6月第3日曜日は『父の日』です(今年は16日)。

それを前に、その功績などから『〇〇と呼ばれる父』について・・・

 

■今週(6/106/14)のテーマ:『〇〇と呼ばれる父』

 

6/10(月) 『"ビタミンの父" 高木兼寛(たかき・かねひろ)さん①』  

 

"ビタミンの父" 高木兼寛さんは医学博士で、

東京慈恵会医科大学の創設者でもあります。

 

高木兼寛さんは幕末の1849年、現在の宮崎県宮崎市に

武士の子として生まれましたが、のちに医学の道へと進みます。

時代が『江戸』から『明治』になると、医学の勉強のために

イギリスに留学しました。

 

当時、日本では『脚気(かっけ)』という病気が大流行していました。

『脚気』になると、末梢神経や中枢神経といった、

身体の働きにとても重要な神経に障害を起こします。

それによって、全身の倦怠感や手足のしびれ、足のむくみ、

足のけいれん、足元がおぼつかないといった症状が発生します。

悪化すると、死に至ることがあります。

 

一般的にヒザの下をたたくと、足がはね上がります。

ところが反応しない場合は、『脚気』の疑いがあるとされています。

そんな『脚気』に対して、 高木兼寛さんは立ち向かっていきます。

 

 

6/11(火)  『"ビタミンの父" 高木兼寛さん②』

 

明治時代に『脚気』という病気が大流行しましたが、

原因がなかなか解明されませんでした。

特に海軍では『脚気』で亡くなる軍人の方が、

とても多かったそうです。

当時、高木兼寛さんは海軍医師をされていて、

『脚気』の原因を探るための調査を行いました。

 

すると、同じ海軍でもイギリス海軍の間では、

『脚気』が発生していないことに気づきました。

そこで、イギリスと日本の海軍の食生活を比較したところ、

日本の海軍の食事は、イギリス海軍の食事よりも圧倒的に

炭水化物が多くて、タンパク質が足りないことが分かりました。

それを受けて、高木兼寛さんは食事の改善に乗り出しました。

 

そのひとつが、イギリス海軍で食べられていたカレーです。

カレーは栄養バランスに優れていて、調理が簡単で大量に作れること、

そして何よりも美味しい!という理由から、日本の海軍でも

採用されることになりました。

こうした食生活の改善で、海軍の間で『脚気』がなくなったそうです。

 

後に高木兼寛さんの研究は、"ビタミンの発見"へと繋がっていきます。

それまで『脚気』は"細菌による伝染病"だと考えられていましたが、

最終的に"ビタミンB1不足が原因"だと証明されました。

 

このことから高木兼寛さんは

『ビタミンの父』と呼ばれるようになったそうです。

 

 

6/12(水)  『"日本の宇宙開発・ロケット開発の父" 糸川英夫(いとかわ・ひでお)さん①』

 

2003年(平成15年)5月、日本の小惑星探査機『はやぶさ』が

打ち上げられました。

『はやぶさ』は太陽系の小惑星『25143』に到着した後、

惑星の表面の観測と、表面の物質を採取して持ち帰る

"サンプルリターン"を行いました。

そして7年後の2010年に、『はやぶさ』は地球に帰って来ました。

 

小惑星『25143』は、『はやぶさ』が到着した3ヶ月後に

『イトカワ』と名付けられましたが、この名前の由来となったのが

糸川英夫さんです。

 

糸川さんは元号が『明治』から『大正』に変わる直前、

1912720日、東京で生まれました。

好奇心が旺盛で、好きになったら何でものめり込んでいく少年だった

糸川さんですが、中学生の時、あることに衝撃を受けました。

それはアメリカのチャールズ・リンドバーグさんによる、

"ニューヨークからパリまでの、大西洋横断飛行"でした。

リンドバーグさんは途中、一度も着陸せずに、たった一人で

33時間2930秒かけて大西洋を横断しましたが、それを知った

糸川少年は"なぜこの素晴らしい快挙を、日本人がやれなかったのか!"と

とても悔しがったそうです。

 

