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島田チェアマンが己の道を行くために大事にしている偉人の言葉

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今週のゲストは、
昨年7月に国内男子プロバスケットリーグ
Bリーグチェアマンに就任された島田慎二さんです


 島田慎二のプロフィール】

島田慎二さんは、1970年新潟県生まれ。
日本大学卒業後、旅行代理店に就職、
その後、30歳で独立し、海外旅行を扱う会社を設立し、
事業拡大を成功させた。
その経営手腕を買われ41歳の時に、千葉ジェッツの代表に就任。
倒産寸前だったクラブをリーグ随一の人気クラブへと急成長させ、
Bリーグ日本選手初の1億円プレーヤーも誕生させた。
2017年9月より、Bリーグ副理事長に就任、
去年7月、チェアマンに就任。

   


大変な時期にチェアマンになりましたね?

忙しいですね(笑)大体そういう役回りというか、
千葉ジェッツふなばしを引き受けた時も、倒産寸前だったりとか、
会社を30で作った時も、アメリカの同時多発テロで
旅行会社が壊滅的な時だったりとか、
大体アゲインストの時に、何かを始めるというのは、
もうライフスタイルですね。だからあまり違和感がないというか。
でも実際今どうですか?と聞かれると大変ですね。

 

―Bリーグはコロナ禍で大丈夫ですか?

大丈夫です。基本、私は実力はないですけど運はいいので。
なんとなくいつもギリギリで切り抜けていける。
実力以上の結果が良い方向に導いて頂いてるので大丈夫だと思います。

 

―今、島田さんが目指しているのは?

私の代で、最大でも任期8年ですから。
8年も私が選任され続けることはないんじゃないかなと思ってますけども(笑)
まあ、なるべく早めにいろんなことを着手していきたいなって思ってます。
その半分で4、5年だとしても、やれることなんて限られてるので。
どちらかと言うと私の代で全部やりきるというよりは、
その次の世代に良い形でバトンを渡せるような状況を整えて、
準備をしっかりしていきたいなと思ってます。
Bリーグってまだまだ野球、サッカーに比べるとマイナーですから、
もうちょっと世の中に知っていただくというか、
存在感を高められるような状況を作りたいですね。
 
―totoに加わるのは大きいですね?

昨年、totoがJリーグと一緒に加えていただくようになったとか。
入場者数を増やそうとしましたけども、
コロナが続いてる中だと視聴者数に振り切って、
いかに見ていただく状況にしていくかって事で、そこに投資をしたりとか。
あくまでもバスケットが次世代に評価してもらうための投資というか、
攻めを今のうちに数年かけて入れておきたいなと思ってますね。
また、2026年を皮切りに今のB1、B2、B3、Jリーグを模倣した
その昇降格の仕組みを完全に改めて、
昇降格廃止していくってことも決めてるので。
そういうところも構造改革をして、チーム強化にだけ投資するんじゃなくて、
事業に投資をして地域に根付くための投資であったりとか、
スポンサーに対して報いる、アクティベーションに投下できるとか、
事業面を重視した仕組みにして。
結果、事業が強いところは投資もできるので強くなるんですけど。
勝った負けたじゃなくて事業で評価していくような仕組みにちょっとスイッチしようと。
だからバスケットは、Jリーグとプロ野球の
ハイブリッドの仕組みに近いかもしれないですけどね。

 

―Jリーグをしばってるのが企業名だと思うのですが、Bリーグは?

これは議論でしょね。
地域密着といったときに、企業名が出ることで、
実業団のような印象で地域に根付くことを妨げるような
その懸念みたいなところがあったんですけど、
事業拡大といった場合、スタジアムでもアリーナでも
ネーミングライツっていうものもありますし、
チーム名もある種ネーミングライツっていう風に考えれば、
そこはビジネスとして拡大するためには有効な権利だと思ってるので、
そこは大いに議論していいかなと、私は思ってますので。

 

―ソフトバンクホークスも地域に根付いてますもんね。

そうなんですよね。
プロ野球が企業の力を借りて経営努力をあまりされてなくて、
懸念があった時代はもう過去のもので。
企業だから地域に根付いてないとかっていうことは
もう全く証明されてないんで。
Bリーグはプロ野球のいいところ、Jリーグのいいところ、
海外の事例も含めて、リスクとリターンを鑑みて
良いと思えばやっちゃったらいいんじゃないのって私は思ってますけどね。

 

リクエスト曲は?

 We Are The World  / USA For Africa 

中学生ぐらいの時、衝撃を受けまして。
ちょうど洋楽に脅威を持っていた時期で。
もちろんマイケル・ジャクソンとかもドナ・サマーとか。
当時、今じゃ考えられないぐらい
豪華なアーティストがいっぱいいたじゃないですか。
そういう人たちが「アフリカのために」ということで、集まって。
曲もまた素敵で。あの映像見てるだけで
「人間って捨てたもんじゃないな」という心境にはあの当時からなってですね。
カラオケでもWe Are The Worldを
一人でモノマネして歌うぐらい(笑)
シンディー・ローパーなんて高音を相当出してますから。

 


そんな島田慎二さんに金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!

