今週のゲストは、
元バレーボール女子日本代表で
ロンドンオリンピック銅メダリストの
迫田さおりさんです。
【迫田さおりさんのプロフィール】
迫田さおりさんは、1987年生まれ、鹿児島県出身。
小学3年生の時に姉の影響でバレーボールを始め、
2006年、鹿児島西高校卒業後、Vリーグの東レアローズに入団。
天性の跳躍力を生かしたバックアタックを武器に、
2012年ロンドン、2016年リオと2大会連続でオリンピックに日本代表として出場。
ロンドンオリンピックでは、
韓国との3位決定戦でチーム最多の23点を挙げ、
28年ぶりのメダルとなるメダル獲得に貢献。
2017年5月、29歳で東レ退団と現役引退を発表。
Vリーグでは、ベスト6を2回、
得点王1回と輝かしい記録を残した。
現在は、バレーボールの試合解説やイベント出演など、
バレーボールを通じた様々な活動に力を注いでいる。
–引退して3年ですが、空っぽになりませんでしたか?
なったんですよね。
引退してすぐに地元に帰るって決めて、
車の免許を持ってなかったので、
「車の免許を取る」っていう目標があったんですよ。
見事取れた瞬間目標がなくなって。
-そもそも引退した理由は?
メンタルの部分で、戦う気力というか、気持ちが薄れてきてしまったので。
こんな中途半端な思いで、
応援してくださる方に申し訳ないなって思って引退を決意しました。
-東京オリンピックを前に後悔は?
絶対ないって言い切れたのでやめました。
言い切れなかったらたぶん続けてたんですけど。
肉体的な衰えは、ありがたいことにトレーナーの方に
トレーニングのメニューを作ってもらって、
体はごまかしながらではあったんですけど、できる体ではありました。
なので気持ちの問題です。
そのトレーニングをやる気持ち、試合に望む気持ちだったりだとか。
そういうのが中途半端になってしまったので。
-中学3年生で身長は?
172~3cmはあったかもしれないですね。
–高校時代は?
学生生活を楽しんで、授業も部活も放課後も、
夏休みも修学旅行を楽しんでっていう。
本当に楽しかったので高校生活。バレーボール選手は高校時代。
国体では鹿児島県の強い高校にポンと入れさせてもらって、
鹿児島西高とは違う雰囲気でその時だけは行ってました。
私が求めてるバレーではなかったですね。
-どんなバレーを求めていた?
楽しいバレーです。私はこの高校に入ってなかったら代表には行ってないです。
違う高校に行ってたら、多分自分は駄目になってたと思うので。
私はここの高校に入ったから、
代表、実業団に声をかけてもらったんだと思ってます。
-一般的に強豪校に行かずに競技人生終わる人がほとんどだと思います。
普通はそうじゃないですか。
でも違うからこそ、
こういう進む道もあるんだよっていうのを伝えたいなって思うんです。
なので強豪校に行かないと実業団に入れないとか、
代表に入れないとか、そんなことは絶対になくって。
一緒に実業団でやってきた先輩方も、高校時代が楽しかったっていう、
先輩はあんまりいなかったですね。
こんなにも声を大にして「高校生活楽しかったです!」なんて言えなかった。
-なぜ東レに行ったんですか?
本当にありがたいことに、あの東レの方が高校まで足を運んでいただいて。
あの練習を見てくださってたんですよ。
私、知らなくって「誰だろこのおじさん」って思ってたんですけど。
そしたらチームメイトに「さおりを見に来てんだよ」って言われて。
「は?何で」みたいな。
実業団があることを知らなかったんですよ。
それでチームメイトに説明されて、「そうなの?」みたいな。
リクエスト曲は?
Green boys / GReeeeN
この曲は2012年のロンドンオリンピックの時によく聴いてた曲なんですよ。
勇気付けてくれるっていう感じですね。
そんな迫田さおりさんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』
–東レに入って驚きませんでした?
