• Facebook
  • Twitter
  • LINE

原田裕花さんが入院中、母親から言われた言葉とは?

  • LINEで送る

今回のゲストは、
1996年のアトランタオリンピック女子バスケットボール日本代表、
原田裕花さんです。


原田裕花さんのプロフィール】

原田裕花さんは、1968年、山口県生まれ。
小学校3年からバスケットボールを始め、
大分県の藤陰高校卒業後の1986年に
共同石油、
現在のJX-ENEOSに入社。
 
ルーキーイヤーからオールジャパン優勝、
日本リーグ優勝に貢献、
新人賞も受賞。
1990年から6年間にわたり
全日本と実業団のキャプテンとしてチームに貢献。
女子バスケットボールとしては20年ぶりの出場となった
1996年のアトランタオリンピックに出場し、7位入賞。
 
2度の膝靭帯断裂という大ケガにみまわれつつも見事復活し
カムバック賞も受賞。
現役引退後はバスケットボール教室で指導にあたるほか、
スポーツ解説など、多岐にわたり活躍中。
 



–アトランタオリンピック後にやめちゃったんですね

怪我もあってのオリンピックで、
そこに行くまで全力でやってきて、
オリンピックで自分の力を出し切ったという想いもあったので。
ただ、次のシーズンのことも少しは考えて、
自主トレで走りに行ったこともあったんですが、
やっぱり、膝に痛みが走るんですよね。
今まではメンタルで補っていたんですが、
そこが切れてしまった感じでしたね。
 
  
–その怪我というのはどのタイミングで?
一番大きい怪我は、オリンピック予選の前の合宿中に、
ドイツに遠征に行ったんです。
試合中調子が良くて、味方がシュートをしたんですが、
入ると思い込んでしまったんです。

それが良くなかったんですね。
でもそれが落ちて、
慌てて取りに行こうとして切り返したタイミングで
右から左に体重移動したら、右ひざがブチっと。
それで倒れてしまったんです。
  
 
–バスケットボール選手が膝を怪我することで損なわれるものは?
私のポジションは、ドリブルのスピードで切り込んで、
周りの選手を活かす役割だったんですが、
相手に切り込むのがすごく怖いんですよね。
体は大丈夫でもメンタルがもう一つ越えられないって感じですかね。
もう1歩がでないんですよね。
相手に当たられるとボールを放してしまったり、
取られてしまったり。
すごく落ち込みましたね。
  
 
–そこを乗り越えてカムバック賞はうれしかったのでは?

そこを越えないと自分の未来は無いので、
もう一歩を踏み出す勇気を徐々に付けて行きました。
チームメイトにも協力してもらって、
練習の中で勇気を付けさせてもらいましたね。
  
 
–たどり着いた人生初のオリンピックはどうでした?

オリンピックに行くまでに怪我が多かったので、
代表に選ばれるかも分からない。
色んなことがあってのオリンピックだったので、
コートに立った時は、幸せな気持ち、
バスケットができる喜びの方が大きかったんですよね。
色んな人に支えてもらったので感謝の気持ちも大きかったですね。
 
  
 
−リクエスト曲は?  

Superfly の『Beautiful』
 
前向きな気持ちになれる曲ですし、
自分らしくていいだとか、
色んなことがあってもそれを力に変えていこうと
そういう気持ちにさせてくれる曲ですね。



そんな原田裕花さんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』
 
  
−アトランタオリンピックのアメリカ戦、どんな気持ちで迎えました?
アメリカとできるのは中々無いチャンスだったので、
自分たちの力がどれだけ出せるのか。
日本のスピードやスリーポイントシュートがある程度出せたので、
負けたけど世界に通用するんだ、
というところまで持っていけましたね。
 
 
−たらればですけど、勝つチャンスは無かったですか
後半、同点だったと思うんです。
本来であれば、メンバーチェンジで、
ベンチの選手を出してくるんですが、
それが無かったんです。
その時は、一瞬、行けるかなと、
やってやりたいとは思ったんですが、
勝ちたい、というところまでは
行けなかったかもしれないですね。
 
 
   
−それは、次の世代が引き継げばいいわけですもんね
今は勝ちに行く、金メダルというところまで来たと思います。
簡単ではないですよ。
アメリカは本当に力があるんですが、
それ以外は、どこが来ても日本は戦えると思います。
 
  
−昔となにが変わったんでしょうか?
日本はいまアジアで1位、それも4連覇。
選手もサイズアップしています。
いまは、大きい選手もオールラウンドでプレーできますし、
代表監督は、全員スリーポイントが打てないとダメだと。
大きくて動ける選手が外からのシュートも打てる、
そういう時代に入りましたね。
層も厚くなってきました。

 
 
−本大会でライバルになるのは?
ライバルはアメリカですよね。
最終的にアメリカと当たれるような
組み合わせになるといいなと思いますね。

 


そんな原田裕花さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『神様は乗り越えられない人には試練は与えない』
 
これは母親から入院中に言われた言葉です。
2週間のはずが5カ月に伸びてしまったんです。
術後に発熱したり、色々あって。
オリンピックも無理かなって、
自分の中では気持ちが落ちていたんです。
そんなときに母親から
「神様は乗り越えられない試練は与えないんだよ」と
言われたんですよね。

そして「成長できるチャンスなんだよ」と。
頑張ろうと思えましたね。
この言葉がなかったら、
悪い方悪い方にしか考えられなかったんじゃないかなと思いますね。

聖教オンライン

ニッポン放送の番組一覧

他の番組を見る >