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ソチ五輪・銅メダリスト 小野塚彩那選手の座右の銘とは?

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今回のゲストは、
ソチオリンピックのスキー・フリースタイル女子ハーフパイプで
銅メダルに輝いた小野塚彩那選手です


【小野塚彩那選手のプロフィール】

小野塚彩那選手は、1988年生まれ、新潟県南魚沼市出身。
スキージャンプの選手だった父親と、アルペンスキーヤーだった母親の影響で、
2歳からスキーを始め、アルペンスキーのトップ選手として活躍。
2011年、ソチオリンピックでスキーのハーフパイプが
正式種目となる
タイミングで種目転向を決意。
2014年のソチオリンピックでは、銅メダルを獲得。
2014年〜15年、2015年から16年の
2シーズン続けて
ワールドカップの年間総合優勝を達成。
2017年の世界選手権では金メダルを獲得し、世界の頂点へ。
2大会連続のオリンピック出場となった平昌では5位入賞。
今年1月、競技の第一線から退かれ、
現在は、圧雪されていない自然の斜面を滑る競技
「フリーライド」スキーで活躍。
 



–ご両親もスキー選手ということで、
スキー以外のスポーツをやろうと思ったことは無かった?

無かったですね。
夏場に何かやってもスキーのためにという感じで、
スキー中心でしたね。
 
 
-ハーフパイプへの種目転向に迷いはありませんでしたか?
基礎スキーで国内の1、2番を争う位置に居たので、
周囲から反対の声はありましたね。
それを押し切った感はありましたね。
 
 
-なぜ押し切ったんでしょうか?
やはり、オリンピック競技になったということと、
競技人口も少なかったのもあって。
オリンピック競技になる前に、
日本国内で世界大会があって、それに出たときに、
これだったら行けるかなと思いました。
  
    
-アルペンとハーフパイプ、違う感覚って無かったですか?
飛んだり回ったりは違うんですが、
スキーを走らせるということに関しての違いはあまり無いのかなと。
ハーフパイプの中でスキーを走らせる技術が大事なので。
アルペンをやっていたことが、ハーフパイプに活きましたね。
海外の選手もアルペン、モーグルがバックグラウンドの選手が多いです。
 
 
-ハーフパイプに転向して、これはマズイかなと思ったことは?
最初に出たワールドカップはまさにそれでしたね。
ハーフパイプやりたい、オリンピック出たいと思って出た
ワールドカップがブービー(ビリから2番目)だったので。
周りを巻き込んで、
後援会で応援をしてくださっている方たちのお金で遠征して、
2本とも転んじゃって、ブービーで…どうしようと思いましたね。
 

 
−リクエスト曲は?

 Vo Vo Tauの「裸~Nude~ 」です。
力強い曲で、聞くと頑張ろうと思えるので
いつも聞いていた曲です。
ブービーのときも聞いていました。


そんな小野塚彩那選手に、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』

−反対を押し切ってワールドカップでやらかして、その後は?
そこからひたすら練習しましたね。
その年の最後には、
日本人の女子で初めてエックスゲームズに出てたので。
 
 
 
-立て直せたんですね?
その年のコーチとの出会いが大きくて。
ひとりでアメリカで練習してたら、
ニュージーランド人に「お前コーチいるのか?」と声をかけられて。
「居ない」と言ったら、日本人のコーチを紹介してくれて。
最初のコーチはスノーボードのコーチで、
スキーを全く滑れないんですけど。
その方が、ソチでメダルを取るまでのコーチでした。
  
   
-スノーボードのコーチ?
ハーフパイプでもスキーの技術が大事じゃないんですか?
ハーフパイプも私は滑れてはいたんです。
高く跳ぶことも出来たんです。
でも、その基礎をもっとやろうと言われて。
ひたすらジャンプすることだけ、
エアターンというんですが、それを1日何十本も続けました。
 
 

-3年目にはソチオリンピックに行くんですもんね?
オリンピック直前のワールドカップで2位になって、
オリンピックには出れるだろうなと思っていたんですが、
メダルはどうかなという感じでした。
  
  
-オリンピックに魔物はいませんでしたか?
オリンピックは全然緊張しなくて。
とても冷静でした。
その前のエックスゲームズがとにかく緊張して。
その大会は4位だったんです。
オリンピックでは、3位だった子が決勝で2本とも転んじゃって、
棚ぼたではないですけど…。
オリンピックは名誉あることですし、
知ってる人はエックスゲームズ凄いって言いますけどね、
どっちがっていうのは、比べられないですね。


そんな小野塚彩那選手が今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『やらないで後悔するなら、やって後悔する』
 
競技転向がいい例なんですが、
とりあえずやってみてダメだったらしょうがないと思うんですけど、
やらないでいてやれば良かったと思うよりは。
周りからどんなに言われても
競技転向は親からも結構言われたので。
でも、最後はやるのは私ですし、
トレーニングするのも怪我するのも私ですし。
競技転向をしてよかったと思っています。


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