『金子の深堀り!』

   

学生時代は日大山形のサッカー部。いかがでしたか?

楽しい思い出ですけど、まあでも辛かったですね。
忘れもしない初日の練習で行った時に、山形で特待の高橋健二も含めて、
山形県内のハイレベルな選手が一堂に会してという状況で。
初日の練習で絶対レギュラーになれないなと思いました。
下宿までして私立に行かせてもらって一人暮らしまでさせてもらって、
初日に無理だなって思うって結構辛いですよ。
もちろん努力はしましたよ。でも基本無理だなと。
ただ3年間這いつくばってでも、
辞めないでやってやるって言う風には思いましたね。
やり続けることで自分を正当化するというか。
なのでとにかく続けるぞって思ってね。
あの当時は国見高校か日大山形かっていうぐらい
高校選手権に出るランキングがあって。2校が争ってたんですよね。
真夏の暑い時に42.195キロ走るんですよ?今じゃアウトでしょ?

 

―系列校だからそのままと思ったらそのまま上がってないんですね。

日大は、11月の中旬ぐらいにはエスカレーターの校内試験があると。
でも当然高校選手権って正月まであるんで。
そんなこと言ってる場合じゃないんですよ。
誰でも受かると思ってますけど、全然できなくてて落ちてしまって。
道が閉ざされた中での選手権で。
終わって1月の10日ぐらいから、
一般受験ですから2月、3月は2ヶ月ぐらい死ぬ気で勉強しましたね。
ほぼ寝ないで勉強しましたね。いくつか受かって、
日大以外も受かったんですけど。何となく日大山形行って、
日大行けなかったってバカじゃねーの?って言われるかなと思って。
まぁ当時から見栄があって。

 

―就職はなぜ旅行会社?

そこしか受からなかったんですよ。
まあ石の上にも三年って思ったんです。
でも当時、就職するって決めてからも
早い段階で起業するって言うことは決めてたので。

 

―あの時代に起業という発想は珍しいですね

全く不毛の時代だったんですけど実は、
私は大橋巨泉さんに憧れててですね。
大橋巨泉さんのように早めにガッツリ稼いで、
バンクーバーとかゴールドコーストとか、
そういう生活に漠然とゴール設定はなかったんですけど、
学生時代その藁をもつかむ思いでモラトリアムにさまよった時に、
そういうイメージがあって。
早期リタイヤ。何も始まってないのに早期リタイアを考えるという。

 

―そこからどう行動されたんですか?

一発当てるためには稼がなきゃいけない、
稼ぐのには社長にならなきゃいけない、起業しなきゃいけない。
なので最初にどこでも決まったら3年間やるけど、
早めに独立して自分で稼ぐことに挑戦して、お金を手にしてリタイアする。
っていうのは就職活動してた頃には漠然とあって。
リアルに私が社長で始めたら30歳の時ですね。
アメリカで同時多発テロがあって、3ヶ月後にはもう起業してるんですよ。
ちょうど日韓ワールドカップのタイミングです。
なので「ハルインターナショナル」って会社を作ったんですけど、
そのロゴは日本の国旗にしてるんですね。
「陽はまた昇る」みたいなことと、
日韓ワールドカップのイメージで。

 

―いつ頃から成功のイメージができた?

30歳で始めてから35歳ぐらいには
上場を目指せそうな所まで成長してたんですね。
順調に伸びていったときに、今度はリーマンショックが起こるんですよ。
上場を諦めてM&Aで売却して。
私はそっからいよいよ39歳で自由になるんですね。

 


そんな島田慎二さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?

『世の人は我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知る』です

坂本龍馬の言葉ですね。
坂本龍馬と私を比べることでは全くないですけど、
それなりに若い時から尖がったり、あれこれやったり。
バカじゃないの?今それやる?とか、
だいたい私がやることは世間から非難されますから。呆れられるしね。
でもその時には自分なりの決意と言うか、
自分の強い意志があって。
たった一度の人生で自分がこのポジションにいるんだったら、
自分が思った通りにやるみたいな感じのことが結構あったんで。
そうすると都度都度叩かれるんですよ。今でもSNSで叩かれますからね。
若い頃はちょっと引きずったりとか、気にしたりとかしてましたけど。
その裏にあるのは、こういう龍馬と比較はしないですけど、
龍馬もまあまあ色々あったんでしょう。
こういう言葉を紡ぎだしたんでしょうから。
俺が考えて、強い決意をして、責任持って意思決定してるなんて誰もわからないし。
俺が決めた道を行くみたいな感覚で生きてるとこあるんで。
この言葉には惹かれるし、支えになりましたね。

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