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室伏由佳さんが感銘を受けた、兄のメダルに刻まれた言葉

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今回のゲストは、
陸上女子ハンマー投げ日本記録保持者で、
順天堂大学スポーツ健康科学部講師、室伏由佳さんです。

 


今回は、
室伏由佳さんの『相棒』=「こだわりの用具」に迫りたいと思います。

陸上女子の投てき用のハンマー4kgと、
女子の円盤1kgです。

 
-ハンマーはソフトボールぐらいの大きさで、
 円盤は大きめの取皿ぐらいの感じですか?

円盤は、「鉄」が色々配合してあるものがあって、
厚みは3センチぐらいで縁の方が細くなって
指に引っ掛けやすくなっている形状ですね。
さっき取り皿っていいましたけど、取り皿同士を重ねたような形状をしています。

 

-競技場にあるものをチョイスするわけじゃないんですね?

マイハンマー、ヤリ、円盤、砲丸などは持ち込んで、
検定を受けてから使うことができます。
日本はニシ・スポーツさんが世界に誇るメーカーなんですけど、
陸上の砲丸、ハンマー、円盤などの種目は、
オリンピックの金・銀・銅を獲得しているんです。
海外の選手も大好きで。重心がとても精密で、職人技で作ってるんで。
そして壊れにくいんですね。
国際大会が日本で行われた時には海外選手がきたら、
大会会場に色んなスポーツメーカーさんがブースを出しますよね。
そこに「ユカ連れてって」って試合のあと選手たちに言われて。
「何個か買って国に帰りたいから」って言いながら持って帰ってます。
あと国際大会では、検定を受けた自分のものであっても
他の選手も使えるというルールなんですよ。
それが前提に持ち込みオッケーとされているので、
「貸して?」って言われたら「どうぞ」って言って。
拒否したらもう持ち込めないので。

 
-貸すのも借りるものOKなんですね?

みんなが平等に使えるって言うルールなんですよ。
それで、海外の選手も色んなメーカーを用意されてるんですけど、
「ニシ」の円盤はこのタイプがみんな大好きで。
「ユカ貸して」って言われて、
アジア大会とかでメダルを取ってくださったり。
自分は負けるんだけど「私の円盤で、ありがとうございます」みたいな(笑)
何自慢なんだろうコレ(笑)
だけど、ちょっとした感覚でみんなが良いって分かるものを、
物作りとして日本の精度は本当に誇りですね。

 

-ハンマーを始めたきっかけは?

ハンマー投げを始めたのは、
大学4年の秋に陸上のシーズン終わりますが、
シーズン終わって学生の試合が全部終わったあとにハンマーをやろうと思って、
やらなかったんですね、反発して。
でも、やっぱりやりたいんだと思って。
父に「今からやってオリンピックチャレンジは間に合うか?」って聞いたんですね。

 

-なぜ今までやらなかったんですか?室伏さんの娘だから?

…というのもあります。
あとは2つの競技をするのは体力がいるし、
円盤を辞めるって事はちょっと考えられなかった。
あんなに格闘して自分と向き合ったものを、
ハンマーにポンっていっちゃうっていうことは、
私はできなかったんですね。賭けみたいな感じなので。
両方やりたいし、
ハンマーを22歳になって技術力が求められる競技をできるか?って聞いたら
「今すぐに練習をやれば半年後の社会人になる4月のシーズンが始まる頃に、
なんとか試合に出れるように間に合わせることはできるだろう。
オリンピックに出れるか分からないけど、
近いところまではいける可能性があるよ」っという風に言ったんですね。
私、ちょっとかじってたんですよ。
 
 
-どちらかに絞ったのはどんな理由から?
やっぱり女性のハンマー投げが公式種目になったのは
2000年のシドニーオリンピックだったんですね。
円盤の選手ってすごく大きい人が多いんですね。
180〜190cm。でもハンマーはそんなに大きくなくても、
なんとか技術でカバーできる可能性がある。
4年生のも最後になって今なら自分にはできる余裕、
余地ができたと思って、始めるわけなんですね。
半年間、円盤とハンマーをみっちり練習をして、
社会人になって第1戦目に始めに良い成績が出たのは円盤の方だったんですよ。
日本記録をそこで更新をして。相乗効果が生まれて。
   
リクエスト曲は?

Fragile / カイゴ & ラビリンス 

カイゴさんも、実はオリンピックの閉会式で DJ を務めたという方で。
このカイゴさんがデビューした年にですね、
いきなりオリンピックで DJをやったっていう。
彼もまだ28歳なんですけど、若手でね。
あえてオリンピックつながりということでチョイスさせていただきました。

 


そんな室伏由佳さんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!

