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プロスラックラインライダー福田恭巳選手が両親から言われた言葉

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今回のゲストは、
スラックラインの元女子世界ランキング1位で
プロスラックラインライダーの
福田恭巳選手です。

 


福田恭巳選手のプロフィール】

1992年生まれ、千葉県浦安市出身。
ダンサーだった両親の影響で小・中学生の頃はダンスに没頭。
高校からボルダリングを始め、
そのトレーニングの一つとして、2010年からスラックラインをスタート。 
翌年から2015年まで日本オープンスラックライン選手権で5連覇するなど、
またたく間に頭角を表し
2013年には世界ランキングの女子1位に輝くなど、
スラックラインの女王として活躍。
2014年からプロのスラックラインライダーへ。
現在も現役のライダーとして、
また、先駆者として競技普及などに力を注いでいる。



–スラックラインはボルダリングのトレーニングの一環で始めたんですよね

最初は仕方なく始めたんです。
ボルダリングのジムでアルバイトをしていて、
そこで日本に入ってきたばかりのスラックラインを
週に一回やる時間を設けるみたいなって、
どんなもんかちょっとやっといてと。
 
  
–最初から出来たんですか?
5メートル位の短い初心者向けのラインも全然歩けるようならなくて、
3ヶ月ぐらい経ってやっと歩けるようになったんです。
そうすると、しゃがんだりジャンプしたり、
それに挑戦するようになって、
ちょっと面白いかもって、
かっこいいじゃんて思うようになりました。

  
 
–当時はマイナーですし、
 外で練習すると最初はちょっと変な目で見られませんでした?

よくあります(笑)
遠くから見ると宙に浮いているように見えるみたいで。
今でもマイナーなスポーツですけど
「なにやってるんですか?」と声をかけられることはよくあります。
  
 
–何を目指してのめり込んだんですか?

2011年に日本オープンスラックライン選手権で優勝した後ですね。
ドイツのワールドカップに日本代表として招待されて、
英語も分からないけど、こんな機会ないから行きます!と。
その時、2位になったんです。それが悔しくて。
こんなに色んな人が居て、色んなスタイルがあるんだと知って、
もっと色んな大会に出たい、有名になりたいと思って、
本格的にやり始めました。

 
 
–言葉も分からないって大分ハンデありますよね?おどおどしたり。
ルールだけは必死に覚えて、
どういう試合の流れなのか。
日本でも2回しか大会に出ていないので。
とりあえず、スタートって言われたら乗って。
勢いでどうにかするしかないと、必死でしたね。

 
  
−リクエスト曲は?  

Pentatonixの「Daft Punkメドレー」

アメリカのアカペラのグループで、
私がスラックラインを始めた時に、
アメリカのオーディション番組で勝ち上がってデビューして、
頑張っている姿を見て、
私もスラックラインを頑張ろうと思いました。
無名からのし上がっていくところに共感しました。


そんな福田恭巳選手に、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』
 
  
スラックラインにも、技を競う「トリックライン」と
 高さがある上を歩く
「ハイライン」などがありますが?
私は基本的には「トリックライン」です。
「ハイライン」は、1回しかやったことが無いんです。
崖と崖を繋いで上を渡ったりするんですが、
中々国内ではやるところがなくて、
アメリカで1回やりました。
スラックラインの楽しみ方の一つでもあるので、
「ハイライン」も機会があればやりたいですね。
 
  
−1回やったハイラインはどんな感じだったんですか
恐怖を感じると足って勝手に震えるんだなと。
気持ちは行けると思うんですが、
足はガクガクと、生まれたての子鹿のように。
命綱を付けているので、
落ちても2mくらい落ちるくらいですね。
   
 
   
−「トリックライン」「ハイライン」の他にも?

長い距離をあるく「ロングライン」があります。
世界レコードだと1キロを超えています。
私は40mくらいでも精一杯で、
普段は「トリックライン」をやっていますが、
たまに「ロングライン」をやったりもするので。
楽しみ方の一つとして「ハイライン」もやりたいですね。
 
 
  
−やっぱり技術も進化しているんですか?
「トリックライン」は、アクロバティックになっています。
私が始めた頃とは全然姿かたちが違うと言っていいくらい。
いまはアクロバットの練習も別に必要かなと。
トランポリンで前宙、ひねり技の練習が必要なくらい、
アクロバティックになっていますね。
元体操をやっていた人が上達が早かったりします。

  


そんな福田恭巳選手が今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?

『人は人、自分は自分』
 
私の両親がずっとそうやって私を育ててきました。
「人は人、自分は自分なんだから
 本当に自分がやりたいことをやりなさい」と。
だから友達がやっていたからやりたいと言うと、
「ダメ」と言われましたね。
「それ本当にやりたいの?」と。
大学を卒業をするときも、周りは99%就職していましたが、
人につられるのではなくて、
自分は何をしたいのかを常に考えて。自分は自分なので。
その言葉があったから、
マイナーなスポーツを10年続けて来られたと思います。

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