対効かないので。
足技には威力って必要なんですよ。
ものすごく軽くやってるように見えますけど
あれにはものすごい衝撃もあるわけですよそれを教えられたのは、
斉藤仁先生が自分の自分の足技を、より磨いてくれたのは斉藤先生ですね。

 

―金メダル取る選手は色んながタイプあると思うんですけれど、
 どの段階でわかるものですか?

小学校、中学校までめちゃくちゃ強かったのに…
という選手もやっぱり山ほどいます。
でもそっから全くの選手もいますし、分かんないですよね。
僕は大学生見てるので、大学生になってくると
ある程度上に上がるか途中で柔道を辞めるかって
選択をしなきゃならない時期なんですよね。
やっぱり日本代表クラスの選手とか、
日本代表の強化選手を見てても、
「孤独に耐える選手」は強くなると思います。
人と同じことをしなきゃ気が済まない人もいるわけですよね。
僕は人と違うことを好んでやれる選手が絶対に強くなると思ってますし、
そういう選手に可能性はあると思ってます。

 

―自分を持ってる選手?

そうですね。
それを怖がらないと言うか。
人の批判を何とも思わないというか。

 


鈴木桂治さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
 

「絆」

 

僕、友達が柔道やってる選手とかスポーツ選手って凄い少なくて。
共感を得る友達が非常に少ないんですよ。
競技のオリンピアンの選手と交流ってのはゼロだったので。
一緒に酒を飲むとかそういうことは無かったです。
オリンピックの式典とかでは挨拶もしますし、話もしますけど。
じゃあ解散しました、連絡先交換するかって言ったら、
僕の携帯には入ってません。
じゃあ友達はいねえのかって言うと高校の時の同級生がほとんどなんですよ。
今、みんな仕事をしたりとかという、
お笑い芸人やってたりとかって友達が多くて。
そういう友達と遊んで、僕はすごくエネルギーを吸収したんですよね。
きついよな、どういうトレーニングしてる?
とかそういうの一切いらなくて。
ただただバカな話をしたりとか、独身の時は女の子の話をしたりとか。
そういう話をすることで自分のエネルギーがすごく充電されてたので。
そういう友達との付き合いが、絆という言葉にすごく当てはまったんですよね。
もう15年以上前の話ですけども。
家に帰っても一人だったらもう病んじゃいますよ(笑)

 

―アスリート仲間とつながろうという思いがあまりなかったのはなぜ?

なぜなんでしょうね。求めてなかったですね。
なんか人の苦労を聞くのも嫌だし。
僕の柄でもないし。
苦しい事を何でやってんのって強くなりたいから、
勝ちたいからでしょうってなると、
なんかそこに対してあんまり人から同情も欲しくないし。
自分が好んでやってることに対して、
そういう人たちからの指摘もあんまり欲しくないし。
自分から求めるものはどんどんいいんですけど、
外から言われることに関しては、あまり欲しがらなかったので。
あと、そういう人たちの集まりにあまり声もかけられなかったですね(笑)

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