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山本博選手が自身に、子どもたちに問いかける言葉

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今回のゲストは、
アーチェリーでオリンピックに5大会出場、
今なお現役選手として活躍中のレジェンド・山本博選手です!


今回は、
山本博選手の『相棒』=「こだわりの用具」に迫りたいと思います。
      

弓と矢これがメインになってくるんですけども。
日本の弓道ですと弓と矢、弦。この三つの構成になってくると思うんですけど、
アーチェリーは的中精度を上げるために、
ルールのレギュレーションの中に従って使える物と使えない物があるんです。
かなりのものを的中性の向上のために使えるもんですから、
一般的にアーチェリーを見ると
「なんか棒みたいのがいっぱい出てますけど」って言われるんですけど、
あの棒はスタビライザーって言うんです。
弓が射った時に、トルク、ピッチング、ローリングという
挙動振動が起きるんですが、これをしっかりと押さえて。
スタビライザーはカーボンっていう素材で出来てまして、
弓が非常に高性能になっていて、射った瞬間に多くの振動が起きるんですが、
その振動を吸収するという意味でもスタビライザーは効果的だったりするんですね。

 

-弓以外に、矢のカスタマイズも可能ですか?

もちろんです。矢はジュラルミンというアルミ系の素材で作られていて、
非常に硬くていい素材なんですけど、
これが一般的だったのが1980年代中盤まで。
以降、より速い飛翔性を求めてカーボンアローというのが登場しまして。
カーボンの矢が世界を席巻して、今は上級者でカーボン以外ありえないですね。
アルミ矢の時代は上級選手でも男子で
初速200キロを超えることはなかったんですけど、
今は高校生でも大学生でも200キロを超えますし、
オリンピックを目指す男子でしたら初速240〜250キロをいくようになりましたので。
屋外で雨風の影響を受けながらプレイする上ではもう圧倒的に有利なので。

 

-アーチェリーは何歳から始めればいいですか?

今の時代でしたら中学1年生ぐらいからスタートするのがちょうどいいと思いますね。
小学生からはまだ早いと思います。
ある程度体が出来上がってからで十分だと思いますね。
アーチェリーを運動として僕は子どもたちにあまり勧めないんですよ。
なぜかっていうとですね右ききの選手は左だけずっと見てるんですね。
体の使い方としては左腕は押すだけ、右腕は引っ張るだけ。
左右のバランスが同じ動きを右左しませんし。
こういったことを発達段階で、
夢中になってやるのはどうなんだろうって思いがあるもんですから。

-他のスポーツもやった方が?

アーチェリーを楽しんでもいいんですけど、
それと並行してサッカーだとか他のスポーツも楽しむべきだと思いますので。
専門的にやっていくのは。
中学・高校ぐらいから専門的になっていくのが
世界を目指すべきではいいと思いますけども。
それでもプレーをしながらもトレーニングをして、
左右の筋力差っていうものはないように、
しっかり心がけてくことは重要だと思いますね。
 

-体が出来ていないうちからやりすぎると弊害もありますもんね?
僕が入院したときに思ったんですが、
そこが肩・ひじで有名な病院だったんですけど、もうね子供達が多すぎ。
小学生、中学生のころからひじを壊したり、
肩を壊しちゃってきてる子が多いんですよ。
これはやはり指導される皆さんが、反省して頂いて、
より医学の皆さん、リハビリの皆さんの意見を取り入れて、
子供たちをスポーツでの慢性的な障害が起きないように導いていくことを
意識しないと、勝つことだけを前面に出しては
駄目なんじゃないかなって強く思いました。

 
リクエスト曲は?

虹 / ゆず

虹って荒れた天候の後に必ず現れるもので、我々スポーツ選手にとって、
まぁ僕自身も含めて、他の選手達も特に試合会場なんかに虹が出るとですね、
気持ちが晴れ晴れしくなったり、
人を元気にさせられるものなんで、是非皆さんにも聞いて欲しいと思います。

 


そんな山本博選手に、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!

『金子の深堀り!』

 

-初めて出たロサンゼルス五輪で銅メダル。
 当時の山本さんの本命は88年のソウルだったんですよね?

ロサンゼルスは、東ドイツが出場しませんでした。
ソウルは両方が揃ったんですね。僕はソウルで8位だったんですけど、
僕よりも上の順位の人たちの中で東側の皆さんを抜くと3位なんですよ。
ですからあの僕は、この4
年間レベルが上がらなかったと。
あとは、ロスの時もこの人達が来てたら8位だったかもしれない、
ということを僕なりに向き合いましたね。
なので、次のバルセロナに向けて西も東も両方揃っても、
トップになれるように自分の基礎的なスコア、自分の持ち点ですね、
その点数をもっと高めようということに、
とにかく気持ちを集中して前に進んだんですけど。
その後1990年に世界記録を樹立したんですね。70mという距離で344点。
当時、僕としては
「誰も経験したことない世界に自分だけ一人が入れた」ってことで。
ロサンゼルスで銅メダルを取った時に匹敵するぐらいの充足感がありましたね。
その直後、バルセロナオリンピックで競技種目が変更になって、
今後70mだけでしか競技しないと発表された時に、
これから僕はもうバルセロナで金が取れるなということで、
自分の中で期待しましたね。

 

-実際はいかがでしたか?

