2月22日
■人との出会いが育てた日本初のメジャー捕手〜城島健司■
WBC日本代表で正捕手として期待される城島健司。
当時のダイエー入団当初は、達川光男バッテリーコーチに「素人以下」と酷評された。
工藤公康が投げる大きく曲がるカーブは取れない、リードはできない。体だけは大きい。
しかし、王貞治監督は城島を正捕手に育てるために英才教育を施させた。
「城島を一人前にしろ」の号令の下、工藤は城島のサインに首を振らずその通りに投げた。
打たれるとわかっていても投げた。そして、あとで「なぜ打たれたか」を考えさせた。
失敗経験こそが捕手のリードを育てると知っていたからだ。

達川コーチのあとに就任した若菜嘉晴コーチはユニークだった。
福岡の天神という繁華街で交差点に城島を立たせた。
「そこを通る女性がどこの店に行くかを考えろ」と。
城島は女性を見て予想を立てて、ストーカーのように後をつけ、どんな店に入るのかを確認した。
若菜は「なあ、ジョー。女性が小奇麗にしていればブティックに行くし、
ぽちゃっとした女性ならケーキ屋に行くかもしれない。人間を観察をして推理するんだ」と。
そして、こうも言った。「ジョー、ひとつだけ覚えておけよ。お前の指一本で、お前のサインで、
ピッチャーが幸せになったり不幸になったりするんだ。それくらいキャッチャーは大切なんだ」
トレーニングはグランドだけじゃない。街角でもできるのだと城島は知った。
余談だが、城島は球界でも一、二を争う「雀師」である。麻雀が滅法強い。これはプロ入り前から
だそうだが、麻雀の観察眼・読み、といったセンスも野球に活かされたのだろう。

山村善則という二軍のバッティングコーチも城島の恩師である。
城島の打球が上がらない、ドライブがかかるという欠点を直すため、
山村は約20度、左足(右打者の前足)が下がる“滑り台”を注文し、その上でバットスイングを
やるという練習法を思いついた。滑り台”を使うことで右足から左足への体重移動に難がなくなり、
左の脇もうまくしまるようになった。ボールに対しバットが斜めに入ると打球が自然に上がるよう
になった。バットのヘッドが走り、ボールに対してギュッと潰すイメージを体得したのだ。

人との出会いが日本人初のメジャーリーグ・キャッチャーを育てた。
マリナーズではデビューの年こそ華々しい活躍を見せたが、徐々に出番が減り、3年目の昨年は、
ベンチを温める機会が多かった。監督との相性がよくなかったこともあるが、メジャー流のリードは
投手の得意な球種を優先するのに対して、城島は打者の打てない球を要求する日本式のリード。
そこが受け入れられなかった面もある。
今シーズンからマリナーズは日系米国人のワカマツ監督が指揮を執る。城島の日本流が受け入れられ
れば、再びマリナーズの正捕手として活躍してくれるだろう。そのためにも、WBCで、
キャッチャーとしての城島の能力をメジャーの打者たちに見せ付けてほしい。






 
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