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アドベンチャーランナー・北田雄夫さんがチャレンジする一歩を踏み出せた言葉

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今週のゲストは、
世界七大陸のアドベンチャーマラソンを
日本人で初走破した孤高のランナー、北田雄夫さんです!


北田雄夫さんのプロフィール】

北田雄夫さんは、1984年生まれ、大阪府出身。
中学時代に陸上を始め、
近畿大学3年の時に
全日本選手権4×400mリレーで3位入賞。
大学卒業とともに競技を引退し、一般企業に就職したが、
再び何かに挑戦したいと24歳の時にホノルルでフルマラソンに挑戦。
その後、2014年、30歳で会社を辞め、アドベンチャーマラソンに参戦。
2015年に日本人で初めて、オーストラリア521kmに挑戦し世界10位、
2017年の11月にモザンビーク5日間219kmを走破し、
日本人で初めて、7大陸制覇を果たした。

 


-アドベンチャーマラソンとは?

砂漠とか南極、ジャングル、山岳など大自然の道なき道を、
食料、寝袋、サバイバル道具を自らで持ちながら、何百kmも走る。


-荷物の総重量はどれくらいですか?

5kgとか、重たいと15kg。
水はチェックポイントで補給しながら
食料だけは背負っていくっていう感じ。

 

-アドベンチャーマラソンとの出会いは?

インターネットで見つけてしまいまして。
長距離とか大嫌いでしたね。
100mは、数十秒の話なんで、何十分も、
何時間も走ってるのは、ちょっと考えられなかったですね。

-ホノルルを走ろうと思ったのは?

卒業して社会人になって、何かチャレンジしたいなと。
まあ陸上経験者だったんで、1回ぐらいフルマラソンというものはなんぞやということで、
好奇心でチャレンジしたのが始まりですね。タイムは4時間43分。
練習も2ヶ月で週1回、10kmぐらいですね。
なので少しだけですね。タイムも一般の市民ランナーということですね。
 

-走り終わってから本格的に取り組み始めた?

キラキラしていたんですけど、ハマることはなかったですね。
でも、何年か経った時にたまたま大学の陸上部の先輩がトライアスロンをされてて、
その姿がかっこいいって憧れて、トライアスロンしたいと思ってしまって。
長距離は遅いんですけど(笑)。
だれもやってないからちょっとちやほやされるかなみたいな気持ちもあって、
それで始めてトライアスロンの世界で3年間。
 

-そこからなぜ辞めた?

トライアスロンやり始めていったんですけど、
もっと長い距離を目指したいなと言う気持ちも芽生えて。
アイアンマンレースって言われる、もっと長い距離は色々あったんですけど、
日本人の方がすでにされていて、そこで僕のモチベーションがぐっと下がってですね。
まだ誰もやってないことをやりたいっていう気持ちが強くて。
その時にちょうどインターネットで探したんですね。
珍しくて誰もやっていないスポーツ。
「過酷 スポーツ」「クレイジー 変態」みたいに探してて(笑)
それで見つかったのが「アドベンチャーマラソン」だったんですね。

 
-最初に参加した大会は?

中国のゴビ砂漠。砂漠を250kmを6ステージ、7日間で走る。
わざわざそういう過酷なところを舞台にしてまして、
そんな過酷なところ走るっていう。すごく走りづらいんですよね。
靴の中に砂も入ってくるし、アップダウンもありますし。
その時、自分の持っていく荷物が食料とか寝袋とかあるんですけど、
テーピングとかナイフ。ライトとか。
ナイフは足にマメができた時に、水を抜いたり、テーピングを切ったりとか。
その重さが12kg。お米を10kg以上 背負っているような状態で走るっていうのが
なかなか過酷でしたね。
 

-初挑戦でゴールした感想は?
7日間でゴールした時に無茶苦茶喜びがあって。
やっぱり達成感、爽快感。生きる喜びみたいなものがあって。
本当に体ボロボロで、足がちぎれるんじゃないかっていうほどに痛くなって。
食べるものも、乾いたスナックとかカロリーメイトとかパサパサ系しかないですし。
飲み物も持って行った水とかしかもらえず、ジュースとかもないので。
それが終わってから、ご飯お腹いっぱい食べれて、ジュース飲んだらむちゃくちゃ美味しくて。
ベッドで寝ることがめちゃくちゃ気持ちよくて。
シャワーもなかったんで。

 
-勝者に賞金が入るわけでもない大会で何がモチベーション?

メダル。あとは現地の民芸品とかいただけたり。あとは達成感ですね。

 

-七大陸は目標だった?

始めてからうっすらと思ってて。1つ、2つ出た時に明確に目指そうと思いました。

 

-一番地獄だったのは?

