看板娘ホッピー・ミーナのHOPPY HAPPY BAR
まもなく一日が終わろうという夜10時前。
ホッと一息ついているアナタに向けて、ホッピー・ミーナが、明日の活力を充電するための秘訣を届けます。
ホッピー・ミーナとは、ホッピーのPRのために日本全国を駆け回っている“空飛ぶ看板娘”こと、ホッピー・ビバレッジの代表取締役社長・石渡美奈。
垣花正アナウンサーと一緒に、軽快で元気なトークと、聴くだけでハッピーになる話題をお送りしていきます。

番組に対するご意見はhoppy@1242.comに

Hoppy Happy Bar ポッドキャストはじめました!
HOPPY
ラジオ大阪 東海ラジオ
石渡 美奈(いしわたり・みな)
68年、東京生まれ。90年立教大文学部卒、日清製粉、広告代理店を経て97年に家業のホッピービバレッジ(旧コクカ飲料)に入社し広報宣伝を担当。2010年に社長に就任。
垣花 正(かきはな・ただし)
1972年、沖縄生まれ。ニッポン放送アナウンサーとして入社以来、昼間から深夜までの様々な番組を担当。人懐っこい性格で、幅広い層のリスナー、特に熟年女性からの人気を掴んでいる。
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3/12ホッピーと赤坂の歴史② bacnumberlist
今週はホッピー65周年記念 ホッピーの歴史を紹介していますが
陸軍に納める餅菓子を作るようにお父さんに命じられた石渡秀くん
当時小学生だったそうです。

陸軍から今度はラムネも作ってみるか?という話がきてラムネ作りを決意しますが
ラムネが日本に入ってきたのは 幕末のこと
     
記録によれば、あのペリーが浦賀に来航したとき艦上で
交渉に当たった幕府の役人にラムネが振る舞われたのが最初と言われています。

当時は、コルクで栓をしていたそうで
開けたときのポン!という音を銃声と勘違いした幕府の役人たちが、
いっせいに刀の柄に手を掛けたというエピソードも残っています。

ちなみにラムネとサイダーの違いは王冠で栓するのがサイダー
ビー玉で内側から栓をするのがラムネです。

話を秀さんに戻しますが、15歳になっていた秀さん
毎日1ケース 50本入りのラムネを 30箱くらい
大八車に乗せて遠くは大森のほうまで売りに言っていたそうです

坂の街、赤坂は車の上り下りが大変で、坂の下には
押し屋さんという荷台を押してくれる元祖フリーターのような
人がいて手伝ってくれていたそうですね

たくさんの人の支援で広がり続けるホッピーですが
当時の秀さんが、いまのホピトラを見たら
どんな感想をいうのか、聞いてみたい気がします。
 

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