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バスケ界のレジェンド・長谷川誠さんが能代工業時代に教わった言葉とは?

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今回のゲストは、
バスケットボール元日本代表で、
現在は、東京オリンピックの新種目、
3人制バスケットボール「3×3」の日本代表コーチを務める、
長谷川誠さんです


長谷川誠さんのプロフィール】

1971年生まれ、秋田県横手市出身。
小学5年からバスケットボールを始め、
名門・能代工業高校では、
1年の時からインターハイ、国体、ウィンターカップに出場。
3年では、キャプテンを務め、全国制覇。

日本大学では、大学3冠を達成。
卒業後は、実業団に進み日本リーグで活躍、
1年目から新人王とMVPを獲得。

日本代表では、ユニバーシアードで得点王に輝き、世界2位の立役者に。
さらに、31年ぶりの世界選手権出場も遂げるなど、
高い得点力が魅力の司令塔として活躍。

 2000年には、アメリカの独立リーグ「ABA」入りを果たし、
日本人初の海外プロリーグ選手になるなど、
日本バスケ界の先駆者として、その道を切り拓いた。

2013年、42歳で現役を引退、
現在は、3×3(スリー・エックス・スリー)の
日本代表アソシエイトコーチを務められています。



–長谷川さんに会ったら聞きたいと思っていたことなんですが、
 なぜ秋田の能代工業はあれほど強いんでしょう?

指導者の力だと思います。
OBも沢山いるというのも要因ですね。
夏休み、冬休み、春休みの度にOBが来ますので。
試合した後にOBが直接指導しますね。
勝つためのコツをメンタル、技術を指導します。
 
 
-全くOBが居なかった時代もあったわけですよね?
加藤廣志監督時代、全国を33度制したんですが、その最初の頃は?
その頃は、自分たちはサイズが無いから、
守るんじゃなくて攻め返すと。
オールコートで当たって、切り替えを早くしようと。
その原点だったみたいですね。
それで結果を出して徐々に強くしていったんでしょうね。
 
 
-OBの方たちは、能代工業に相当愛着がありますよね、その理由は?
OBもまだ上手くなりたいんですよ。
能代工業に行くと、
後輩から刺激をもらってまた頑張ろうってなるんですよ。
僕も日本代表になって鼻高々で行ったんですよ、
でも、それが通用しなかったりするんですよ。
加藤監督から「お前最近調子に乗ってない?謙虚になりなさいよ」と。
それがグサっとくるんですよね。
もっと高いレベルを目指して頑張ろうとなるんですよね。
 
   
-OBで行った時に田臥勇太選手がいたそうですね?
彼が1年の時かな。見た目は小さいので舐めてかかりますよね。
そうするとやられるわけですよ。
そうすると自分のプライドもあるのでガツンとやるわけです。
それを田臥に伝えます。
 
 
-能代工業が絶対王者で無くなったのはいつ頃ですか?
昭和から平成に変わったくらいですかね。
理由は留学制度です。
2m級の留学生が入ってきて一気にレベルが上ったんですよね。
そうすると能代工業が勝てなくなってきて、
魅力も薄くなるのかなと。
実は「能代工業」という名前が変わる可能性もあります。 


−リクエスト曲は?
ボニー・タイラーの「ヒーロー」です。
日大時代、ウォーミングアップの時に必ず流れてたんです。
これを聞くとテンションが上がって、
ウォーミングアップで初めてダンクを決めました。
大事な試合のときには必ず聞いてましたね。


そんな長谷川誠さんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』

−バスケット、八村塁選手というヒーローが現れましたよね?
高校の頃から別格でしたね。
高校生の中に1人プロが混ざってるなって。
ただ、NBAの1巡目での指名は驚きましたね。
NBAには行くだろうと思っていましたが、
スゴイ嬉しかったですね。
 
 
-陸上の100m、テニスのグランドスラム、
日本人が勝てない時代から大きく変わりましたよね、バスケはその最たる例では?
間違いなくアメリカの大学に行ってNBAを目指す選手も増えていますし。
世界にみんなが行き始めたのは、良いことですよね。
昭和が野球、平成がサッカー、
令和がバスケットボールになって欲しいなと。

  
-盛り上がる中でのW杯の全敗でしたが?
これは良かったと思っています。
現在の立ち位置を知る上で。
次のW杯では、1,2勝するでしょう。
もしくは予選突破、あると思います。
今回の全敗が、来年のオリンピックに間違いなく繋がっていると思います。
 

-八村塁選手にとってもW杯は衝撃だった?
大学のときも含めてあれほど止められたのは初めてじゃないですか?
高校時代も敵なしで、大学でも2年生から試合に出始めて。
でも、W杯で自分より2周りくらいレベルの高い選手とやって
何も出来なかったわけですから。

-バスケットボールって以前は、日本はサイズが無いので
はなから諦めていたところもあったと思います。変わってきてますか?

それは変わってきてます。子どもたちの夢で
プロバスケットボール選手という子が増えています。
今の小学生が10年後20年後、
世界の舞台で活躍すると思っています。


そんな長谷川誠さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『勉強と部活を両立し、人間性を高める』
高校時代、能代工業の部の伝統で、
ずっとこの言葉を使い続けてきました。
15歳、16歳の頃って、人間性ってなんだろうって戸惑いますよね。
でも、先輩方が言われ続けてて、
自分も先輩になったら言い続けて。
バスケットボールで何を教わりましたか?って聞かれたら
「人間力かな」と答えています。
人を思う気持ち、諦めない気持ちとか、持続性とか、
挨拶をするとか、当たり前のことを当たり前にする。
それを能代工業時代に教わりましたね。


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