予選ラウンドは順当に上位で通過して、ベスト32名が1回戦を対戦すると。
1回戦目に本来なら僕と同じぐらいの順位で予選を通過しなければいけない、
ザブロドスキーって言う、元世界チャンピオンが
僕の1回戦の組み合わせに入ってきちゃったんですね。
これで一瞬で「嫌だな」って思ったんですよ。
もう嫌だなって思った時点で物語は負の方向に向かったのかもしれません。
それで1回戦負けでね。もうこの時は本当ショックでしたね。
それからバルセロナ、アトランタと2大会連続で
オリンピックの成績がどんどん落ちて、メダルから遠のいて。
2000年のシドニーは国内予選で落ちるという。
初めて自分の中でオリンピックにいけないっていう経験をして、
本当どん底でしたね。

 

-辞めようとは思わなかった?

やっぱりシドニーオリンピックで負けた翌日練習しようとしましたからね。
その時に練習をしなかったら僕自身、
完璧に自分が負けたっていうのを自分が認めたような気がして。
でも諦め悪く練習場に行ったんだけど、弓が持ち上がらなくて。
初めての経験ですね。弓を持ち上げようと思って一所懸命がんばるんですけど、
どんどん気持ち悪くなって冷や汗が出てきて。もう諦めました。
弓に対して拒絶反応。それでも引退は考えないんですけど、
かなりまずい状況に落ちてしまったっていうことはもう認識しましたね。

 

-そこからアテネ五輪で銀メダルを獲得します。

僕の幸運ですかね。一生懸命に取り組む生徒がいて、
その子達に日々僕がずっと指導をして、
アーチェリーで何かを学んでもらいたい。
その時に僕自身、勝利至上主義な指導者になりたくないっていう思いがあって。
アーチェリーで散々って言うほど僕は勝ってきてるんですけど、
負けた人たちの人生が決して不幸になってるわけじゃないし。
僕自身も勝ってきてるけどものすごく負けてるんですよ。
だから大会で負けた子たちに
「今回のことを自分自身の糧として、
とにかく次に向けてまたもう一度しっかり頑張っていけばいいんだよ」と
アドバイスしてたのに、自分自身ができなくなってるわけじゃないですか。
そこで僕自身の人に言っていることと、僕自身が全然違うことに気がついて。
じゃあ子供達と僕の違いは何だろうと。
それから僕の中学・高校時代と今何が違うんだろうと。
よく考えた時に、とにかくロサンゼルスでメダルをとってから、
僕はソウル、バルセロナ、シドニーと、
金メダル取ることだけしか考えないでアーチェリーやってきて。
たけど指導する側になると、勝利至上主義じゃないことを指導してきて。
なんで自分のことには全然違う事やってきたんだろうということに
子供たちと向き合ってて気がついたんですね。

 

-そんな山本さんの本が出版されます。

本当に久しぶりに本を出版しまして、私の競技者人生45年間を、
一冊の本にまとめさせていただきました。
この機会にと思いまして、色々なこと僕自身の思ったことを、
赤裸々に書かせていただきましたので是非ご購読を!

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「我が道」山本博

真っ直ぐな一本の矢はいつしか「中年の星」と呼ばれるまでになった。

スポーツニッポン紙上での自伝連載を書籍化した「我が道」シリーズ、
今回はアテネ五輪男子アーチェリー銀メダリスト・山本博氏の物語をお届けします。
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そんな山本博選手が今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?

「目的を見失うな」

ロサンゼルス五輪以降、なぜシドニーまで迷走したかっていうと、
本来スポーツをやる、アーチェリーをやる目的っていうのは
金メダルを取ることじゃないんですよね。
目的っていうのは僕の中で今日できなかったことを、
明日できるようになりたい。
不可能を可能にしたいというのが、僕にとっての一番の目的で。
その時にアーチェリーが上手くできるものだったんですよね。
その時に目標としてこの大会で勝ちたいなっていう目標があって、
それをクリアしてきたんですけど。
いつしかやはりオリンピックでメダルをとって、周りから期待されて、
僕自身も期待して。
金メダルを取らなきゃなっていうことで、
いつしか目標と目的が入れ替わっちゃって。
それが、僕の大きな失敗だったので。
2度と同じ失敗をしないように、40代からはあらゆることで
「目的」か?「目標」か?というのを確認するようになりましたね。
これをしないと、スポーツの指導者だったら勝利至上主義になったり、
会社の経営者だったらコンプライアンス遵守が出来なくなってしまったり、
色々なことが僕は生じるんじゃないかと思うので。
教え子たちにも何のためにアーチェリーをやってる?
何のために大学に通ってる?っていうのを
「目的は何?」っていうのが習慣になってるのでこの言葉を選びました。

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