それでも"そうだ!まだ太平洋横断が残っている!"と

飛行機への想いを強くした糸川さんは、大学を卒業すると、

民間の飛行機製造会社に入社し、戦闘機の設計に関わりました。

また独自に、ジェットエンジンの研究も始めました。

 

 

6/13(木)  『"日本の宇宙開発・ロケット開発の父" 糸川英夫さん②』

 

工学者で、小惑星『イトカワ』の名前の由来にもなった

糸川英夫さんですが、飛行機の開発に情熱を燃やして、

民間の飛行機製造会社に入社しました。

そこで飛行機の設計をしていましたが、戦争が始まると、

戦闘機の開発を命じられました。

ところが戦争が終わると、飛行機の研究が禁止となってしまいました。  

    

失意の中、ある日、糸川さんは『脳波の診断器』の開発の依頼を受け、

研究を進めていたところ、その業績が認められて、

アメリカ・シカゴの大学で、講義をするようになりました。

 

その大学で糸川さんは、アメリカが"人間をロケットに乗せて

宇宙へ送り出す計画"を進めていることを知りました。

それをキッカケに、飛行機を研究していた頃の楽しさを思い出して、

"ロケットをこの手で作ろう!"と決意しました。

 

そして予定を繰り上げて、1953年(昭和28年)に帰国した

糸川さんはロケットの研究チームを作りました。

こうして糸川さんを中心に"宇宙をめざす日本のロケットの研究"が

本格的にスタートしました。

当時"超高速で飛べるロケットを作って、太平洋を20分で横断する"という

目標を立てましたが、予算や資源の関係で難しかったそうです。

それでも研究を進めた結果、直径1.8cm、長さ23cm、重さ200gの、

小型ロケットの開発に成功しました。

この小型ロケットは、ペンシル(鉛筆)に似ていることから

『ペンシルロケット』と名付けられました。

 

 

6/14(金)  『"日本の宇宙開発・ロケット開発の父" 糸川英夫さん③』

 

直径1.8cm、長さ23cm、重さ200gの小型ロケット、

その名も『ペンシルロケット』の開発に成功した糸川英夫さんは

1955年(昭和30年)、発射実験を行いました。

 

当時、日本にはまだ"レーダによるロケット追跡技術"がありませんでした。

そこで糸川さんは、ロケットを打ち上げるのではなく、

"水平に発射する"という方法を思いつきました。

こうして行われた『ペンシルロケット』の発射実験ですが、

29機すべて成功でした。

 

この成功から、いよいよ本格的に"上に向かって発射"する実験が

進められました。

そして誕生したのが、全長1mを超える『ベビーロケット』です。

発射実験では高度6キロに到達し、成功しました。

 

1957年(昭和32年)、『国際地球観測年』という、

国際的な科学の研究プロジェクトが始まり、日本も参加しましたが、

地球の観測のためには、高度100キロに達するロケットの開発が

必要でした。

その結果、誕生したのが2段式ロケット『カッパロケット』です。

こうした努力や成果が、現在の日本のロケット開発に大きく

繋がっています。

 

 

■今週の感想 

 

今週は『父の日』を前に"〇〇の父"と呼ばれる方の中から

"ビタミンの父" 高木兼寛さんと

"日本の宇宙開発・ロケット開発の父" 糸川英夫さんを

ご紹介しました。

 

お時間の関係で、お二人しかご紹介できませんでしたが、

日本だけでなく世界にもたくさん"〇〇の父"と呼ばれる方々が

いらっしゃいます。

またいつか改めて、ご紹介したいと思います。

 

ちなみに私は糸川さんが開発された『ペンシルロケット』の

キーホルダーを持ってます。

 

 

【お知らせ① 次週(6/17~)からのテーマ】

 

今年後半から来年にかけて、祝日に大きな動きがあります。

改めて『祝日』について・・・

 

 

【お知らせ② 番組で使用しているBGM

 

◆オープニング 

SIMPLE THING(シンプル・シング) / ミニー・リバートン

 

◆エンディング

LARRY'S WORLD(ラリーズ・ワールド) / ラス・フリーマン