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中澤佑二さんのプレーが変わった岡田監督の言葉

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今回のゲストは、
横浜F・マリノスのレジェンドで、
元サッカー日本代表キャプテンも務められた
中澤佑二さんです。

 


中澤佑二さんのプロフィール】

中澤佑二さんは、1978年生まれ、埼玉県出身。
三郷工技術高校を卒業後、ブラジルに留学し、
1999年に東京ヴェルディに加入。Jリーグ新人王に輝いた。
2002年に横浜F・マリノスに加入、
2003年からリーグ2連覇を経験。
2004年には日本人ディフェンダーとして
初めて
Jリーグ最優秀選手賞を受賞。
1999年にデビューした日本代表でも長年にわたって活躍、
2006年と2010年にワールドカップ2大会連続で出場。
身長187cmの恵まれた体格と体の強さで、
日本サッカー史に残るセンターバックとして活躍。
フィールドプレーヤーとして歴代最長となる、
178試合連続フル出場を果たされました。
2019年、40歳で現役を引退。
現在は、テレビやラジオへの出演をする一方で、
クロスの指導者としても活躍している。



–サッカーを始めたのがかなり遅かったんですよね。

小学6年から始めました。
上手い子たちは、幼稚園とか小学校低学年からやっていましたので、
だいぶ遅いですよね。
 
  
–そもそもなぜ始めたんですか?
友達に誘われて。
それまでは、放課後、秘密基地作ったり、
駄菓子屋行ったり、キックベースをやったり、
その程度ですね。
  
 
–先に始めてる子と比べると、だいぶハンデがあったと思うのですが
 辞めようとは思わなかった?

辞めようと思っていました。当時の指導者が怖くて。
サッカーって怒られるスポーツ、怖いイメージでした。
中学2年までは、なんとなく続けていましたね。
ただ、親父から「途中で投げ出すのは許さない」と鉄拳制裁で、
そこから真剣モードになりました。
で、Jリーグ誕生のニュースを見て、プロサッカー選手になると、
中学3年の夏くらいですかね。
 
 
–高校を卒業してJリーグではなく、ブラジルだった?
高校で活躍ができれば良かったんですが、
目立った活躍ができなかったので。
カズさん、ラモスさんの影響で
ブラジルに行きたいと、なりました。
ブラジルでプロになって、活躍をして
日本からオファーがあって帰るみたいな。
 
  
–ただ、その未来予想図が変わってしまった?
ビザの関係で一年で帰国することになりました。
で、母校のサッカーチームで練習をさせて貰いました。
11対11でやれるのが救いでしたね。
ワンチャンあればいいなと。
  
 
–そのワンチャンは、いつ訪れたんでしょうか?
ヴェルディのユースと練習試合があって、
当時20歳だったんですが、年齢を言わずに
高校3年として出場して。
しかもFWとして出してくれて。
監督の指示で、味方も僕にボールを集めてくれて、
で、ヘディングシュートを決めて1対0で勝ったんです。
ヴェルディのユースの監督から声が掛かって、
とりあえずサテライトでも練習生でもなんでもいいので
1週間でも3日でも参加させてくださいとお願いして。
そこから練習生がスタートしました。
 
    
−リクエスト曲は?  

安室奈美恵さんの「Wishing On The Same Star

僕大好きなんです。
引退して2年半くらいですか。
安室さんを知らない子たちも出てくるわけじゃないですか。
安室さんてこんなにいい歌があるんだって知ってほしい、
伝道師になりたいなと。


中澤佑二さんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』
 
  
−プロにはどのようなタイミングで

98年の11月とかだったと思います。
シーズンが終わるころですね、
「お前来年ないよ」とグラウンドで
ライトな感じで言われたんですよ。
で、どうしようなかと思っていたんですが、
99年の監督が、李さんになって、
ちょうど背の大きいセンターバックを探していると。
「187センチあるなら壁くらいにはなるんじゃないか」と
そこからとんとん拍子で進んだ気がします。
 
  
−崖っぷちの練習生が日本代表にまでなるんですもんね
そうなんです。
だから気持ちが全然追いつかなかったですよね。
試合にも何試合しか出てないのに、
いきなり日本代表に選ばれて、
周りもすごい選手ばかりで。
テレビで見ていた人ばっかりだって、
少してんぱりましたね(笑)
  
 
−2002年はW杯に届かなかったわけですが、この時点の気持ちは?
高校の時の卒業文集に2002年のW杯に出ると書いたんですよね。
プロにもなれないやつがW杯を目指していたんですよ。
その時の心境としては、夢は大きくみたいな。
でも、その時出られなかったからこそ、
その後のサッカー人生が大きく変わったと思っています。
 


そんな中澤佑二さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?

『ミス、失敗をするなら思いきりしろ』

2003年に岡田監督がマリノスの監督に就任した時です。
僕はミスに臆病だったのですが、
岡田さんが見抜いて、
「お前、失敗してもいいんだぞ、
 その代わりするなら思い切りしろよ。
 サッカーはミスをするスポーツなんだから
 失敗することを恐れてはダメだ。
 世界のスーパースターでもたくさん失敗している。
 ただし、そのミスは、
 自分がやろうと思ったプレーがあった上での失敗だから、
 それにチャレンジして失敗するならしょうがない。
 だから、失敗するなら思い切りしろ」と。
監督直々に僕みたいなプレーヤーに声をかけていただくのは
非常に大きくて。
そこから積極的なプレーに変わりましたよね。
この言葉が無かったらもっと早く引退していたでしょうね。

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