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ごごばんからのお知らせ

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ニッポン放送
「上柳昌彦・山瀬まみ
ごごばんフライデースペシャル」宛て

上柳ごごばん日記

2015.03.30

「ショー マスト ゴーオン」

 

三谷幸喜さんの作品に「ショウ マスト ゴーオン」という芝居があります。「幕を下ろすな」と言うサブタイトルもついていました。舞台の袖ではとんでもないことが起こり続けるのだけれども、それでもなんとか続けなければならないという抱腹絶倒の芝居でした。

 

何があっても芝居は続けるということから、始めたことは途中でやめてはならないという意味を持つ言葉です。

 

私の仕事もまさに「ショウ マスト ゴーオン」であります。「ごごばん!」というタイトルの番組は消えました。テレビでは超長寿番組を担当する山瀬まみさんのラジオでの長寿番組を作ることが出来なかったことが悔やまれてなりません。

 

ひとえに私の不徳の致すところであります。本当にまみちゃんごめんなさい!

 

と言いつつ、私は同じ曜日同じ開始時間の番組を担当することになりました。正直申し上げまして非常に複雑な心境でありますが、それでもやっぱり「ショー マスト ゴーオン」なのです。

 

手に職を持つていていいですねぇとよく言われるのですが、スタジオとマイクがなければ私なんぞただのおしゃべり野郎ですから。といいますか普段はそんにしゃべりませんから。それでも次の場所を与えてもらったからにはまたまた幕を上げるしかありません。

 

さぁ「ショー マスト ゴーオン!」

2015.03.20

米朝師匠が語ったこと

 

19日に桂米朝さんが亡くなられました。89歳でした。翌日の新聞には訃報を伝える特集記事が多く組まれましたが、毎日新聞に米朝さんのこんな言葉が掲載されました。

 

「落語とはおしゃべりによって、お客さんを"違う世界"へご案内する芸であって、メーキャップも、大道具も、小道具も、衣装も、全部、お客様の想像力にたよって、頭の中に聞き手が作り出してもらう、ドラマである」(3月20日金曜日毎日新聞朝刊より)

 

不肖上柳、私はラジオの面白さを聴かれるたびに、米朝師匠がおっしゃたような趣旨のことを常に語っていたのです。ホントです。

 

私は「ラジオなんで見えなくすいません」的CMを作る人の気がしれない訳です。絵がないから面白いじゃんかよぉってなものです。

 

ラジオを聴いてくださっている方々の頭の中には、個々それぞれのスクリーンがあって、そこにはこれまたそれぞれの映像と音楽そしてカット割りなどもあって、つまりは聞き手お一人お1人が映画監督のようなものですと言ってきたのです。

 

ね。趣旨は似てません?

 

しゃべり手と聞き手の共同作業で初めてラジオは完成するのかもしれません。しかしこれには多少の訓練も必要です。CGを駆使した映像を観なれた人には、何を眠たいことを!と言われてしまうかもしれません。

 

特にラジオは日常の生活の様々をこなしながらお聴きいただいています。携帯に電話がかかって来ることはもちろん、さてこの仕事の段取りはどうしようなどと一瞬でも考えれば、頭の中のスクリーンはあっという間に消え去ってしまうという弱い弱い存在です。

 

その弱さすら愛しく、それでも絵を思い浮かべてもらおうと様々悪戦苦闘しているうちに30数年が過ぎ去って、気が付けばお相手も場所もめまぐるしく変わりながらマイクの前に座っている私であります。

 

という事で27日金曜日の放送で「ごごばん!フライデースペシャル」はその短い歴史に幕を下ろします。ご愛聴に感謝申し上げます。

 

 

 

 

 

2015.03.13

さまざまな状況

 

今年も一週目に南相馬、翌週に大船渡そして陸前高田を巡ってきました。それぞれ土曜日に日帰りでの取材でした。

 

東北の海岸線は長いという事を毎回痛感いたします。本当は気仙沼大島や仙台でもお話を伺おうと考えていたのですが、時間が足りませんでした。

 

個々の話は「ごごばん!」と「オトパラ!」でかなりさせていただきましたが、4年という歳月が皆さんの置かれた状況を様々に変えていることが印象的でした。

 

帰還か移住か。仮設か復興住宅か。高台に住むか海岸部に戻るか。

山間部に平地があるか平地がないか。原発がある不安となくなる不安。常磐道が開通して喜ぶ人とそうでない人。

 

どの立場の方に話を伺うかで受ける印象は全く異なります。東日本大震災追悼の式典で天皇陛下の被災者の方々に寄り添ったお言葉と安倍首相の復興が進んでいることを強調した挨拶がまさにそうでした。

 

しかし多くの場所で共通した問題は、若い人々が被災地を出てしまったということでした。飲食、スーパー、介護などいくら求人をしてもまったく人が集まらない現実がありました。県外からは防潮堤やかさ上げの工事、また除染作業や廃炉に従事する人は入ってきているのですが、何十年もかかる廃炉作業以外はいつかは去って行く人々です。

 

2年前に北海道南西沖地震で津波の被害をうけた奥尻島に行きました。立派な港と津波を避けるコンクリートの巨大な建造物、そしてかさ上げされて再建された町並みを見ました。

 

残念ながら若い人々は島を出てしまい、人けのない静かな光景がそこに広がっていましたが、それでも島に頃ワイン作りを初めて島に雇用をと頑張っている方々にも会いました。

 

20年後の東北、そして20年後の日本。英知を出して考えなければならないことだらけです。少なくとも国会の場で「路チュー」がどうのと責めたり責められたりしている場合ではないと本当に思うのです

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