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三宅諒選手が太田雄貴先輩から言われてメダルにつながった言葉

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今週のゲストは、
2012年ロンドンオリンピックフェンシング
男子フルーレ団体銀メダリスト・三宅諒選手です。

 


今回は、
三宅諒選手の『相棒』=「こだわりの用具」に迫りたいと思います。


-フェンシングは道具が多い?
 

そうですね。やっぱりこだわる人はすごい多いし、
色んなパーツ出てきてますからね。
僕は、全然こだわらないんですよ(笑)
こだわらないことが、もはやこだわりかな、というくらいなんですけれども。
例えばフェンシングのショップって都内に大きなところが
一箇所あるんですけど、だいたいそこでみんな買うんですけど、
僕ね、すぐ帰りたくなっちゃうんですよ。
剣って、つばの部分と、剣芯と、持つところの三つに分かれるんですよ。
剣芯は柔らかくなきゃいけないんですよ。
刀みたいとかにしちゃうとポキッて折れちゃう。
だからあれって鉄をガガガって打ちつけて、
金属光沢で柔らかくなるようにするわけですよ。
だから当然なんですけど個体差が出る。
重心がこっちにあるとか、手前にある、後ろにある、
しなり方が違うとかっていうのがめちゃくちゃ詳しい人がいるんですよ。
それが僕らのチームでいうと千田健太っていう
もう一人のメダリストなんですけれども、その人はもう職人ですね。
もうみんなにも“マエストロ”って呼ばれてます。
これが面白いんですよ。
「シャンク」って言って角度なんですけど、
剣芯自体を持つところに差し込むんですよ。
そうすると、持つ手前のところが角度を手前に倒すとか、
横に倒すとかでフェンシングの戦術が変わるんです。
シャンク、角度が強いと相手の背中をつけるぐらい
剣を回り込ませることができる。逆に僕はそんなにしならせない。
だからへの字になったらかたをつけるんだけど。
伸ばし棒だと直線の攻撃がうまいとか。
左右に曲げることでもサイドからの攻撃ができるようになったりとか、
色んなやり方ができるんですよ。剣を調整することで。

 

-フェンシング選手にとって剣は大事?

大事なんですけれども、僕は全く。誰の剣でもいいんですよ。
それこそ全中で優勝した時も、
僕の剣じゃなくて人の剣の方がいいってことで人の剣で優勝しましたからね。
っていうぐらい剣にこだわりはない。

 

-自身の戦い方で剣を変える?

僕は剣で合わせちゃいます。剣がこうだからこういう風にやろうって。
1番剣、2番剣、3番剣とかってあるんですけど、
なんかしばらく使ってるとその剣の微妙な曲がり方で
1番剣が急に使いづらくなったりとか。
逆にこの前まで全然使えなかった剣が1番剣になったりとかするんですよ。
持ってみてバランスが変わったりとかするんですよ。
だからあまりこだわりはないですね。

 

-マスク、フェイス、ウェアはチョイスできる?

できます。オリンピックってその辺厳しいので、
どんなロゴも出しちゃいけないんで。
剣の裏側とか靴下のワンポイントとかも全部「隠しなさい」って言われます。
だからオリンピック用の支給品ってロゴは書いてあるんですけど、
靴下と同じ色の刺繍だったりするんです。分からないように。

 

  
リクエスト曲は?

bad guy / Billie Eilish

僕ね単純にビリーアイリッシュが好きなんですよ。
ライブとかの映像すごいんですよ。あの人。
すごいノリノリで観客が歌ってるんですけど、
ほぼビリーアイリッシュ歌ってないんですよ。
もう観客の方が歌ってるんです。それぐらいの力の抜けた感じが凄いので。
よく試合の前にも聞いてます。

 


そんな三宅諒選手に、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!

『金子の深堀り!』

 

団体戦はいかがでしたか?

オリンピックって団体戦に出られるのもすごいことで、
ヶ国しか出れないんですよ。つまり3回勝てば金メダル。
1回勝てばメダル圏内。
一回戦の相手が中国なんですけど、当時の中国がめちゃくちゃ強いんですよ。
全員が190cmあって、ギリ勝てるかなぐらいですね。
太田先輩も身長がそこまで高くないので、
どうしてもそのリーチを克服するか。
毎年、開かれてるアジア選手権でも中国に勝つことなんて
だいたい5回に1回ぐらいだったんですよ。
それに加えて太田先輩がオリンピックの日、延々と調子悪いんですよ(笑)。
それでこれは大丈夫かな?みたいな空気は立ち込めてたんですね。
そうなった時にマエストロ千田がめちゃくちゃハネたんですよ。
千田さんってすごいマイペースな方で、練習も何やってるかわかんない。
ずっとちょこちょこちょこちょこ、すんごい細かいところを練習してて。
ロンドンに来る前のフランス合宿もずっとコーチと残って、
何かやってるんですけどずっと見てても「何やってんの?」って
みんなで言うぐらい超ピンポイントの事やってるんですよ。
でも、ふたを開けてみたら当日その「何やってんの?」が
大ハマりするんですよ。

 

-三宅選手は?

僕も僕で、本来、団体戦すごい苦手だったんです。
いつも足を引っ張ってるんですけど、
それを太田先輩にカバーしてもらってたんです。
それでオリンピックに連れてってもらえたところもあるんで。
これが今チャンスだと思って、僕とその千田さんでプラスをすごい作って、
太田先輩も調子を合わせてきて、中国戦はダブルスコアで勝ったんすよ。

 

-次のドイツ戦は?

