今回のゲストは、
競泳元日本代表・萩原智子さんです。
今回は、萩原智子さんの『相棒』=「こだわりの用具」に迫りたいと思います!
競技用の水着ではなくて練習用水着を持ってきました!
水泳選手にとって練習用の水着と、
競技用の水着って素材も違いますし、形も違うんです。
練習用の水着ってみんながよく見る
水泳選手が練習中に着ているような
ハイレグ水着っていうんですかね?ちょっとで布が厚いんですよ。
水をすごく含むので重たくなって負荷がかかるんですね。
だから練習用ではとてもいいんです。
試合用の水着は、女子は首下から膝までのスパッツ型の水着着てるんですよね。
そういう規定があるので。
男子はおへその下から膝の上までっていう水着だと思うんですけど。
-試合用は練習用の水着の形状は着けてはいけないんですか?
今日は練習用なので付いてないんですけど、
水着のお尻の所に、世界水泳連盟公認のロゴが入ってないと
試合で着ちゃいけないんですよ。そういうマークがあって。
なので、ビキニで認証マークがついてる水着を着てもいいんです。
ちっちゃい子で着てる選手もいます。
でも、ほとんど皆やっぱり試合用のスピードがでる水着ですね。
-やっぱり足まで覆った水着の方が速いですか?
なんか騒ぎになりましたよね。
レーザーレーサーとかあったんですけど、
2008年あたりは世界記録が100個ぐらい出ちゃったんですよ。
それから国際水泳連盟が水着の素材、
形状の規程を定めましょうということになってますよね。
-萩原さんはレーザーレーサーは試しました?
一度は試しました。着るのに30分ぐらいかかりますね。
私は、全く違うメーカーの全身水着を着てて、それで自己ベストが出てたので。
私は最終的にそっちを選びました。
だからいいか悪いかはその感じ方と言うか。
やっぱり着こなさなきゃいけないので、
それを着たから全員速くなるかっていうわけでもないんですよね。
それを着て着こなして初めて結果が出る。
だから今、マラソンでシューズの問題とかいろいろあるじゃないですか。
それもやっぱり履きこなさないと記録って出ないと思うんですよね。
それだけの筋力とかそれに対応できる自分の能力をあげていかないといけない…
という問題があるかなと思います。
-水着のデザインにこだわりはありますか?
水泳選手って道具といえば水着と帽子とゴーグルだけなんですよ。
だから楽しみってないんですよ。
ある意味練習に対するギアがあまり少ないので。
この水着も派手な柄だと思うんですけど、毎日チョイスして
「きょうはピンクの蛍光でいこう」「きょうは黄色でいこう」って
選んでやってました。
-男子もそうなんですか?
どうなんだろうなぁ。男子も派手な水着を着ている子はいましたね。
気分が変わるんですよ。だって毎日、裸で着るんですよ?
毎日着るものが、黒とか紺ばっかりだったら嫌じゃないですか?
気分もブルーになるって言うか。
ちょっとピンクとか、水色とか緑とか好きな色が入ってたら「頑張るか」って。
「今日の水着可愛いね」って言われたらテンションあがるじゃないですか?
人と会話ができるコミュニケーションツールにもなるので、
私はすごくこだわってましたね。
-練習用の水着ってどれぐらい使えるものですか?
20日間の合宿に行って3枚持っていくと、
3枚ともダメになっちゃいますね。消耗品なんです。
毎日、毎日着てると水がザーッて流れるので胸の辺りとか、
おへその辺りが擦り切れてくるんですよ。不思議ですよね。
塩素の関係もあるんで、いくら水洗いして干しても、
スレスレで向こうが見えるくらいになっちゃうんですよ。
でももったいないから、いい水着を1枚着て、
そのすれすれの水着をもう一枚重ねて練習したりします。
練習のために負荷かけるために。
おなかとか破けちゃったら捨てるしかないみたいな感じですね。
−リクエスト曲は?
バラとワイン / RED WARRIORS
今の主人と競技人生の中でずっと付き合ってたんですけど、
遠征に行く度にその遠征のベストみたいな、
カセットテープを作ってくれて。
その中に入ってたのが「バラとワイン」っていう曲で。
それがちょうどシドニーに向かっていく合宿の中で、
高地トレーニングをして1ヶ月間、
ずっと色んな曲が流れていたんですけど、これが一番印象に残っている曲です。
そんな萩原智子さんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』
-萩原さんの頃に比べて今の日本の水泳は強いですよね。要因は何だと思いますか?
