今回のゲストは、
ラグビーの元日本代表で、
サンウルブズの大久保直弥ヘッドコーチです。
【大久保直弥さんのプロフィール】
大久保直弥ヘッドコーチは、1975年生まれ。
法政第二高校卒業後、法政大学に入学。
大学からラグビーを始め、卒業後はサントリーに入社。
社会人2年目には、日本代表に選出され23キャップを獲得、
1999年、2003年のワールドカップに出場。
2004年には、ラグビー王国、ニュージーランドで1シーズンプレー。
その後、サントリーにプロ契約で復帰し、2009年春に現役を引退。
指導者としては、2010年度からサントリーでコーチ、
2012年度から3シーズンに渡り監督を務め、コーチ・監督として、
日本選手権3連覇、トップリーグ2連覇を経験。
2015年からは、NTTコミュニケーションズのコーチ、
2018年と2019年は、サンウルブズのアシスタントコーチを務め、
2020年シーズンのサンウルブズの新ヘッドコーチに就任。
サンウルブズにとって、スーパーラグビー参戦のラストイヤーだったが、
新型コロナウイルスの影響により6試合で無念のシーズン終了となった。
-高校時代はバレーで活躍していたんですよね?
僕の力というよりは、良いエースがいて、良いセッターがいたので。
当時はラグビーをやるとは全く考えてなくて。
一つはその明治大学でバレーボールをやるっていう選択肢はあったんです。
-なぜバレーを選ばなかったんですか?
普通にエスカレーターで法政大学に行けたんですが、
当時の馬場監督が「これから明治を強くするから行ってみないか」って
紹介していただいて。
セレクションを受けに行ったんですが、そこで残れなかったんです。
それで法政に行こうかってなったんですけど、
当時の法政のバレーがあまりにも強すぎたんですよ。
全国のエリート中のエリートがいて。同期に朝日健太郎がいて、
あんな選手と一緒にやったって出るポジションって言っても
センターは2人しかいないので。俺がやるのはここじゃないなって思いました。
-そこからなぜラグビーに?
最初は、アメフトをやろうと思ったんです。
なぜかというとアメフトは割と大学から始める人が多い。
これを馬場先生に相談したら、
なぜか知らないけど(馬場先生は)ラグビーが好きなんです。
それで「お前はアメフトじゃなくて、ラグビーをやれ」と。
-実際ラグビー部に入ってどうでした?
野球、バレーってやって。
最初はラグビーってルールも知らなくて、
15人でやるってこと以外、ポジションもよくわかってませんでした。
-他の部員はどんな反応でしたか?
「バレーなんかやってたヤツにできるわけない」って
陰口も叩かれていたと思います。
先輩からは面と向かって言われましたね。
屋外と屋内でも全然違いますし。
最初の練習にバレーの練習着を着ていきました。
神奈川の国体のジャージみたいな。ある意味、鈍感なんですよね。
そんなの神経質な人間。まずしないでしょ。
-試合に出たのはいつ頃からだったんですか?
1年目の秋にはリザーブに入ってました。
夏合宿で初めて試合をして、実際に試合に出たのは2年目からです。
ラグビーは多分、何かしら自分に合ったポジションがあると思うんです。
バレーとか、野球はセンスが大事だと思うんですけど、
僕は割と周りと協調性があるとか、責任感が強いとか。
その辺の身体的ところ以外のところで認められたんじゃないかなと思います。
-運動神経は万能なタイプだったんですか?
万能タイプじゃないですよ。不器用のかたまりです。
足の速さも、遅くはないんですけど、ラグビー始めた時に監督から
「お前の走り方ダチョウみたいだな」って言われるぐらいでした。
-野球はいかがでしたか?
井端弘和(元中日ドラゴンズ、巨人)と、
同じ町内で中学校の時は一緒に野球をしていたんです。
井端とキャッチボール をした時に、明らかに球の回転が違うんです。
こういうヤツプロになるんだなって思いました。
だから、井端に削がれ、朝日に削がれって感じですね。
-リクエスト曲は?
Bruce Springsteen の 「Waiting on a Sunny Day」
ボクの大好きな曲です。
大久保直弥さんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』
−当時のサントリーはどんなチーム?
当時、サントリーは今ほど常勝軍団でもないし、
まあ僕らの代でいうと、優秀な選手は神戸製鋼に行っていました。
サントリーは勝つ力はあるけど、なかなか継続して勝てないチームでした。
-日本代表は意識した?
そもそも、世界のラグビーを今みたいに見る環境がないので、
あまりにも、遠い存在というか。
それが色んな巡り合わせで、平尾さんが監督になり、
これからの日本変わっていくんだっていう。
なんとなく僕自身も期待してました。
-選ばれたときの感情は?
ラッキーなことに、その年にワールドカップがあったんですよね。
「ワールドカップに行きたい」
「この仲間と、練習を積み重ねていったら勝てるんじゃないか」っていう期待は
ものすごい持ってましたね。
というのは、今、日本代表監督のジェイミー・ジョセフが僕と代表で同期なんです。
そこで、意気投合しまして。
試合が終わった後にチームで一緒になって、
ビールを飲みながらお互いさらけ出すと言うか。
こうやってラグビーチームって成長していくんだなって。
外国人選手が主体となって日本人選手を引っ張ってくれてました。
-無理だとは思わなかったんですか?
逆にその無理だとか、無理じゃないとかではなくて、
やっぱりこのチームでワールドカップに行きたい、
勝ちたいっていう気持ちが強かったです。
その一員でありたいと思ってました。
そんな大久保直弥さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『人間万事塞翁が馬』
これは誰かから聞いたというものではなくて、
たまたま読書をする中でこの言葉に出会ったんですけど、
この意味を知った時に「これ俺の人生に似てないか?」っていうのがあって。
野球もそうだし。ラグビーの中でも失敗や負けたことに対して
卑屈になる必要もないし。
勝ったからといって、うぬぼれることもないし。
そのマインドセットって、ラグビー選手にとって大事だと思ってるんですね。
というのは、ラグビーってあまりにも不確定要素が多いんです。
自由にコントロールできないことが多すぎて。
「これをやって、こうなったら勝てる」ということもないし。
そもそも正解なんてないので。
そういう中で、負けても卑屈にならず、
勝っても終わらずっていうのは常に自分のなかで大事にしてるし。
時々そういうパニック起こしてる選手に対して、
次のステップに行くためには、自分を客観視できる部分というのは、
持ってなければいけないよって話をします。
-この言葉の意味をどういうふうに訳していますか?
「謙虚」ともちょっとまたちょっと違う感じですよね。
日本人の謙虚でいうところの「自分を押さえ込む」っていうことでもないので。
常にポジティブ。ラグビーって失敗から、
いかにそれを学んで知恵にしてっていうサイクルが大事だと思ってるので。