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日本最高のアルペンスキーヤー佐々木明さんが大事にしている先輩の言葉

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今回のゲストは、
アルペンスキーでオリンピックに4度出場、
ワールドカップでは、
日本人最多の3回表彰台に立った佐々木明さん
です。

 


【佐々木明さんのプロフィール】

佐々木明さんは、
1981年、北海道大野町、現在の北斗市生まれ。
3歳でスキーを始め、
16歳でアルペンスキーの日本代表に選ばれた。

日本体育大学2年の時、
ソルトレークシティーオリンピックに初出場、
のちトリノ、バンクーバー、ソチと4大会連続で出場。
ワールドカップでは、
表彰台に日本人最多となる表彰台に3回上った。

 2014年ソチオリンピックを最後に、
アルペンスキーの第一線からは退き、
現在は山岳スキーヤーとして
「誰も登っていない山、斜面を滑る」為、
世界のフィールドで更なる高みを目指している。

 

 



–3歳からスキーを始めたそうですが、
これは佐々木さんの生まれ育った環境では普通

北海道では割と普通でしたね。
家族で遊びに行く、レジャーの一つとして。
母がスキー好きで、よく連れて行ってくれました。
スキーが身の回りにあった環境でしたね。

 
  
–同年代の子とは全然才能が違ったんですか?
そんな事なかったです。
中学までは時々とんでもなく速いんですけど、
コースアウトしてゴールまで辿り着かないような子でした。
大会で結果を出そうというわけではなく、

家族で旅行して、そのついでに大会に出る感覚でしたね。
  
 
–英才教育ではなかったのに、どのように頭角を現したんですか?
3歳で与えられたスキーという遊びが、
天性の趣味にもなり、仕事にもなり、
人生に思いっきりマッチしたスポーツだったんです。
今もその時のテンションと全く変わらずスキーに接しています。
  
 
–才能を自覚したのは?

特に無いですね。
好き、楽しい、それだけでしたね。
  
 
–壁にはぶつからなかった?

好きという気持ちがてっぺんまで行くと、
壁も見えなくなるんです。
結果を残すことがゴールでは無いので。
当然、オリンピック競技をやってる以上、
勝ちがゴールなんですけど…。
例えば、レースでダメだったときは、
やっぱり気持ちが落ちるんです。
そんな時、気がついたらスキーをしに行ってるんです。
そのくらいスキーが僕のメンタルを正常の位置に戻してくれるんですよね。
スキーが好きすぎて、もうオリンピックいいやって。

    
 
–スキーが好きすぎて、なぜオリンピックがもういいやってなるんですか?
オリンピックってみんな最高峰っていいますけど、
スキーって、3歳からスキーをはじめられる遊びであり、
スポーツであり、家族の絆を結ぶレジャーであり、
そこから突き詰めて、種目で勝つとなるとすごく狭い扉になります。
でも、スキーって80過ぎても、90でも100歳でも出来るんです。
僕は、三浦雄一郎さんが大好きで、
そのお父さんの三浦敬三さんは103歳までスキーをされていたんです。
あんなにカッコいいことってないなって子供の頃から思っていて。
幾つになってもスキーに接する姿を見て、
これこそプロスキーヤーだなとずっと思っていたので。
何も結果を出すことだけがスキーのゴールじゃないなと。
オリンピックが最高峰と思っていた自分が恥ずかしいなって、
スキーに対して失礼だったと思いました。
だから更に広いスキーに接するのが自分の生きる目的だなと感じて、
山岳スキーに転向しました。
 
 
–いま取り組まれている山岳スキーとは?
よく映像で、雪崩に追いかけられて、
その先を滑っているスキーヤーいるじゃないですか。
あれです。
より自然の中で自然と向き合って、
スキーを通じて新たな世界に行こうと思ってこの5年間やっていました。
 
   

−リクエスト曲は?  

FIRE BALL の「Dreamer」です。
色んなジャンルの夢見る人たちに対してのリリックなんです。
世界で戦ってる中で

まさにこのリリックが僕を鼓舞してくれる、高めてくれました。



そんな佐々木明に、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』
 

 
−なぜアルペンスキーを選んだんですか?
田舎なのでやるスキーと言えば、
スキーの検定か家族で遊ぶか、ポールを滑るか、
その3タイプくらいしか無かったんです。
やり続けるならチームに入るよねと、
割とエスカレーター式に自然に接することになりました。
そもそも、昔はジャンルが無かったので。
 
 
−アルペンスキーの中でも技術系(回転、大回転)を選んだのは
選んだわけではなくて、ダウンヒルまで当然やりたかったんですが、
日本にスピード系をトレーニングする環境が無かったですんね。
長いコースを取れない、安全面の確保が出来ない。
数年間、アメリカチームの中で、
スピード系の練習をしていたことがあったんです。
でも、チームにも予算がありますから、もう無理だと。
技術系にフォーカスしてくれと。
お金が無いならしょうがないよねって(笑)
 
 
   
−技術系と回転系両方やるっていうのは、マラソンと100mをやるようなもの
それがいるんですよ。化け物が(笑)
それこそがアルペン界にとってのキングオブスキーかなって。
 
  
−最近、日本人は、陸上の100mで10秒台を出したり、テニスのグランドスラム、
ゴルフのメジャー大会で勝ったり、天井を突き破りましたが、
スキーはどうなんでしょう?
スキー連盟には13競技あるんですよ。
マンモス団体なんです。
でも、壁はだいぶありますね。
うち破れる選手を作っていかないとですよね。
 
 
−日本人だからではなく、環境が問題なんですか
強化をするシステムの問題と思いますね。
あとマインドセットですね、どこに目標を置くのか。
その目標に向かって、どう向かっていくのかというプラン。
さらに、そのプランを正確に行っていくための
フィジカルはあるのか、モチベーションはキープ出来るのか。
原理原則をしっかり作ってあげるシステムが無かった。

 
 
−日本人の運動能力をエクスキューズにするケースが多々ありますが、
スキーに関してはどうなんでしょう?
同じ人間である以上、同じ舞台に立っているのに、
言ってはいけないことですよね。
足りない部分があるならそこを埋める為に何をやるのか、
どう考えるのか。
そこに対してのプレンニングが出来ていないのが日本のスポーツに多いのかなと。
特にスキーが代表的だと思います。
 
 
−五輪やWCを戦っていく上で、
佐々木さんの持っていたアドバンテージは何だったんですか

スキーが強烈に好きだったので、心が折れなかったことですね。
一瞬たりとも。目標がぶれることがなかったです。
ある意味では保険があるんですよね。
アルペンでダメでも、この先にスキーライフが待っている。
 
 


そんな佐々木明さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『死ぬこと以外はかすり傷』
 
これは僕の先輩が言っていたんです。
スノーボーダーで怪我が多い選手なんですけど、
どんなに怪我をしても治ればいいんだよと。
それ以外は、常にプッシュしている人間であれと。
アホです(笑)
でも、ウィンター業界では、生き残れますから。
そういうカルチャーがありますから。

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