私が中学から高校の頃って、
「大学生で女子が活躍する」っていう場がなかったんですよ。
女子が大学生になったら水泳辞めるみたいなイメージの時代だったんです。
そこが変わったから私は強くなったと思ってます。
それが私たちの二つ上の岩崎恭子さん、田中雅美さん、稲田法子さんっていう世代が
大学に行っても女子でもできるよって示してくださった。
そこから女子が一気に強くなりましたね。
ちょうど中央大学が女子の水泳部を作って、
そこに田中雅美さん、中村真衣さん、源純夏さんっていう
素晴らしいスイマーたちが女子として部員で入ったんですよ。
そこで大学生になってバンバン記録を伸ばしていく姿を見ていて
「女子が速くなってもいいんだ」「今よりも強くなってるじゃん」みたいな。
本当に革新でしたよね。
-中央大学がきっかけだったんですね。
本当にどこの大学も手をつけなかったところを
中央大学さんがつけてくださって強くなった。
ちょうど私が高1の時にアトランタオリンピックがあって、
女子の水泳が強くなり始めてた頃だったんですよね。
当時のアトランタのメンバーが千葉すずさん、中村真衣さん、田中雅美さん、
岩崎恭子さんとか、そうそうたるメンバーだったんですよ。
女子が史上最強と言われていてオリンピック行って、
残念ながらメダルがゼロに終わってしまったんですね。
そこからやっぱり日本の水泳が大きく変わりましたよね。
ヘッドコーチも学校の先生が入って、まずは人間力を高めて、
「個々でやっていく」のではなくて、
「チームで強くなっていくんだ」みたいな意識が生まれて、
それと大学で女子の水泳がスタートしたっていうのが
今の水泳が強くなった秘密だと思いますね。
-今後も日本の強さは続いていく?
続いてほしいなと思います。今はやっぱり大学卒業した後、
企業の皆さんが支援してくださって成り立ってる水泳界でもあるので。
やっぱり大学生、社会人っていうメンバーが日本代表には多いので、
ありがたいことだなーっていう風に感じてますね。
-水泳って東京の方が得なんですか?
当時は今みたいにネットで調べれば
すぐ情報が得られるっていう時代じゃなかったので、
やっぱりそういうハンデはありましたよね。
あともう一つは施設。山梨には長水路プール。
オリンピックとかが行われる室内の50mプールっていうのがなくて、
全部青空プールでボロボロだったし、今でもそうなんですよ。
今でも、後輩たちはそこで頑張って泳いでいて。
やっぱり物心ついて全国大会とか行くと
「東京の人たちは辰巳国際水泳場でいつも試合やってんだ」って思うと、
「どれだけのハンデなんだよ」って思った時代もありましたし。
-萩原さんの場合、初めてのコースって感覚は違うんですか?
場慣れですよね。
私、初めての全国大会が代々木のオリンピックプールだったんですよ。
初めて行った時に度肝を抜かれて、
「なんだこの天井の高さは」みたいな。水深も2mぐらいあって、
下向いて泳いでいたら距離感が分からなくなるんですよ。
フォームがぐちゃぐちゃになっちゃったりとか、
そういうとこも影響するんですよ。
だから今の子も水深のこととかすごい考えて泳いでるし。
水深が違うだけで、飛び込んで水中に入って
起き上がる時のタイミングを得たりしてるので、
そこがおかしくなっちゃったりとか。
失敗しちゃうこともあるんですよね。
やっぱり何回も同じ会場で場慣れするっていうことはすごく大事なこと。
気持ちの面も技術面も。
-水深が浅いプール、2mのプールでタイムに違いは出てきますか?
出てきますね。それは抵抗っていった意味で。
やっぱりその浅いプールだと泳いでる時の波が跳ね返っちゃうんで、
すごい波が立つんですよね。だから遅くなる。
だけど水深2mのプールだと、跳ね返りがあんまりないので波が立たたないんですよ。
だから辰巳国際水泳場が聖地って言われてるのは、
コース幅とかコースのレーンがしっかり波消しブロックになってたりするので。
高速プールって言われているんですよね。
世界記録も二つ生まれましたし。
そう思うとやっぱ凄いプールだなって思いますよね。
そんな萩原智子さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『ないものねだりをするな』
恩師の二人三脚でやってきた神田忠彦コーチから
小学6年生から中学1年生の時ぐらいに言われた言葉なんですけど。
印象に残って今でも大事にしています。
山梨ってないものばかりなんですよ。
当時は情報もない、施設もない、道具もいいのがない。
ライバルの都会の子達はどんどん記録出す。
「当たり前じゃん」みたいな。
「私、こんな何も無いところで練習してるんだから
記録伸びないの当たり前じゃん」ってめっちゃ言い訳してたんですよ。
そしたらコーチにこれを言われて。
「山梨は何もないけど、何もない中で工夫して強くなった人が本物なんだ」って
言われてハッとしました。
いつも泳いでるプールは水深1mもないスイミングのプールだったんで、
ターンして浮かび上がるまでに「頭ゴン」って打ったりする時もあったんですよ。
それで辰巳のプールとか行っていきなり泳ぐわけですよ。
それだって不安いっぱいなのにコーチは
「ラッキーじゃないか、こんな波のあるプールで良いタイムで泳げたら
辰巳の波の立たないプールだったらとんでもないベストが出るぞ」って言われて。
信じてましたね。実際に出ちゃいました。
今は、実家があるのでちょこちょこ帰ってますし、
山梨学院の後輩たちも泳いでるので、たまに顔を出したりとかしてます。
(息子は)水泳はちょこちょこやってますね。幼稚園で楽しむ程度ですけど。
(将来は水泳選手になることを期待は)しないです。
本当に自分の好きなことを、何か一つでもスポーツじゃなくてもいいので、
一生懸命になれるものと出会ってくれればいいなと思います。
やっぱり一生懸命になれるものと出会うと教えられること、
学ぶことがいっぱいあるので。そういう経験をして欲しいなと思います。