今回のゲストは、
元千葉ロッテマリーンズのキャッチャーで、
2006年のWBCワールドベースボールクラシックで
侍ジャパンの優勝にも貢献した
里崎智也さんです。
【里崎智也さんのプロフィール】
里崎智也さんは、1976年生まれ、徳島県出身。
1998年、帝京大学からドラフト2位で千葉ロッテマリーンズに入団。
ロッテ一筋16年で、2度の日本一を経験。
2010年は、ペナントレース3位から日本一に輝き、
「史上最大の下剋上」を成し遂げた。
2006年のWBCワールドベースボールクラシックでは、
正捕手として侍ジャパンを世界一へと導かれ、
大会ベストナインにも選ばれた。
2014年に現役を引退。
現在は、千葉ロッテマリーンズスペシャルアドバイザーを務める他、
ニッポン放送ショウアップナイター解説者、
さらに、ユーチューバーとしても活躍中。
–新年が明けて6日、現役選手は自主トレモードですよね?
里崎さんが現役のころは?
ちょうど、5日、6日くらいから動くかって感じですね。
年末年始はきっちり休みます。
オンオフ切り替えて。
オフは、体より心のオフを満喫するほうが大事なんです。
–心のオフを取る必要なのはどんなことから?
心のオフをちゃんと取っておくと
野球がやりたくて仕方なくなるんですよ。
早く練習したいな~、
キャンプに向かって行くぞ!ってなります。
–いい心のオフ、悪い心のオフ、分ける要素は?
11月末まで秋季キャンプをバカみたいに長くやっていると、
心のオフができないんですよ。
チームとしての練習を早めに切り上げてくれると、
充電バッチリなんです。
僕はボビー・バレンタイン監督時代が長かったんですが、
その時は、秋のキャンプを一度もしたことが無かったんです。
CS、日本シリーズに出ない年は、10月からはオフでした。
–高校は徳島の鳴門工業高校、甲子園とは無縁だった?
最後の夏の大会も3回戦コールド負け。
実際は、一回勝っただけでしたね。
–なぜ帝京大学に進まれたんですか?
高校の監督、高橋広先生が、
「強い名のある大学に入ろうと思えば入れる。
でも、そこでベンチにも入れないとその先の就職先に困る。
自分のレベルに合った大学に行ったほうがいいと思う。
だから、帝京大学がサトに合っていると思う」といわれて。
僕は任せますと。
–実際のところ帝京ではどうだったんですか?
初めての寮生活で、上下関係も厳しくて、
ホームシックになりながら、
色んな雑用もいっぱいあって大変でしたけど。
2年の春からレギュラーになって、22期ぶりにリーグ戦を優勝。
記録も作って、やっぱり先生の判断が正しかったんです。
–ロッテを選んだのはなぜ?
高校を選んだのと一緒ですよね。
強いところよりも弱いところ。
自分が入って強くすればいいやって。
それが僕の持論です。
ロッテは、31年ぶりに日本一になったんです。
−リクエスト曲は?
BoAの「七色の明日~brand new beat~」です。
現役時代から朝の目覚まし代わりの音楽です。
10年以上365日、これで目を覚ましています。
そんな里崎智也さんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』
−日本人は、ピンチになると得意なものしか出してこないとおっしゃっていましたが、
外国人はどうなんですか?
外国人の場合は、そうとは限らないですけど、
2006年のWBCでは、僕の得意なところに投げさせるように罠を張りました。
僕はインコースよりアウトコースが得意なんです。
だからわざと、ホームベースから半足分離れたんですよ。
オープンスタンスで。
アウトコースのストライクゾーンも広めなんで。
相手もデータを持っていない、そうなるとアウトコースに投げますよね。
WBCでは4割ちょい打ちましたね。
偶然ではないです。
−キャッチャーとしてのリードは?
感性でやってましたね。
構え方、バットの出方、タイミングの取り方。
引っ張りそうか、一瞬で仮説を全部立てて。
あとは、ネクストバッターズサークルの素振りですね。
−ネクストバッターズサークルでわかるんだ?
素振りって一番得意なところを振ってるんですよ。
わざわざ次の打席に向かう前に
振りにくいところは振らないですよね。
この仮説は100%ではないですけど、
WBCではかなり有効でしたね。
ほとんど点取られてないんで。
−決勝のキューバ戦、優勝を決めた試合最後の1球、覚えてますか?
はっきり覚えていますよ。
大塚さんで、点差が5点差あって、
スライダーがめちゃくちゃよかったので
僕はスライダーであっさり終わりたかったんですが、
首ばっかり振るんですよ(笑)
ストレートでどや!ってやりたかったんでしょうね。
でも1点取られて、やっとスライダー投げてくれました。
−あの優勝は特別でしたか?
特別ですね。
僕は王さんと同じ誕生日で、干支も一緒。
僕が3回り下なんです。
だから子供のころから親近感があって、
監督としても世界一にしてあげたくて。
胴上げの時は真下に行きましたね。
そんな里崎智也さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『絶対できる』
まだ2軍の新人時代、
バッテリーコーチだった山中潔さんから言われた言葉です。
常に言われていましたね。
できないことは、反復練習して、
絶対にできるが本当のことになっていったんです。
山中さんは、教えるのは一つじゃない。
引き出しをいっぱい与えるから、選ぶのはサトだからと。
山中さんからすると選手が選んだほうが自覚が生まれると。
そうやって二人三脚でいくと信頼関係も生まれますよね。
プロに入ってからは、
山中さんとの出会いが里崎智也を作り上げてくれました。