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茂怜羅オズ監督が10歳の時、試合で大敗して監督から言われた言葉

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今回のゲストは、
ビーチサッカーの世界ナンバーワンプレーヤーで、
今年6月、日本代表の監督に就任された
茂怜羅(モレイラ)オズさんです!


茂怜羅オズさんのプロフィール】
 

茂怜羅オズさんは、1986 年生まれ、
ブラジル・リオデジャネイロのコパカバーナ出身。
6歳でビーチサッカーを始め、16歳でプロ入り、
ヴァスコ・ダ・ガマなどでプレーしたのち、21 歳で来日、
2007年から2015年まで東京レキオスBSでプレーされました。
その後、イランやスペインのバルセロナを経て。
2017年からは、東京ヴェルディBSで選手兼監督としてプレー。
2012年に日本国籍を取得され、ラモス監督が率いるビーチ日本代表入り。
ワールドカップでは2013年のタヒチ大会
2015年ポルトガル大会の両大会でベスト8入りに貢献。
去年のパラグアイ大会では、日本を4位に導く活躍を見せ、
大会MVPにあたるゴールデン・ボールを受賞。
そして今年6月、ビーチサッカーの日本代表監督に就任、
来年のワールドカップ・ロシア大会に向けて、
その手腕が期待されている。


 

6歳の時にビーチサッカーを始められた?

はいそうですね。ちょうど地元はコパカバーナビーチなので、
実家から歩いて5分でビーチにいけますので。
治安は、あの時まだ安全でしたね。
6歳で実家から海まで一人で行って練習してましたので。

 

-普通のサッカーは?

地元にサッカー場がなくて、
だいたい友達とストリートサッカーをしたり、
海に行ってビーチサッカーをしてたんですけど。
途中からサッカースクールのほうにスカウトされてサッカーもやりました。
 

-ポジションは?

センターバック。周りのチームメートと比べると背が高かったですね。
でも正直、ビーチサッカーをやりたくて。
ただ家族、周りのコーチがやっぱりサッカーをやった方がいいって
言われましたので、2ヶ月間ぐらいサッカーでトライアウトをしてて。
最初の方はやっぱりスパイクとかも慣れなくて。
靴を履くことも好きじゃなかったので。
やっぱりストリートサッカーをする時もみんな裸足でやったりするので。
初めてスパイク履いてボールを蹴ろうと思った時に、
ビーチサッカーだとファーストタッチでボールを浮かすんですけど、
コーチはそれを見てびっくりしてましたね。

 

-ビーチサッカーに専念したのはいつぐらいから?

午前中サッカーやって、午後は学校行って、
夜はビーチをやってたんで。
使う技術とかビーチの方が面白いかなと思って。
サッカーとは違ったんで、だから両方とも上手くなればいいかなと。

 

-プロを意識したのはいつ頃から?

10歳からビーチサッカーのプロ選手になりたくて。
その時まだFIFAビーチサッカーワールドカップがなかったんで。
そういうクラブ世界大会みたいなのがあって。
よくスタンドから見に行って。
ビーチサッカーはサッカーに比べて大きくないんですけど、
5000人か6000人ぐらい入ってて。雰囲気が全然違う。
海のそばで選手たちと距離が近くて。
自分もこういう中でプレイしたいなと思いまして。

 

-当時のブラジルのビーチサッカーのプロのギャランティは?

ロマーリオ選手とか、ジーコ選手とか、
有名な元サッカー選手がビーチに来てたので。
スポンサーとかは今と全然違いますね。
あの時の方がすごかった。
今でもあるんですけど、当時から毎試合テレビで生放送していたので。

 

-プロになったのはいつから?

16歳の時ですね。その時、ビーチサッカーのクラブチームがなくて。
リオ選抜メンバーとかサンパウロ選抜メンバーとか集まって、
全国大会が行われました。
そこでスカウトされて。私はリオ出身なんですけど、
サンパウロの選抜メンバーになりました。
サンパウロってビーチサッカーをしている人がいなくて、
フットサルなんですよ。だからみんなリオ出身ですけど、
サンパウロのユニフォームを着てプレーしてました。
練習場所もコパカバーナビーチ(笑)
そこで、トライアウトを受けて2004年のブラジル全国大会出て、
初めてプロ契約しました。

 

-そこで何年プレイしたんですか?

2年でしたね。ブラジルの全国大会で2年連続優勝しました。
その後は「ヴァスコ・ダ・ガマ」っていうビーチサッカーチームもできて。
そこに所属しながら、20歳の時にドイツに行って1年間プレーしました。

 

-カルチャーショックはなかったですか?

全然違いましたね。海はないし、寒いし。
初めて雪を見て寒い中でプレーしたんで。
まあでもそういう大変なことがあったからこそ
強くなることができたと思いますね。
その次に日本に来ました。

 

-なぜ日本に来たんですか?

ドイツに行く前に、日本から招待されたんですよ。
前、所属したチームの「東京レキオス」というチーム。
ただ、ビザの関係で上手くいかなくて来ることができなかったんです。
それでドイツでプレーしてる間に、
またビザの準備をして2007年に日本にきました。
自分も日本に来ることは全然考えてなくて、
ヨーロッパとか行ってみたいなと思ったんですけど。
ブラジルでプロ選手になって、優勝して喜んでたんですけど、
チームのキャプテンとかエースから
「お前は試合に出ていないんだから、それで満足している場合じゃない。
スタートのところからいてチームで優勝したらリスペクトします。」って言われて、
それがずっと頭の中に残ってて。
ドイツで優勝しても当たり前のことじゃないですか?
それでスタートのところからいて結果残せばすごいなと思って。
これは日本に行くしかないなと思いました。

 

-日本に実際来ていかがでしたか?

