12月31日(日)の放送では、榊原郁恵さんにアイドル時代のお話をお伺いしました。
尾木 芸能界デビューした時には、ホリプロの寮暮らし、いかがでしたか?
榊原 かなり快適でした。
普通二十歳ぐらいになったら、寮から出るんですが、
私の場合、居心地が良すぎて23歳まで居ました(笑)
尾木 お母様は芸能界入り反対だったそうですね。
榊原 母は平凡なことが一番難しいと、よく言っていて。
女の子として普通に恋愛して、結婚して、幸せになっていく、
そんな気持ちで、私と接してくれていたんじゃないかなと、
思います。
尾木 そしてお父様は、
ホリプロの会社によく顔を出されていたそうですね。
榊原 父は菓子折りをもって、榊原郁恵をよろしくお願いします、と。
お世話になっています、と。
そしてたまに家に帰ると、私に頂いたファンレターの返事を書いていて。
「郁恵、ここにサイン書け」って。
サインをコピーして、写真を入れて、
宛名を手書きで書いているんです。
尾木 マネージャーさんみたいですね。
榊原 でも私は生意気で。しかも17歳ぐらいって父親が煙たい存在。
私はひとりで芸能界、頑張る!って思って、
お願いもしていないのに応援してくれている
両親に対して距離を置きたくて。
淵澤 デビューから3年後に、お父様が他界。
それ後、ピーターパンが始まるんですよね。
榊原 そうです。ピーターパンは飛んで歌うミュージカル。
父がそばにいるような感じがして、安心感がありました。
手を合わせると、父が「大丈夫」と言って
送り出してくれるような感じでした。
父に支えてもらって、きょうも飛べた、そんな想いでした。