今回のゲストは競泳女子日本代表。
北京オリンピック、ロンドンオリンピックと2大会連続出場を果たした伊藤華英さんです。
【プロフィール】
1985年、埼玉県出身。身長174cm。
生まれて6ヶ月のベビースイミングから水泳を始め、
2000年、15歳で初めて日本選手権出場。
2008年の北京オリンピックでは背泳ぎの100m、200mに出場し、100mでは8位に入賞。
その翌年、怪我の影響で背泳ぎから自由形に転向。
2012年のロンドンオリンピックでは自由形の日本代表として出場。
その年、秋の国体で引退。引退後はピラティスの資格を取得し、
水泳とピラティスの素晴らしさを多くの人に伝えるため活動している。
【金子の深堀り!】
2大会連続でオリンピックに出場した伊藤華英さんの人生のターニングポイントとは?
「2004年のアテネオリンピックです。」
生まれてまもなく水泳に出会い、中学から背泳ぎを始めてわずか3年、
15歳で日本選手権に出場するなど、
早くから輝かしいキャリアを築いてきた伊藤さん。
当時は、なんとなくセンスだけで泳いでいたという。
そんな伊藤さんに金子は「もう天才!!」と正直な感想を漏らす。
伊藤さんは18歳の時で出場した2003年の日本選手権で優勝。
アテネオリンピックに代表で選ばれる事が確実視されていた。
しかし、プレッシャーに押しつぶされてしまい、本来の力が発揮できず、
代表選考のかかったレースで3位という結果に終わり、
アテネオリンピック出場を逃がしてしまう。
オリンピックに出場できなかった理由は・・・。
自分に何が足りなかったのか・・・。
答えを探していた伊藤さんのもとに、
「フジヤマのトビウオ」と呼ばれ戦後の水泳界を支えた、
古橋廣乃進さんからある言葉が送られた。
「泳ぐだけなら、人間は魚より速く泳げない。ではお前は何のために泳いでいるのか。」
そこで初めて、自分にとっての「水泳」は何の価値があるのか、
見つめ直すきっかけになったという。
「何のために泳いでいるのか?」
19歳の伊藤さんが出した答えは・・・。
『自分にとっての水泳は生き様』
レースには自分の甘さが全て出る。
「自分自身が全て現れる」・・・それが伊藤さんにとっての「水泳」だった。
もう一度、自分を応援してくれた人たちを喜ばせたい。
それが伊藤さんの競技生活においてのターニングポイント。
アテネオリンピックへ出場できなかった事で、
「ただの女子高生」が「女性アスリート」へ変わった瞬間だった。
そんな伊藤英恵さんの忘れられない言葉とは?
「人は騙せても自分は騙せないぞ。」
この言葉を送ったのは、
伊藤さんを15歳から27歳で引退するまで指導していた鈴木陽二コーチ。
人には「頑張っているフリ」で騙す事は出来るが、「辛い事から逃げている」自分の事は騙せない。
練習で負ける自分が出ていると、それが絶対にレースでも出る。
これが現役時代に一番グッときた言葉だという。
現役時代、若さゆえにコーチの指導が理解できず、
鈴木コーチの事が嫌いだったという伊藤さん(笑)
しかし、挫折を経験し、コーチの言葉の意味を理解するようになってからは
「人生を教えてくれるのはこの先生だ」そう思うようになったという。
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