3月 8日
■大衆のヒーロー〜貴ノ花利彰■
横綱を超えた大関といっていいだろう。
大関 貴ノ花利彰。横綱若乃花、貴乃花の父である。
全盛期でも90キロ台という小さな体だったが、
足腰の強さは尋常ではなかった。
土俵際での驚異的な粘りは、勝っても負けても名勝負を生み出した。

その象徴的な一番が、72年初場所、北の富士との名勝負。
あの相撲で「かばい手」という決まり手を知ったファンも多かった。
浴びせ倒す北の富士を強引に投げ返そうとする貴ノ花。
北の富士が土俵に手をつくのが早かったが、貴ノ花は死に体であり、
相手の危険を防ぐための「かばい手」により北の富士の勝ちとなった。

その足腰の強さは先天的なものに加えて、水泳(バタフライ)でオリンピックを目指すほどの
選手だったこともあるだろう。
小さな体で「吊り」を得意とした。自分より30キロも重い相手を吊り上げていた。
強靭で柔軟な体を持っていればこそだった。
あの体はステロイドで作れるようなものではない。

体重別のないのが相撲の良さだが、もしも相撲に階級があったら、
貴乃花は間違いなくその階級のチャンピオンとなっただろう。

幕内では二度の優勝があった。いずれも当時最強の横綱・北の湖との
二度の優勝決定戦を制した。
館内も99%が貴乃花を応援していた。
モハメド・アリは「フォーク・ヒーロー」と呼ばれた。つまり、大衆のヒーローである。
日本では貴乃花が「大衆のヒーロー」だった。
大衆の中にあって、大衆とともに戦い、大衆とともに勝利を喜んだ。
決して強すぎない「クンロク大関」、つまり9勝6敗の多い成績だからこそ、
優勝したときのファンの喜びも大きかった。

自らは史上初の兄弟横綱とはなれなかったが、二人の息子を兄弟横綱に育てた。
藤島親方、二子山親方となってからも現役時代同様、寡黙な人だった。
彼も求道者タイプである。妥協を許さない人でもあった。
二宮氏が「若い力士の育て方」についてたずねても「辛抱です」の一点張り。
自らの力士としての歩みがまさに「辛抱」だったのだろう。





 
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