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車椅子バスケのレジェンド、京谷和幸が引退を踏みとどまるきっかけとなった言葉とは?

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今回のゲストは、
車椅子バスケットボール元日本代表で、
シドニーパラリンピックから
アテネ・北京・ロンドンと4大会連続で出場された

京谷和幸さんです。
 



今回は、京谷和幸さんの『相棒』=「こだわりの用具」に迫りたいと思います!

−お持ちいただいたのは…?



初めてパラリンピックに出た、2000年のシドニー大会の時に、
妻がくれたフェルト生地のステッカーですね。
これを車椅子につけて臨みましたね。
 
シドニーパラリンピックの時は許されていたんですが、
その後の大会は、スポンサーなどの関係などで付けられなくなってしまったので、
常に試合に行くときはかばんにいれて持ち歩いていましたね。
 
 

−これを奥さんからもらった時はどんなお気持ちでした
正直、妻がここまで応援してくれるんだなって。
元々、サッカー選手の妻になること夢というか、
でも僕が志半ばで断念することになって。
本当に車椅子バスケを応援してくれるのかなと不安があったんです。
でも、このステッカーをもらった時に、
やっぱり家族と一緒に戦わなきゃと思いましたね。
覚悟にもなりました。
 
  

−その覚悟をもって臨んだシドニーパラリンピック、いかがでした?
会場のお客さんから地元オーストラリアに向けられた声援が、
上から下に向かうじゃないですか?
床から突き上げてくるような。
腹が踊るくらいの感じで。
やっとこういう舞台に帰って来たと思いました。
日本代表で居続けたいと思うきっかけですね。
 
  

−結果はどうだったんですか?
9位で終わったんですけど、予選敗退した試合で、
悔しすぎて、拳を作ってコートを殴ったんです。
それを「SLAM DUNK」や「バガボンド」で知られる
井上雄彦先生が見ていて「あれが印象的だった」とおっしゃってくれて。
次の日の練習から、風邪をひこうが、4年間練習を休んでないです。

 
 
  
−リクエスト曲は?
ゆずの「栄光の架橋です。
歌詞が自分が入院している時とリンクします。
これを歌うとボクのマネージャーは泣きます(笑)


そんな京谷和幸さんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』

-北京パラリンピックでキャリアにピリオドを打つつもりだったそうですが、
ロンドン大会まで続けられたのはなぜなんでしょう?

まだやり残したことがあったんですね。
日本代表に何を残せたのか…明確なものが見えていなかったんです。
色々と続けた理由はあるんですが、
ある学習塾で講演をさせていただいた時に、
生徒たちからお礼で、日の丸に寄せ書きで
「GO TO LONDON」と書かれていたんですよ。
これをロンドンで掲げないといけないなと。
 
 
-自分の印を残すために挑んだロンドンで想いは叶いました?

叶いました。ロンドンは主力ではなくてベンチを温める選手だったんです。
自分がベンチスタートになってようやく、
ベンチの選手の気持ちがわかりました。
他のベンチメンバーを集めて話をしたり、鼓舞したり、
積み重ねてきた経験を伝えたりとか色々やりました。
 
 

-京谷選手が残したものは?
結局9位で終わるんですが、順位決定戦のイタリア戦の最後の最後、
フリースローの場面があって。
打つ選手は、若いときから僕がずっと目をかけてきた、
日本代表とはこういうものだという話を伝えていた選手なんです。
向こうは集中していたんですけど、僕が、その選手名前を呼んで、
ここだぞ、気持ちだぞと胸をトントンと叩いたんです。
その選手はうなずいて、フリースローを2本決めて。
その後、点差を詰められた時に、
「ここなんだよ!」と、ボクからじゃなくて選手たちから出てきて。
それを見た時に、京谷イズムは残ったなと思いました。
 
  
-ロンドン大会から8年、京谷イズムは、
現在のチームにも引き継がれていますか
引き継がれていると信じたいですね。
そこでやっていた選手たちが4人位いますが、
魂は、キャプテンや副キャプテンが受け継いでくれていると思いますし。
 
 
-東京パラリンピックではどのくらいの活躍を期待していますか?
メダルに手が届くところまで来ていると思います。
イギリスとアメリカは抜けているんですが、
それ以下の6〜7チームは勝ったり負けたりという状況です。
東京パラリンピックでは、地元の利を活かして
応援してくれる人たちの声をパワーに変えて、
メダルは見えていると思います。
 
 
 
-車椅子バスケ、どんなところを見ると楽しめますか?
車椅子を扱いながらボールを扱うその難しさ。
自分の足のように車椅子を動かさなきゃいけない、
その細かいところも見てほしいですね。
あと、よくクラッシュもあるんで(笑)
 
 
-48歳、京谷和幸さんの夢は?
いくつかあります。
最近芽生えてきたのは、
育ててきたアンダー世代の選手と一緒にパラリンピックに出てみたい。
サッカーでは、Jリーガー、日本代表になる選手を育ててみたい。
障害を持った子どもたちにスポーツをやるきっかけを作りたい。
その中で、車椅子バスケやりたい、陸上やりたい、車いすテニスやりたい、
その延長線上にパラリンピックがあるのかなと。



そんな京谷和幸さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『お前が現役を続けることが、一番の社会貢献になるんだぞ』

ジェフユナイテッドのOB、
ゴールキーパーをやっていた加藤好男さんに言われた言葉です。
北京オリンピックが終わって、引退しようかと思っていた時に、
ジェフのOB会があって。
そこで、好男さんに、引退しようと思っていることを話したら、
「サッカーの指導者なんかいつでもなれるだろ。
 お前は、車椅子バスケの先駆者な存在だろ?
 現役を続けることが、一番の社会貢献になるんだぞ」と言われて。
金づちで頭殴られた感じでしたね。
この言葉がロンドンパラリンピックを目指す大きな原動力となりましたね。
次の日、妻に「もう1回パラリンピック目指していいか?」と告げたら、
妻「そう言うと思った」と。
子どもたちも「頑張って」と言ってくれたので、
最後、ロンドンまでやることに繋がったんですね。



 

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