ドイツ戦も太田先輩が調子悪いんですよ。
ドイツはトントンぐらいの実力差で。
最後の選手が、ピーター・ヨピッヒっていう世界選手権を4回獲ってるんです。
めちゃくちゃ鉄壁で、「エンドラインの魔術師」って言われるぐらい
相手を引きずり込んでカウンターしていくっていう選手なんですね。
だから絶対に点差は広げちゃだめだし、
尚且つ相手に一本でも上にリードされちゃいけないっていうような
状態だったんですよ。
その中で太田先輩はだいぶ中国戦で勢いついてますから、たんたんとやってて。

 

-途中、太田さんがすごい勢いで連続ポイント取られました。

これね、太田先輩が聞いてないことを祈りますけど(笑)
あれはただの自作自演です。
結局、ポイントリードしてて太田先輩が、
ゴルフでいうとカップそばでパターをポンって打てば沈むっていう
ところぐらいの点数だったんです。
けれども、そこで一気に差を縮められて、リードされちゃったんです。
僕らの貯金を使っちゃったんです。
「うわやばい!」って。オリンピックの魔物ですよね。
最後の最後、一気にいって2点差になっちゃったんです。
それで、皇帝ピーター・ヨピッヒですから。
めちゃくちゃ守るんです。
でも太田先輩は攻撃力が最強。
ほんと世界でも随一の矛なので。
本当に矛と盾が戦うっていうのがオリンピックの準決勝でした。

 

 

-残り9秒で2点差は厳しい?

本来ならダメだろうって感じです。一気にそんなに取れるのはないので。
2回突かないといけないです。
大体一つのアクションっていうのは最短で2秒で、それもかなりうまくいった方。
大体9秒だと1点取れるか取れないか。
ピーターもなぜか本当なら下がればよかったのに気迫に負けたのか、
その場で対処しちゃった。
そうすると距離が近づくんで、チャンスが生まれて、
太田先輩が点数をポンポンと取れて延長戦に。

 

-延長戦は?

今だから言いますけど、たぶん負けてるんですよね(笑)
誰に聞いてもそう言うと思いますよ。
フェンシングって歴史がすごく大事で。
ルールっていうのはある一定のところから始まったりするんです。
皇帝ピーター・ヨピッヒっていうのは、
突く時に下を向いてマスクを下げる「ヘッドダウン」のクセがあったんです。
フェンシングってマスクを下げるとイエローカードなんです。
突いた点数はなくなっちゃう。
その当時ピーターはすごいそれを乱用してたんですよ。
ルールギリギリのグレーゾーンでそれをやってて。
だからある意味見せしめみたいなものが必要だったんだけど、
それがそこで来たんです。
だから、全体的に日本もグダってなってるし、
ドイツチームも、次の試合の準備しようぐらいの感じになってるんです。
だけど、そこでピーターのみんなから言われ続けてきた
ヘッドダウンがドンって入ったんです。

 

-太田さんからのアピールもあった?

太田先輩は、どうこねくり回しても無理なんですよ。
だから違反をしていたっていう主張一点張りで行くしかなかった。
最後、決勝を決める試合っていうのも本当に結論から言うと、
今見たら全然僕らの負けなんです。今の時代だと。
フルーレっていうのは時代によってルールが変わるんです。
これもまた、一個前の世界選手権なんですけど、
太田先輩があのフレーズで中国の選手に負けたことで
世界選手権の優勝を逃した年があるんですよ。
その審判がボロクソに言われるんですよ。その1年。
全く同じ判例があの最後の一本だったんです。
だから僕らも「あれじゃん!」ってなったんです。
それで審判が当時、これは太田先輩にとってあげないと
ルールがごちゃごちゃになってしまうという風になって、
覚悟決めて僕らの勝ちですよってなったんですよ。
だから今見ても全然もう向こうの勝ちでしたけど、
あの年だけは僕らの勝ちでよかったんですよ。

 

-ドイツはごねなかった?

ごねたんですよ。
太田先輩に手を差しながら「絶対違うだろ!」っていう手を
太田先輩が握手しちゃったんですよ。
握手しちゃうと成立しちゃうから、それで終わらせちゃったんですよ。
ドイツ人はボカンですよ。そういうのがオリンピックでしたね。

 


そんな三宅諒選手が今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
 

人生変えるぞ

やはりですね、個人戦と団体戦の間で太田先輩が円陣つって、
この気分を変えるのと、モチベーション上げるために
「お前たち人生変えるぞ」。
その一言で、
前向きにしっかり勝ちに行くっていう気持ちにさせてくれた
言葉だなと思っています。

 

-来年予定通りオリンピックが行われるとすると、
 三宅選手は出場を目指す?

そうですね。東京オリンピックを目指すということで、
立場が変わったというか。ずっと末っ子だったんですけれど、
今や僕がメンバーの中では最年長。今のキャプテンも23歳。
僕はキャプテン補佐するような役割だと思ってるんですけれども。
そこで三十歳で、なかなか若いなかでおじいちゃんと呼ばれてる時も
たまにあるんですけど、
やはりメダルを取った唯一の現役選手になっているので。
そういうところで、僕があのロンドンの残りじゃないですけれど、
その気持ちを引き継げたらなと思っています。

 

-8年前の太田さんの人生変えるぞという言葉その通りでしたか?

思った通りではないですけどね(笑)。
けど、あのすごい時代に生まれて、すごい時代を見たなと思ってます。
今も25年フェンシングをやってるんですけど、
これだけ長くフェンシングに携われたことで、
いろんな歴史のターニングポイントに自分がいれたっていうことは、
ある意味人生は変わったのかなと思ってますね。

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