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田尾安志さんがコーチを選ぶ上で大事にしている言葉

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今回のゲストは、
プロ野球、中日・西武・阪神で活躍され、
東北楽天ゴールデンイーグルスの初代監督を務めた、
田尾安志さんです。



今回は、田尾安志さんの『相棒』=「こだわりの用具」に迫りたいと思います!
 
−そもそも、田尾さんはギアにこだわる方でした?
僕は、グラブはどうでも良かったんですが、
バットはこだわりましたよ。
asicsの富山の工場まで行って作ってもらったりして、
それでも、100本以上作ってもらって
1本も気に入らない年もありました。

 

  
−バットには、どんなこだわりがあったんですか?
まず重さもそうですし、大体940グラム位。
バットの長さは、普通の人は34インチなんですが、
僕は33インチ半、1センチちょっと短くして、
やっぱりグリップエンドを持ちたいんです。
タイガースに行った時に、バースが持っているバットがとても良くて。
彼は、左ピッチャーの時の33インチ半、
右ピッチャーの時は34インチ半を使ってたんです。
で、彼に頂戴って(笑)
重さ計ったら990グラムありました。
  
 

−それは重いですね?
そうですね、流石に重いので、
ヘッドを削って960グラムくらいにして。
もう時効ですから言いますが、
MIZUNOのマークを削って試合に出たことあります(笑)
それくらい気に入ってましたね。


 
 
−木の素材はなにが良かったんですか?

アオダモですね。ホワイトアッシュだと直ぐにダメになるので。
ゲームでだけしか使わないんですけど、
それでも直ぐにダメになるので。
アオダモのほうが長持ちしたんで。

 
 
−バースは対右、対左でバットを替えていましが、田尾さんは?
僕は替えていませんね。
気に入ったやつをずっと使っていました。
初ヒットを打ったバットをずっと使っていました。
ただ、途中で縦に線が入ったので、
これは割れるかなと思ってそこから使わずに、
いまも取ってあります。

  

 
−リクエスト曲は?

Hiroto “JJ” Arasakiの「ブルーオーシャン」です。

「琉球ブルーオーシャンズ」の応援歌なんですが、
沖縄のカリスマ・ロックバンド「紫」、
もうみんな70歳を超えているんですが、
そのボーカル “JJ”、僕の友達なんですが、
その
“JJ”に歌ってもらいました。 。

 


そんな田尾安志さんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』

 
-2005年、楽天を率いて38勝97敗。辛くは無かったですか?
それが全く辛くなかったんです。
監督を引き受ける時点で負ける覚悟で引き受けてましたから。
3年契約で、3年でプロ野球レベルの最下位のチームを作りたいと。
仙台のファンの人達には、
「この弱いチームをしっかり見といて下さい。
 必ず毎年強くします」と言ってました。
とにかく本当の1年目なので一生懸命やることしかお見せできませんが、
だんだん勝つゲームが出てきますから、しっかり見ておいて下さいと。
 
 
 
-そもそもよく引き受けられましたね?
GMのマーティ・キーナートが来た時には、
必ず負けるんだよ、ヤジられるよと言っていました。
でも、いざユニホームを着たら一切ヤジはありませんでした。
仙台のファンの方たちには頭が上がりません。
負けゲームの後もファンの方残っていてくれて、
「監督、みんな上手くなってますよ!」とか

前向きなコメントしてくださるんです。
この方たちは裏切れないなと。
 
  
-3年契約のはずが、1年で契約を切られてしまいます…。
8月に11連敗した時に、
次のゲーム負けたら休養してくれと言われて。
それは球団の方針だからOKと。
「では明日勝ったらどうするんだ?」と聞いたら、
「今までどおりやってください」と。
さすがに、納得いかないと、
監督室からオーナーに電話をしたんですけど、出ないんです。
一度もお会いしたこと無く終わっちゃいました。
でも、こんなに楽しい1年は無かったと今でも思っています。
 
 
  
-最後、敵地のヤフードームでの胴上げは感動的でした。
僕も自分のことで涙が出たのはあのときくらいしか無い。
負けた監督が胴上げなんてかっこ悪いから止めてくれと。
でも「選手たちの気持ちだから」と言われて、
この一言は効きましたね。
実は、磯部と仙台で会ったときに初めて聞いたんですけど、
あの時、僕が監督を辞めるというのを聞いたときに、
磯辺と山崎武が、
球団に「なんで辞めさせるんだ」って言ってくれたそうなんですよ。
つい先日聞きました。でもそう思ってくれたのは嬉しいなぁと思って。
 
 
-で、なぜ沖縄でやることになんですか?
最初は監督で依頼があったんですよ。でも、それは無理だよと。
そしたらGMでって言われて。
これもお仕事大きすぎるから無理だと断って、
アドバイザーならなんとか力になれるかもとスタートしたんですが、
蓋を開けたら居ないんですよ、スタッフが。
僕がアドバイザーだと成り立たないなと。
で、GMになりました(笑)
 
そこから、シニアディレクター兼打撃総合コーチへの役職変更しました。
僕が選手たちに指導できる方がプラスになると考えました。

 
 


そんな田尾安志さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
強いチームを作るんじゃなくていいチームを作る

僕は監督時代、コーチを見つけるときに、
指導する能力があるよりも人間性を大事にしたいって言ったんです。
人間性がある人が指導する、それが大事だと。
それを聞いているプロ野球関係者から、
あれはインパクトがあったと言われて。
いくら正しいことを指導してくれても、
言われたら嫌だなって言う人からは指導されたくないんですよ。
やっぱ人間性がすごく大事だし、
この哲学は沖縄でも貫いていますね。

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