今週はホッピー65周年記念 ホッピーの歴史を紹介していますが
陸軍に納める餅菓子を作るようにお父さんに命じられた石渡秀くん
当時小学生だったそうです。
陸軍から今度はラムネも作ってみるか?という話がきてラムネ作りを決意しますが
ラムネが日本に入ってきたのは 幕末のこと
記録によれば、あのペリーが浦賀に来航したとき艦上で
交渉に当たった幕府の役人にラムネが振る舞われたのが最初と言われています。
当時は、コルクで栓をしていたそうで
開けたときのポン!という音を銃声と勘違いした幕府の役人たちが、
いっせいに刀の柄に手を掛けたというエピソードも残っています。
ちなみにラムネとサイダーの違いは王冠で栓するのがサイダー
ビー玉で内側から栓をするのがラムネです。
話を秀さんに戻しますが、15歳になっていた秀さん
毎日1ケース 50本入りのラムネを 30箱くらい
大八車に乗せて遠くは大森のほうまで売りに言っていたそうです
坂の街、赤坂は車の上り下りが大変で、坂の下には
押し屋さんという荷台を押してくれる元祖フリーターのような
人がいて手伝ってくれていたそうですね
たくさんの人の支援で広がり続けるホッピーですが
当時の秀さんが、いまのホピトラを見たら
どんな感想をいうのか、聞いてみたい気がします。
|
|