阿部亮のNGO世界一周!
番組では、日本国内や世界各国で活躍するNGO(国際協力に携わる民間組織)を紹介。
NGOの代表や現地スタッフの方々をゲストに迎え、「なぜNGOに入ったのか?」
「現地はどんな悲惨な状況なのか?」
「どんな支援活動をしているのか?その成果は?」
「NGO活動の現場で目撃した現実とは?」「NGOは世界をどう変えたいのか?」
などの疑問に迫りつつ、世界を舞台に頑張っている日本人の姿を、
パーソナリティ阿部亮が紹介していきます。
今年は阪神・淡路大震災から20年。
1月17日、今でも思い出しますが、あの日は 新人Dでまだ間もないころ、放送Dにあたっており、
大変な地震が起こった、騒然とする社内、報道部、何をどうしていいかわからない中、
指示されるままに動いていた。反面、自分の親友が 神戸・灘区に住んでいる・・・
彼女は今、どうしているのか、放送中、ずっとそんなことを思っていた。
当時 親友が灘区に住んでおり、あの地震の瞬間、
パジャマ姿でマンションを飛び出したこと、
避難所になった小学校に避難しましたが、
20代だった彼女は、(お年寄りや、要援護者、子供、が優先という状況で)
なかなか、気の休まることないまま、、、、さらには、その小学校で火災が起きたため、
そこから逃げて、徒歩で大阪まで行った話を聞きました。
その後、知り合いの大阪のお宅にたどり着きましたが、高熱を発症し、
1週間寝込んでいました。
連絡が取れたのは、約2か月ごろ・・・。
会社も神戸だったので、住まいも半壊になり、危険ということもあり、
大阪の社員寮に住むことになりました。めまぐるしいことが続きすぎて
彼女はとても疲れ切ってきました。
励ますことなど安易に思えて、言葉が出ません。
その時、自分の無力さを感じました。
この先もずっと毎年 彼女はこの日のことを思い出すのかと思うと・・・
寄り添うことしかできなかった。
そんな思いの1月17日。
この番組が最初の外取材が 縁あってなのか、
阪神・淡路大震災の教訓を生かそうと
兵庫県で唯一の環境防災科でした。高校の科に
「防災」を学ぶ?と非常に関心を持った記憶があります。
環境防災科は全40名。全単位の3分の1が専門単位です。
その当時は、環境防災科の生徒さんにもお話を伺いました。
みんな阪神・淡路大震災の時のことは知らないけれど、
お母さんや、祖父母からずっと聞いていたそう。
生徒一人一人が、「防災の知識を知っていれば、ひとつでも役に立つことがある」
という思い、人の痛みをわかること、その重要性をわかっている実感を受けました。
そして、今回
その環境防災科長の和田茂先生にお電話で出演していただき、
環境防災科のことや、自然災害の多くなっている日本でのさらなる生徒たちの活動、
そして16日に行われる、震災メモリアルイベントについて伺っています。
和田先生の「伝えたい思い」、ぜひ 聞いてください。
震災から学ぶこと、同じ悲劇を繰り返さない、という意味が込められています。