9月30(日)放送の番組では、障害者施設を中心に事業を行う社会福祉法人、旭川荘の末光茂理事長をお迎えして、お医者さんを目指されたきっかけについて、お伺いしました。
自見:私は小児科医なんですが、
末光先生は障害児の領域に長年関わって下さっていて、
日本の中でも先駆的、父親的存在です。
淵澤:まずは簡単に末光さんのプロフィールをご紹介します。
1942年松山市生まれ。
67年に岡山大学医学部をご卒業され、
旭川荘の旭川児童院に児童精神科医として勤務。
88年旭川児童院の院長、
そして2007年から旭川荘理事長に就任。
また、中国・上海市第二社会福利院名誉院長なども
務めていらっしゃいます。
自見:末光先生がお医者さんを目指そうと思ったきっかけから、
お聞かせください。
末光:高校2年生の時に急性腹症になりました。
当時はCTやMRIがない時代。
最初、胆石の疑いで、胆のう造影のために、
静脈注射を打ったところ、
アナフィラキシーショックで
血圧は下がり、心臓も停止に近い状態になりました。
淵澤:アナフィラキシーショック、怖いと聞きますよね。
末光:その時に医者の仕事を目の前で見て、
志すようになりました。
自見:ちょうど進路を決める時期ですものね。私、末光先生は
小児科の先生だとばかり思っていたんですが、入局されて
いたのは、精神科だったとお聞きして驚きました。
末光:小児科医になるか、精神科医になるか、迷っていました。
自見:その中である方の講演を聞いたのがきっかけだそうですね
末光:大学3年生の時に江草安彦先生
(旭川荘の2代目理事長)の講演を伺いました。
当時、江草先生は、中四国で初めての重症心身障害児の
施設を作るために全国で講演をされていました。
私が「何かお手伝いすること、ありませんか?」と尋ねる
と江草先生「いらっしゃい!いらっしゃい!」と(笑)。
自見:そこから末光先生の障害児に関する取り組みが具体的に
始まっていくことになるんですね。