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アーチェリー・山本博選手が自身に一番強く訴えている言葉

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今回のゲストは、
アーチェリーでオリンピックに5大会出場、
今なお現役選手として活躍中のレジェンド・山本博選手です!


山本博選手のプロフィール】
 

山本博選手は、1962年生まれ、横浜市出身。
中学1年からアーチェリーを始め、高校時代はインターハイ3連覇。
日本体育大学時代には、インカレ4連覇。
1984年、日体大在学中にロサンゼルスオリンピックで銅メダルを獲得。
20年後の2004年、アテネオリンピックでは、
41歳で銀メダルを獲得し「中年の星」と呼ばれた。
 現在も現役選手として活躍する一方、2013年から母校・日体大の教授に就任。
2014年からは東京都体育協会の会長も務めるほか、
東京オリンピック・パラリンピック競技委員会顧問会議顧問と、
多方面でも活躍中。

 


 

手術をなさったとか?

8月の初めに試合に出た直後から両腕の痺れが酷くなって、
「放散痛」って言うんですけども。
激痛になって三日間ぐらい夜も寝られないぐらいになってしまったんですね。
それで、母校の弘前大学医学部(2015年・医学博士号を取得)の恩師に相談したら、
「良い先生がいるから」ってことで診てもらいました。
「胸郭出口症候群」という病名が診断されて。
今後の現役生活を続けるために手術しようということになって、
8月の末に左と右と手術を2回しましたね。
今はリハビリもスタートして非常に良い状況になってるので、
手術して良かったなと思ってます。

 

-リスクはなかったんですか?

まず、やっても効果が出ない可能性が予想されたんですよね。
でも効果がなくてもMRIだけではなくて、
中を見ていただくことは決して無駄にならないだろうと。
あとはやはり医師への信頼ですね。
この術式で、毎日毎週何人もの患者さん達を救ってきているという先生の経験を
僕は信じて、かけてみたいと。

 

-そこまでして手術した理由は?

やはり2024年のパリ五輪を目指したいという思いが強くて。
手術をしなければ今、日本のトップの選手達と互角には戦えないっていうのが
自分の中でありましたね。

 

-アーチェリーにとって年齢はハンデになる?

老いはやっぱりハンデですよ。決定的なハンデですね。
でもハンデを克服する方法を見つけ出せればハンデじゃなくなります。
そのまま放置するからハンデになるんで。
若い人たちはハンデがない分、その対処をしなくていいと。
私が一番最初にやり始めたのは歯が悪くなって、インプラント治療をしたんですけど。
このインプラント治療を40歳過ぎてからスタートしました。
それから目の乱視がひどくなって。アーチェリーの的を狙う時に、
斜めで的をずっと見ていくんですけど、この使い方がよくなかったのか…。
それでレーシックの手術を2回行って、だいぶ改善しました。
これでハンデは無いと思っていたら、50を過ぎて腱板が壊れて。
でもこれも諦めることなくですね、手術をして治せると。
手術して戻ってる人がいるんだったら僕も元に戻そうということで。
今、スポーツ選手にとって何が幸せかというと、
医療技術がとても進んだということですね。
僕の知らないところで多くの医療関係者が日々研究を重ねてくれて、
加齢によって起きる色々な病気に改善策を研究してくれています。
  

-なぜ山本さんだけが50歳を超えて現役アスリートでいられるのでしょう?

まずは、僕がプロフェッショナルの選手じゃないということですね。
僕の定義ではプロの選手というのは、
自分のプレーでお金を払ってでもスタジアムに足を運ぶ人たちがいなくなったら
引退せざるを得ない。お金を払う価値がないと。
私はもうアーチェリーを始めた時から今日まで、
アーチェリーでお金を稼いできてないので。
自分自身が自分に期待して、自分にとっての一番熱狂的なファンが自分なんですよね。
あらゆる困難があっても色んな人たちの協力を得て、
とにかく最高のパフォーマンスをしたい。これだけなんですね。

 

-老いにメリットはある?

アーチェリーにおいては、メリットはないですね。
よく「経験が活かされるんじゃないか」って質問されるんですけど、
経験は邪魔になることが多いですね。
経験を活かすんだったら監督かコーチ。
山本がこれまでに45年間やってきたプレーを生かして、
監督・コーチの立場で選手にアドバイスすることはできると思うんですけど、
自分が選手でプレーをしている時に、多くの過去の試合の例から、
これが負けパターンであったり、勝利パターンであったり、
先読みが出来てしまうっていうのは非常に邪魔になってしまうかな。
経験値はないほうがいいっていうのが、僕の今の現在の結論なんですよ。
  
 
-山本選手のいまの課題は?
アーチェリーは瞬発力。
その時の自分の瞬間の判断でシューティングしていく連続なので。
過去を振り返ってる時間ってないんですよね。
僕の今の課題は、過去を断ち切る。
中学1年生からアーチェリーを始めてるんですけど、
中学生、高校生、大学生の時のような。
これから起きることにワクワクしながら、
例え99%誰もが山本の負けだって思ってる時でも勝てると信じて打てるような、
そういう心を保ち続けることが重要なんですよね。

 

リクエスト曲は?

