1959年生まれ。小学校5年生の時、父親が経営する会社を清算したことから「自分は将来、社長になる」と決意する。明治大学を卒業後、財務や経理を習得するため、経理会社に半年間勤務。その後1年間運送会社で働き資本金300万円を貯める。1984年ワタミを創業。2000年東証一部上場。「地球上で一番たくさんのありがとうを集めるグループになろう」という理念のもと、外食・介護・宅食・農業・環境など、人が差別化となる独自の労働集約型事業モデルを構築してきた。
7/30 三屋裕子さん前編 |
2016/07/31 |
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【裏話】
オープニングで、理事長をつとめる郁文館のグローバル高校が
上智大学進学率で日本一となったことを報告していた渡邉さん。
記事がのった週刊誌を手にこの表情。
週刊誌嫌いを公言している渡邉さん
週刊誌を手に笑顔、相当珍しい光景です(笑)
【7/30放送】
ゲストは、コメンテーターとしてもおなじみ、
元バレーボール全日本女子で、現在日本バスケットボール協会会長の三屋裕子さん。
背の高い渡邉さんとならんでもこのツーショット。
話はまず、なぜ現在、バレーボールでなくバスケットボール協会の会長を務めているか...
元Jリーグチェアマンの、川渕三郎さんが、バスケットボール協会の立て直しをすることに。
Jリーグの理事をしていた三屋さんの仕事ぶりと経験、
それと何よりバスケットボールは女性の競技人口が多いことからぜひにと依頼された。
リオ五輪にも女子バスケが出場するためブラジルに行く前の三屋さん。
史上最強の呼び声と聞き、渡邉さんも「楽しみに注目します」とコメント。
バスケットボール協会が二つに分裂し国際試合の出場もできないほどになっていた理由を
渡邉さん、踏み込んで質問。
三屋さん、「企業型の実業団と地域密着型のチーム、二つのタイプの事情と思想が違った。
ただ一番は協会のガバナンスとリーダーシップ。」
数年前の女子サッカーブームを引き合いに、
リオ五輪で今回、女子バスケが活躍すると、その後の人気や展開が期待できると双方見解が一致。
三屋さんはロス五輪銅メダルで現役を引退。靴も道具もすべてロスに置いてきた。
渡邉さん、それはまた極端、なぜ??と質問。
教師になると決めていた。
現役選手よりその後の人生の方が長いことはずっと意識していた。だから未練はまったくなかった。
渡邉さん、三屋さんの芯の通った生き方哲学に、鮮やかなスパイクを見せられたような表情でした。
次回は、三屋さんの5年後の夢もお聞きします。