なんてことをしてしまったんだという。
こんな世界だったんだって。ほんと何も知らなかったので。
ふわ〜というイメージで来ちゃったもので。
これだけ厳しい世界で、バレー一筋で。
勝つためにどれだけの練習をしてて、
バレー以外にもこれだけのことを学ばないといけないっていうのも、
今まで過ごしてきた生活が180度以上変わってしまったので、
その環境の変化に戸惑いがありましたね。
-バレーボールは?
できないですよね。世界が違いすぎて、先輩方との温度差。
お金をいただきながらバレーボールさせてもらうわけじゃないですか。
そういう責任だったりだとか。
全てバレーに費やすっていうことが今まで本当になかったので。
「練習から本気」「一本を大事にする」「言葉以上で通じ合ってる先輩方」。
あとはバレーから離れても、一年目なので、
先輩たちより早く来て仕事をしたりだとか、
準備をしたりだとか、そういうことのできなささ。
-辛くなくなったのは?
辛くない時なんて一回もないです。すごく先輩方がめちゃめちゃ厳しいんですよ。
スタッフも含めて。今までの自分の考えが甘いので、
「そんな甘い考えだったらここにはいられないんだよ」って伝え方をしてくれて。
メンタルから叩き直してもらって。
練習もボッコボコにしてもらって。
でもコートから離れたら、もう優しいんですよ。
ホームシックで泣いてるじゃないですか、
目がボンって晴れてるのに先輩方が気づいてくれて。
寮でサプライズでサプライズケーキを作ってくれて。
コートネームがリオなので「リオ頑張ろうね」って作ってくれて。
「私は何てチームに入れたんだろう」
って素晴らしい先輩方!って思って、
明日頑張ろうと思ったらボコボコにされて。
でも、コートから離れたら「リオだからあれだけ言うんだよ」とか
「リオは絶対できるから、すぐにやれとは言わないから
リオのペースでいいから頑張ることを止めたら駄目だよ」みたいな、
口にして伝えてくれるんですよ。
-ギリギリ折れそうなところが折れずにきた?
そうなんですよ。折って繋ぎなおしたらだんだん硬くなっていくじゃないですか。
そんな風に成長させてくれるチームでしたね。
-試合に出られるようになったのは?
4年目ですね。遅い方だと思います。
世の中はロンドンオリンピックを見てたんですけど、私は見てないので。
-代表に選ばれた時は?
驚きです。びっくりですよ。不安でしたね。
今まで味わったことのない雰囲気が漂ってましたね。
もちろん、東レもすごいんですけど、代表もまた違った雰囲気ですね。
-ロンドンオリンピック行きが決まった時は?
「親が喜んでくれるかな」でした。
2012年の候補に選んでもらった時に、こんなチャンス絶対ないなと思って。
もしここで。選んでもらったらもしかしたら家族喜んでくれるかなとか、
親喜んでくれるかなと思って。
人のための方が頑張れる体質なのかもしれないです。
そんな迫田さおりさんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『リオを一人にしない、させない、ならないからね。』です
私、結構コミュニケーション取るのが得意じゃなかったので、
一人でいることが多かったんですよ。
なので、そんな私を見た当時東レの先輩・荒木絵里香選手が、
「リオ、バレーボールは一人にしちゃいけないし、
なってもいけないし、させてもいけないよ」って言ってくれたのが、
私にとっては忘れられない言葉ですね。
これは嬉しかったですし、
それをあえて口で伝えてくれた絵里香さんは、本当に優しいなって思いますね。
この言葉は伝えてくれたのが5、6年目だったんです。
それでも私は本当にコミュニケーションを取ることができなかったので、
試合にも出るようになってるのに、
一人になってる私を見て「ひとりにしないから」。
そんな人がチームに一人でもいたら、
チームは勝てないんだよっていう厳しい言葉でもありましたよね。
ほんと申し訳ないんですけど、
一人にならないようにしてもらってたのかもしれないです。
絵里香さんだったり、(木村)沙織さんだったり、声をかけてくださって。
しゃべりやすい雰囲気をだしてくださったりだとか、甘えてました。