4月21日(日)の放送では参議院議員の青山繁晴さんをお迎えして
「子供の頃」についてお伺いしました。
淵澤 まずはおふたりのご関係は?
自見 平成28年の夏、参議院選挙に当選した同期生です。
青山 まだ一回生の同級生。
淵澤 簡単に青山さんのプロフィールをご紹介します。
青山繁晴さん。1952年、神戸市のお生まれ。
共同通信、三菱総研を経て日本初の独立系シンクタンク
「独立総合研究所」の社長に。
そして2016 年、独立総合研究所の社長を退任され、参議院選挙に当選。
主な著作に『ぼくらの死生観』『壊れた地球儀の直し方』
純文学の『平成紀』などがあり、いずれもベストセラー。
そして先月の28日飛鳥新社より最新刊『不安ノ解体』が発売されました。
自見 この番組は、毎回ゲストの方に「子供の頃」のお話をお伺いしています。
青山さんは子供の頃、どのようなお子さんでしたか?
青山 僕は古い家の3人兄弟の末っ子でした。
幼稚園の、記憶にない頃から、
親から「お兄ちゃんは後を継ぐ。お姉ちゃんは親が決めた人と結婚する。
お前だけはなにもない。ひとりで生きていけ」と。
自見 厳しい!
青山 そう言われていたので、
何でも自分でやらなければならないと思い込んで育ちました。
自見 子供の頃「Z団」というものを作って、お母さまに怒られたそうですね。
怖いお母さまだったんですか?
青山 厳しい。でもどんなお母さんもそうだと思うけど愛情は海より深い。
武家の出身で、背筋の伸びたお袋で。
鷹揚な親父と、厳しいお袋の家庭教育が僕を育てた。
「Z団」というのはね。
蔵の中に戦国時代、ご先祖が使っていた古い刀があって、
それを中庭で振り回してて。桜の木も、紅葉の木も、
みんな枝がなくなっちゃって。
自見・淵澤 (笑)
青山 それで厳しいお袋だから、どれだけ怒られるかと思ったら
「お前、そこに座りなさい」と。これが怖いんだよ。
言われて正座してたら、
「お前、人のためならいつでも刀は抜け。自分のためには決して抜くな。
終わり」とお袋が言ったんです。
淵澤 かっこいい。
青山 そういう風に聞いて育ったから
小学校の半ばぐらいにね。近所の悪ガキ集めて「Z団」を作ったんです。
人助けをするんだと。本当は、はためく旗を作りたかったけど、
小学校の3年か4年だから作れなくて。
画用紙に「Z」って書いて。家にたまたま国旗掲揚台があって。
そこに揚げてたら近所の人から、青山さん家は新興宗教はじめたと。
それでお袋から、解散を命じられた。
子供心に集団でいるのがよくないのかと思って。
ひとりで「なんでも相談所」というのを開いて
門柱のところに「なんでも相談室、こちらです」と書いて「矢印」も書いて
門から入ってくると、子供部屋まで来るようになっていて。
お袋が「あんた、こんなことやってたら、
知らない人がいっぱい入ってくるやないかい」と。
実際、いっぱい入ってきて。
自見・淵澤 (笑)
青山 でも「独立総合研究所」を作った時にね。
お袋が「お前、これZ団やな」と。
シンクタンクなんで、よろず相談所みたいなものです。