栄光の架橋 / ゆず 

2004年アテネオリンピックの時に、この曲をゆずのお二人が歌っていて。
私に限らず、本当に多くの選手がこの曲に勇気づけられて。
また、これまでの自分のオリンピックまでの道のりを振り返って
非常に共鳴できる曲だったんですよね。
本当にこの曲は何度も聞きましたし。
また縁あってオリンピックが終わってから
ゆずの二人と知り合うことができて。
それでリーダーの北川くんが僕と高校が同窓なんですね。
横浜高校なんですよ。それを知ってしまってから、
僕は先輩風を吹かさせて頂いて。
今日まで非常に親しく…僕の方はさせて頂いてるんですけど。
向こうは「やだなー」って思ってるかもしれないですけど(笑)

 


そんな山本博監督に、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!

『金子の深堀り!』

 
-実は、
初出場の1984年のロサンゼルス五輪は後味がよろしくなかった?

初めてのオリンピックということで。
僕らは記録競技なので、大体自分の記録をもってして
オリンピックでどのくらいの順位に行けるかっていうのが
ある程度読めるわけです。
そんな中で僕はだいたい8位前後だなという読みがあったので。
そんなに力も入らずに次のソウル五輪を目指して、
まずはオリンピック慣れぐらいの気持ちであったんです。
でも、意外と自分の調子が非常に良くて。
あと僕よりも非常に持ち点の良い先輩選手たちが硬くなってる。
モスクワ五輪がなかったからですかね?非常に硬くなってる。
一方で私はリラックスして打てたっていう、
僕自身にとっての追い風もあったんです。

 

-結果はどうだったんですか?

3日目までずっと高順位で。
このままゴールすると銀メダルとれるかなあなんていう思いが僕の中にもあって。
1位が天才と言われるダレル・ペイス選手がダントツで飛び抜けちゃったんで。
僕自身、最終日でもメダルを意識することなく、
かなりのびのびとプレーしていたんですよ。これは僕の中で非常に幸運だった。
ところが285本打ってあと残り3本でゲームセットというところになったところで、
残りの3本のプレーに入って。
1本目を打ったらど真ん中だったんですよ。
それを打った瞬間、銀メダルで表彰台に上がってる自分までが想像できてしまって。
「これで表彰台だ」って思った瞬間、急に硬くなってしまって。
 
-銀メダルがよぎったんですね?
全然弓が思い通りに引けなくなっちゃったんですね。
何度も引き戻しをして。びっくりしました。
あのまま平気なままゴールしてたら2位だったなと。
終わった直後はもう悔しくて悔しくて。
最後の2本の内容が本当に悪かったから。
メダリストが引き戻しを何度もして最後フィニッシュするなんて…情けない。
やはり人というのは脳が体を支配しているなと。
どんなに健康な体でも、脳が不健康になったら
健康な肉体とは言えないって思いましたね。

 

-そこから次はソウル五輪を目指しますよね。

21歳で銅メダルを取って、
僕の中ではソウルでピークがくるんじゃないかという風に思ってましたから。
次は銀か金。この2つをターゲットに頑張っていけばいいんだっていうことで、
心の中もポジティブなことしか浮かばないような状況でした。
それに、具体的な事を言うとロサンゼルスでの大会は
時差調整とか色々なことで苦労するんですけど、
お隣の韓国でのオリンピックは時差調整もない、
長い時間の渡航もないってことで、
我々アジア圏の選手には有利だっていう風なことも、
自分なりに勝てる裏付けとして考えてましたね。
 

-その辺りのお話はまた次回伺います。

 


そんな山本博選手が今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?

『諦めたら明日は変わらない』です

僕自身に一番強く訴えている言葉で、
あと私が今、関わっている学生諸君に伝えている言葉なんですけど。
やはり「明日」っていうのは何もしなくても来るし、
何もしなくても終わるんですけど。
自分の目指す目標だとか、夢に向かって自分が主体的に
何かアクションを起こして変えていくんだ
という思いを持つべきだっていう考えがあるんです。
これは40代を過ぎてから自分の体に色々な変調が起きてきて、
マイナスな要因が自分の体に起きてきた時に、
自分がアクション起こして
多くの人達に協力を求めていくようなことをしていかなければ、
誰もが手を差し伸べてくれるわけじゃないというな思いがあって。
そういう経験から明日を変えたかったら、自分がとにかく諦めずにやると。
周りから手を差し伸べてもらえることもありますけど、
自分が「いや無理ですよ」と諦めてしまったら何も変わらない。
なので自分自身がとにかく明日を変えるんだって主体的に強い思いをもって。
諦めなければゼロには絶対ならないっていう思いがあるんですよ。
諦めたら翌日は流されるしかない…という思いがありますね。

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