地獄…そうですね。毎回あったんですけど(笑)
七大陸制覇の時に、最後にアフリカのモザンビークに行って、
レースは無事完走できたんですが、途中で感染病にかかってしまいまして。
すごくマイナーな「リケッチア」っていう植物にいるダニから感染して。
レース中、むちゃくちゃ体調が悪くなってましたけど、
体調悪いことはあるので、体調崩したのかと思ってたら、
どんどんレース後も悪化していって。
日本に帰っても、どうしようもなくて、病院行ったら緊急入院になりまして。
ちょっとそれは自分でも分からない範疇だったんで、地獄で怖かったですね。
右の足がかまれたんですけど、右半身だけできものがむちゃくちゃできて。
体温も右だけ2度高くて。
ワクチンも打ってたんですけど、死亡率が高かったり、
すぐに処置できないものは打つんですけど、そのリケッチアとかは入ってなくて。

 

リクエスト曲は?

終わりなき旅/Mr.Children 

曲のフレーズにグッとくるものがありまして。
ランニングをしながら脳内でずっと聴いてます。
レース中は
自分の頭の中で流れて、フレーズだけが回っている感じですね。
聴いちゃいけないわけじゃないんですけど、
10g、20gが、重たいので持って行かないってことが多くて。

 


そんな北田雄夫さんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!

『金子の深堀り!』

  

-命の危険はある?

寒くてちょっとやばかったこともありますね。
北極圏に行った時ですけど、マイナス20度でブリザードになりまして。
もちろん装備はしてたんですけど、40km走って山の上で自分の汗が全部凍ってしまって。
それでもなんとか温めながら行ったんですけど。
視界が真っ白いはずなのに、視界の周りから、どんどん暗くなっていって。
最後は自分のライト一つ照らしているかのようになって。
おそらく体力が底を尽きかけたのか、極度の寒さの中で消耗してるのか。
ちょっとまずいな、まずいなぁみたいなって。どうしようと思って。
でもおそらくゴールまであと7、8kmあるだろうっていう感じで。
時間もかかるだろうというとこで、このまま進んでいるのかどうかと思って、
とりあえず持ってた食料でエネルギーを取ろうということで、
手がかじかんで動かないんですけど、
思い切って手袋とって素手でやるしかないなと思ってて。
マイナス20度になると、それ以上冷えてしまうと、なかなか回復するのが大変なんです。
その中で風を防ぎながら、食料を30秒、1分ぐらいで取れたんですね。

 

-その時、食べたのは?

スナックですね。お菓子をよく持っていくんですけど、
ビスコみたいなやさしい味のやつとか、ポテトチップスみたいなもの、
おにぎりせんべいとかをとって、なんとか気分的に回復して。
実際それで視界が晴れたんですよ。
口もパサパサで水分なくなってたので、
その時リュックに保温ボトルにお湯を入れたんですが、
お湯が氷になってて、それで軽いパニックになりまして。
お湯が凍ってたっていう事態を考えてなかったんで。
あと1、2時間ぐらいで着くだろうってことで、
寒さに耐えながらとにかく進むしかないってことで進みました。

 

-レースで亡くなった方もいる?

残念ながら過去にはちょっと遭難とか、亡くなったとかいう話は聞いたことありますね。
目の当たりにはしてないですし、僕の出た大会でもそういう話は聞いてないですね。
他の大会でお聞きします。
基本は自己責任になってしまいますね。
なので参加の前に皆さん一筆書いてですねなんて「責任は持ちません」っていうことで。
あとは、心肺、心臓にちょっと問題抱えてる方とかは参加できないので。
医師の診断書が入ったりとか、そういうのも必要になりますね。

 

-この競技に向いている人の特性は?

ガッツですね(笑)。
走力とか体力よりもガッツだと思いますね。
レースにはトラブルしかないんですよ。
些細なことを気にしてたらダメですし、心が折れたら終わりですし。


そんな北田雄夫さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?

成功よりも成長』です

どなたの言葉っていうことではないんですが、
20代半ばぐらいに出会った言葉で。
自分のなかでも強い言葉になってますね。
どうしても何かをやろうとする時に「成功・失敗」って頭によぎるじゃないですか。
それを考えると一歩が踏み出せなくなってしまうんですよね。
色々考えてしまって躊躇してしまったり。
でも「成長」を考えたら失敗しようが成功しようがチャレンジするのが正解。
結果、自分の中で得ることができたら、どんな困難であっても進むことができるなと。

 

-地獄をくぐりぬけると哲学的になるんですか?

もう自分と向き合うしかないので。
その葛藤しかないので、
哲学的になるのかもしれないですね。

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