3月 1日
■鉄の爪・フリッツ=フォン=エリック■
昭和40年代、ジャイアント馬場やアントニオ猪木が躍動した
日本のプロレス界で、バイプレーヤーとして活躍した外国人選手。
その代表格が、「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックだ。

193センチの大男でジャイアント馬場と戦っても見劣りしなかった。
馬場対エリックは、いわば「剛球対剛球」。
脳天チョップと鉄の爪の応酬だった。

握力計を振り切ったという逸話や、こめかみをつかんで相手を引っ張り上げる
所作は強烈な印象として残る。
馬場の顔に鉄の爪を入れようとするエリック。馬場がその手をつかむ。
鉄の爪は10センチ、5センチ、3センチと馬場の大きな顔に近づいていく。
その「演出」にドキドキとしたものだ。
エリックもそこからストマック・クロー(腹への攻撃)に移行したり、
アイアンクローで流血したり、見ごたえがあった。
当然、当時の子供たちはプロレスごっこでも必ず「アイアン・クロー」を真似した。

シリーズのトップレスラーとして、エリックは年に何度か来日する。
その「鉄の爪」を使わせまいと、馬場と猪木が鉄の爪をストンピングで踏み潰す。
もう使えないだろうと思っても、またエリックは鉄の爪でやってくる。

大木金太郎というレスラーがいた。ココナッツ・クラッシュ・・・一本足の頭突きが
得意技だった。大木が「鉄の爪」をつかんで空中で頭突きする。
その様を真似して教室の小学生がやってみるが、相手は痛がらない。
プロレスの「ギミック」に気づいたりもした。

その後、プロレス団体NWAの会長を務めるなどプロモーターとしても成功した
エリックだが、私生活では波乱万丈。団体の消滅、夫人との離婚、
トップレスラーとなった息子たちも、次から次に不幸な最期を迎え、
「のろわれた一家」とも言われた。

みんなすごい体をしていた。エリックの息子。
ダラスが本拠地。肉体をつくらないといけない。
後遺症があったのではないかという声もある。

プロレスラーは肉体を酷使する。またマッチョな肉体を保つために
増強剤を使うなど、彼らの不幸の背景にはいくつかの理由が考えられる。

そうした苦しみ、悲しみと引き換えに我々に与えてくれたリングの上の夢。
我々の心の中で生き続けている古き良きプロレスの光景を思い浮かべるとき、
同時に切ないものを感じるのである。





 
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