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ラグビー界のレジェンド・吉田義人さんに明大・北島監督が贈った言葉とは?

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今回のゲストは、
ラグビー元日本代表で、
ワールドカップに2度出場された
レジェンド・吉田義人さんです


【吉田義人さんのプロフィール】

吉田義人さんは、1969年、秋田県男鹿市生まれ。
秋田工業高校、明治大学のキャプテンとして共に全国優勝。
19歳で日本代表入り。

世界選抜にも、日本人で唯一3度出場、
オールブラックス戦でのダイビングトライは、
世界ラグビー史上伝説となっている。

伊勢丹ラグビー部でキャプテンを務め、
31歳でフランスに渡り、
日本人初の1部リーグプロラグビー選手となった。

現役引退後、横河電機ヘッドコーチとして
全勝優勝、トップリーグに昇格。
その後、明治大学ラグビー部の監督就任、
関東大学対抗戦では、14年ぶりの優勝を果たした。

現在は、7人制ラグビーチーム『サムライセブン』の
監督。
一般社団法人 日本スポーツ教育アカデミーの理事長を務めている。



 



–まずは、ラグビーワールドカップでの日本代表の活躍をどう見ましたか?

大和魂、侍魂を込めて戦う姿に涙が出ました。
我々も世界の大男と戦って来ましたが、中々倒すことができませんでした。

国民の声援を受けて、仲間の為に、
チームの為に戦う姿は本当に誇らしかったですね。

 
 
–日本が世界一となると相当難しいと思いこんでいましたが、見えてきましたよね?
そうですね。見えてきたと思います。
僕自身は、1992年に世界選抜に選ばれて、

オールブラックスと対戦したんです。
ニュージーランドの国内で3回のテストマッチです。
そこで、1か月半、スーパースターたちと寝食を共にしたんです。
ラグビー後進国から選ばれたんですが、

とても居心地がよかったんですよね、楽しくて。
その時に十分やれるという感覚を持ったんですよね。
日本人も努力をして、しっかりトレーニングをすれば、
日本が弱小国と言われることは無いだろうと。

ただ、体格の違い、特にFWのパワーの差はあるなと感じましたね。
 
 
–南アフリカ戦では負けましたけど、決勝のイングランドの方がやられましたよね?
まさかあのイングランドがあそこまでやられるとは思いませんでした。
今回のワールドカップ、15人制のラグビーは、
球技的な要素より、格闘技的な要素が制したと思います。
イングランドの方が戦術・戦略があって、
それと反対に、南アフリカはフィジカルで勝負。
シンプルなラグビーなんですよね、そこが上回りましたね。
 
 
 

–南アフリカ戦の後に堀江翔太選手にお話を伺ったんですが、
「生涯で一番強い相手だった」と言っていました。

FW陣は、2メートル超えが3人いますからね。
リーチも「世界で一番大きな相手とやるんだ」としきりに言っていました。

ラインアウトもやられますよね。
身長差があるということは、腕の長さも違いますし、

そこにリフターとジャンパーが持ち上げて飛んで、
数十センチの差になりますからね。

堀江も大変だったと思いますよ。
 
 
–でも、今後はそういうチームに勝つことを考える段階になりましたね?

そうですね、扉を開いて新たな景色を見ることができたのでね。
ここからですよね、ワールドカップ優勝に向けて。
ファンは当然期待すると思いますし、

選手も誰も後退しようなんて考えていません、
常に前を見て、山を登ることしか考えていません。
 
 
–これから日本はどうすればいいのでしょう?
競技人口が少ないですよね。いま11万人を切るくらい。
子どもたちに、サッカー、野球、バスケ、
どれをやってもらってもいいですが、
ラグビーもやってもらって、

どのスポーツが向いているのかを判断してほしいですね。
そして、国際経験を積ませてあげるのが大切ですね。

 
 
−リクエスト曲は?  
吉岡聖恵の「World In Union」です。
ワールドカップの大会オフィシャルソングですからね。
閉幕して寂しい思いもあるんですけど、

次を見据えて活動しなきゃいけませんのでね。


そんな吉田義人さんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』

−名門・明治大学の北島忠治監督の指導はいかがでした?
すごく目をかけていただいて、
直ぐレギュラー組で練習させてくれましたね。

 
 
 
-当時の明大ラグビー部は、縦社会、かなり理不尽なこともあったのでは?
それを壊したのが4年生になった吉田さんだった?
壊したと言うか、当たり前のことを当たり前にしただけなんですけどね。
明治大学ラグビー部、合宿所は、
ラグビーをして、合宿をするところだと。
将来社会に出ていくための人間性を磨くべきだと思ったので、
社会に出て必要なことをここでやっておくべきだと。
先輩は後輩にいかに尊敬されるか、
そういった先輩後輩の関係を築かないといけないと。
開かずの間を掃除して、
キャプテンと副キャプテンのミーティングルームにしたりしましたね。
 
 
   
-明治に進まれた理由は、国立で早稲田とやりたかったからだそうですが、
最も思い出に残る試合は?
早稲田とは、国立で5回戦いました。
勝敗は2勝2敗1分け
キャプテンになって、対抗戦で引き分けて、
大学選手権で勝つことができて。
やっぱり、その試合で決勝で取ったトライ。
あれは、自分一人では取ることができなかったトライで、
仲間の思いを力に変えて取ることができました。
あれは、忘れることが出来ないですね。
鮮明に残っています。


そんな吉田義人さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『本物・本流・本筋』
 
座右の銘にもしているんですが、
本物であること、本流を歩むこと、本筋を貫くことですね。
明治大学の北島忠治監督の言葉です。
卒業してからもらった言葉です。
北島監督は、学生スポーツ、明治のラグビーを通じて、
人を育てて来たんだと思います。
社会に出て人の模範となるような、
人として活躍して欲しいと。
そんな思いで、この言葉を贈ってくれたんだと思います。
涙が出るほど感謝していますね、
ここまで生きてくる上で、この言葉に支えられてきました。
指針を示してくれましたね。

 


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