『金子の深堀り!』

 

-室伏さんが入っている「日本アンチ・ドーピング機構」とは?

アンチドーピングの世界統一のルールができたのは、
実は20年ぐらい前なんですね。
スポーツの歴史からするとつい近年っていう感じなんです。
2000年のシドニーオリンピックに間に合わせるように
「世界アンチ・ドーピング機構」ができました。
歴史をさかのぼると、前の東京オリンピックには
ドーピングの蔓延が認められていた時代だったんですね。
1950年代。しかも「アナボリックステロイド」と言って
筋肉増強作用のある物質を使った薬が流行り始めてしまった。
これではいけないということで、
国際オリンピック委員会 IOCがそういう機関を作って検査をしようと、
東京オリンピックで試みようとしたんですが、
選手から十分な協力を得られずに、その後、
4年間かけてメキシコシティのオリンピックで
同じ年にグルノーブル冬季オリンピック。
あの年にようやく正式にスタートできたんですね。
 

-検査方法は?
競技会での検査をしてました。試合に出た人に検査をするという方式。
そこからだいたい20年弱した時には、抜き打ち検査をやり始めたんですね。
でも国際的に同じ共通のルールではないし、
罰則も国によってまちまちでした。
国によっては1回でも違反したら「オリンピック出さないよ」っていう国もあったり。
今の規則では2回規則違反になったら競技者として
どのスポーツもできないよっていう共通のルールはありますが、
その当時はなかった。
どの物質がっていうリスト化をして。
シドニーオリンピックに間に合わせようということで第三者組織を作ったんですよ。
その中で共通ルールが作られたのが2003年。
規程ってコードって言うんですけど、
アンチドーピング機構のルールを破ってはいけない、
そこに署名をしないとオリンピックに出られない仕組みを作っていったんです。

 

-不正を見抜くだけではない?
2015年から検査してあぶり出そう、
検査して不正者を見つけようっていう風潮から、
もうちょっとスポーツに価値を感じることを、
選手自身に捉えてもらわないといけない。
若い世代から教育して、「何でスポーツを始めたんですか?」
「なぜあなたにとってスポーツ大事なんですか?」っていう
教育+不正をしないようなドーピングに関する知識っていうものを
教育していかなければっていうのが、
今のコードなんですよ。
それを東京オリンピック・パラリンピックに向けて
日本がそれを一生懸命進めてきたんですね。

 

-そこになぜ室伏さんが入られたんですか?

私の兄(室伏広治)が、
アテネの表彰台を銀メダルで授与されてるんですね。
大きな騒動に巻き込まれたこと。それを身近で見ていたこと。
私の種目でも違反者はいっぱいました。
後から剥奪された人も実はいるんですね。
あと陸上競技はドーピング違反者が多いんですね。
重たい物を遠くに投げるとかすごい力が入りますし。
アスリートとして、そうした状況を良く知っていて、
大事なところを伝えられる人っていう人選をしていって
啓発を行っている状態ですね。
私にとってはモヤモヤしていたことが繋がったところがありました。
この競技は違反者がとっても多いので。
なんか自分と同じ世界で試合してるはずなのに、
違う世界の人が混じってしまっている感覚がずっとありました。
それが、規則違反が発覚しても復帰してきて、
ルール上では試合ができますし。
なんかこうモヤモヤした気持ちで。ただでさえこの体格差で勝てないのに。
それをされたら…っていうことを
パワー系の種目で多くの方が感じていたところですね。

 


そんな室伏由佳さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?

「真実」

アテネ大会の時に兄が手にしたメダルの裏側に、
ギリシャ文字が刻んであるんですね。
何やら言葉が書いてあるんですけど、
どういう意味ですか?っていうのを現地のギリシャの人に尋ねたんですね。
そこには、「真実は母のみぞ知る」っていう詩が書いてあるんですね。
ですから栄誉をもらえる人っていうのは、
真実でなければならないなっていうふうに、
スポーツを追求する人に問われたような。
その人にそうでなくてはならないっていうのを刻み込まれたんですね。
誰も見てないけど私は見てるよ。メダルは見ているというか。
自分が誰も見てなくても真実を追求するのがスポーツなんだって感じました。
その文字はちなみに地元のギリシャ人でも分かんなかったんですよ。
さすが聖地オリンピック。アテネに戻ってきただけあって。
粋だなって思いましたね。

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