本当にみんな遊び・趣味としてやってたので。
自分がブラジル、ドイツで高いレベルでやってたなかで、
ボールの浮かし方もわからなかったんですよ。
みんなミスしても普通に笑ったりとか、
「ドンマイ、ドンマイ」とか言うじゃないですか。
ブラジルでミスしたら相当怒られるんですよね。
それでは最初ちょっとやりづらかったなあと思いましたね。

 

-それで辞めようとは思わなかった?

思わなかったですね。逆にどうやってこのメンバーで強くなって
レベルアップして世界で戦えるかなっていう思いでしたね。

 

リクエスト曲は?

FIFA Anthem  

ワールドカップに出たいっていう夢があって、
日本に来てからもっと、日本のことを好きになって、
日本代表の選手としてワールドカップに出たいって思ったんです。
日本の国籍を取るまで5年間かかったので。
よくテレビでワールドカップを見たりとか、
サッカーのワールドカップも見てて。
ずっと夢の中だったので実際に初めてワールドカップ出て、
この音楽聞いたらモチベーション的に全然違う。
もう本当に説明できないぐらい。
何回かワールドカップに出たんですけど、
毎回聴いても初めてのワールドカップっていう感じがしますね。
私ここにいるのか?ずっと夢の中にいるみたいです。
 


そんな茂怜羅オズ監督に、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!

『金子の深堀り!』

茂怜羅さんは、2014年に世界一の称号も手にし、
 世界の年間ベストプレイヤーに5度、選出されています。
 日本のレベルは追いついてきたんですか?

日本に初めて来て、今の日本のレベルを見ると、
凄いレベルが上がってきてますね。
前より強くなってきてるので、だから本当はもっともっとできると思うんですよ。
技術的には海外の選手に負けてないんですよ。
やっぱりメンタルの部分が負けてると思いますね。
その自信が強くなれば世界を獲ることは夢じゃないと思います。
試合の時には緊張することもあるし、難しい試合も出てくると思うけど、
ビーチサッカーとかサッカーも私は見てるんですけど、
もっと勝てるっていう自信があれば、
絶対ワールドカップで優勝することができると思いますね。

 

-自信はどうやって育てられる?

今、チームメートにアイデアとかをいろいろシェアしてるんで。
東京ヴェルディの監督兼選手も4年目ですけど、
そういう取り組みの中で、メンタルを強くするとか、
自信を持つために、こういうメニューも考えています。
指導者というより、チームメイトのモチベーションとか
試合に参加できるものを私は考えてます。
いつも考えてるんですけどブラジル人がサッカーに厳しすぎるか、
日本人がサッカーに対して優しすぎるか。
日本では負けても皆
「お疲れ様でした。よく頑張りました」っていう言葉を出すじゃないですか。
 
-ブラジルでは?
ブラジルだと負けたら「出て行け」という言葉が出てくるんで。
だからどっちがいいかなーっていう。
自分も初めて日本に来て、厳しさとか持ってきて。
強く言うと皆モチベーションがなくなって、怖がるぐらいですね。
そしたらもっと自信がなくなるので。
まあ今日本に来てくから13年経ちますけど、どうしても勝ちたいですよね?
じゃんけんでも負けたくないんで。
厳しくしたりとかやったりするんですけど、
その後、話したりとか説明したりとかもプレッシャーに負けないように話もしてます。
日本人はトレーニングマッチとか練習試合だと
みんな余裕を持ってやってるんですけど、
試合になってくると緊張感で負けてるかなと思いますね。

 

-経験が少ないんでしょうか?

少ないですよね。
だからまあどんどん海外に行って、強いチームと対戦して、
最初は結果がでないかもしれないけど、
そういう経験を与えないとこれ以上レベルアップはできない気がしますね。

 


そんな茂怜羅オズ監督が今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?

『敗者のことは誰も覚えていない』です

これは10歳の時、ビーチサッカースクールの監督から言われましたね。
6歳から10歳まではエンジョイみたいな感じで
試合組んだりとかしなかったんですけど、
ただ10歳になってくると地元にサッカースクールいっぱいありまして。
ブラジル代表のスタジアムの中で、
試合前のエスビジョンマッチの試合があって
初めてそのスタジアムでプレーしました。
それで、所属していたビーチサッカーチームは、
まだ立ち上がって1週間で全然強くなかったんです。
結果は14-0で負けました。
その試合が終わって、監督が「これから頑張りましょう」って言うと思ったんです。
でも監督が「お前たちこのままだったら無理だよ。」
一週間しか練習してないんですよ?
でも、
「敗者のことは誰でも覚えてない。これからみんながプロ選手になりたいなら
 忘れない方がいいよ」と言われましたので。
それをずっとプロになってから周りのチームメートでも、
ブラジルで有名な言葉ですけど、よく言われてましたよ。
ブラジルで全国大会初めて優勝して
「お前のこと誰も覚えてないよ。試合に出る時間も少ないからそれで満足したら、
 どこまでも夢が叶わないよ」って言われたんです。
だから今は監督兼選手をやりながらチームメートにも伝えてますね。
日本人はびっくりするかもしれないけど、
でも本当のことですね。最後の最後は結果を残したいってなるんで。
去年のワールドカップでは私達、4位で終わったので。
結局メダル取ってないし、優勝もしていないから。
もしメダル取ったらビーチサッカー界が今とは違ってたかもしれないですね。

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