3月2日から3日にかけて東北3県を取材した際のツイッターをまとめました。

 

3月2日

 

上柳です!土曜から日曜にかけて大船渡から南下して南相馬に行ってきます。地震をきっかけに知り合った方々にお会いして来ます。

 

上柳です。仙台着。北上まであと一時間

 

今、北上からレンタカーで大船渡に出発。雪が凄い。

 

もうすぐ大船渡。雪が消えました。晴れてきました。

 

大船渡着。福山雅治さん御用達のカレー南蛮が絶品の「百樹屋」さんで昼食。

 

大船渡の写真屋さん「太陽堂」さんにお話を伺う。

 

番組を通じてご縁を頂いた大船渡の写真屋さん「太陽堂」さん、洋菓子の「おおうらや」さんに取材。とにかく建設関係の人手が足りないとのこと。

 

水産加工の工場も再開しているが、津波を経験したベテランの女性は、同じ経験をしたくないと職場にもどっていない。ここも人手が足りない。

 

大船渡から陸前高田へ。瓦礫が多少片付けらたが、一年前とあまり状況が変わっていない。大船渡から入るとその差に愕然とする。

 

気仙沼。市街地に打ち上げられた大きな船がそのままに。

 

気仙沼の街の外れに仮設店舗が連なる。この店舗の名前が大きな看板に。「ココサカエル」ここに帰るぞ!というお国言葉と、ここが栄えるんだ!という意味と思う。

 

南三陸町への道。津波で壊滅した小さな漁港をいくつも通過。住んでいた方々はどうしているのか。

 

南三陸町。津波で鉄骨だけになった防災対策庁舎で手を合わせる。波の力で曲がった鉄骨が風に揺れてギシギシ泣いている。

 

しかしながら、近くには釣具店の仮設店舗が、周囲に何もないのに一軒だけポツンと。釣り船もやっている。同じく仮設のガソリンスタンドも。逞しさに驚くとともに感動する。

 

山根一眞さんが応援して建てた大指十三浜の子供ハウス。偶然見つけて立ち寄る。仮設住宅で暮らす元漁師の遠藤さんを取材。山根さんによろしくと言われる。偶然の出合い。鶴瓶さんほどではないにせよ。

 

海沿いに建つ吉浜小学校の横を通過。2階建ての校舎の屋上まで津波。体育館は骨組みだけに。子供たちはみんな逃げられたことを祈る

 

上柳です。仙台着。レンタカー時間内に無事返却。ドライバーは冨山D。お疲れ様。新幹線で福島へ。明日は南相馬取材。駆け足で申し訳ない。

 

上柳です。福島にて夕飯。地酒を飲んで地域に貢献と言い訳しつつ飲んでしまいました随分と。ではおやすみなさいませ。

 

3月3日

 

上柳です。福島を出発。南相馬へ。

 

南相馬の海沿いに住むUさん。お子さん2人とご両親が津波で行方不明に。一年ぶりに訪ねたがお留守のよう。後でもう一度伺おう。

 

これから南相馬の民間人で除染活動を行っている方に取材。

 

南相馬の除染、取り除いた土、葉、枝の処分の問題が深刻。仮置き場の場所が足りない。

 

南相馬、震災前の中心地、原町地区には若い人が戻って来ない。町の高齢化がかなり進んでしまっているとの話。

 

上柳です。南相馬市原町地区のラーメン屋さん「すず」に一年ぶりに伺う。ジャーナリストの山路さんお薦めの店。「味噌ディープインバクト」というラーメンが激うま!辛いのだけどうまい。こってりしているが腹にもたれない。スーブもすべて飲み干してもまだ飲みたいラーメン。

 

うまいラーメンを南相馬で作り続ける店主の鈴木さん。また食べに来ます。

 

鈴木さんにラーメンを食べながら聞いた話。原町地区の9つの小学校、新入学の子供が一桁の学校が多数。子供がいない。若い夫婦がいない。

 

南相馬の郊外のファミレスは全国でも上位の売上とか。仮設住宅に住んでいる方々が集会所がわりによく利用されるそう。しかし店のスタッフが人手不足。特に女性はが。そのため東北や北海道から応援にスタッフか派遣される。雇用があるのに人手がいない。うーん。

 

震災から一年目はもう必死であっというまだった。そしてこの一年は長かったと自治体が運営するスーパーマーケットの責任者の石沢さん。

 

この状況は後数年は変わらないのではと。それでも皆で知恵を出しあって原町地区の商店街を盛り上げたいと語る。

 

原町地区から出ていった人も多いが、原発事故で故郷に帰れない方々に原町地区に住んで頂き、空き店舗で新たにに商売をしていただくなど様々な可能性を探る。

 

南相馬には諦めていない人がたくさんいる。解決策が見えないことが山積しているが、決して諦めない人がいる。

 

今回は結局、南相馬のUさんには会えなかった。ラジオ福島の大和田さんと震災の年の夏にお会いした。マスコミ不審で取材には絶対に応じない方。大和田さんが時間をかけて信頼関係を作った方。

 

マイクを向けることはないのだが、被害にあった家に置かれたご家族の遺影に手を合わせてきた。また今度の機会に。

 

今日はドライバーは私。冨山Dはものもらいがひどく運転不可。移動中ツイッターかできず新幹線の中でまとめて。

 

「すず」のラーメン食べた後、助手席で爆睡する冨山D。忙しい人だからしやーない。

 

私たちは単なる取材者。物見遊山と批判されても仕方がない。取材が終われば東京に帰ってしまう人。新幹線の中で缶ビール飲みながら。

 

いつも思うことは、心苦しさ。でも行かなきゃわからないことだらけ。だからまた伺う。

 

様々な感想をありがとうございます。そうですね。過去のことにしちゃいけない。そして私たちの今、そこにある危機。