2月27日(日)の放送では自由民主党・参議院議員の三原じゅん子さんに子供の頃のお話を伺いました。
自見 三原じゅん子先生は東京都の板橋区のご出身。
お父様、お母様、そして3歳年上のお兄様の4人ご家族。
とにかく「人見知り」だったそうですね。
三原 しゃべらない、笑わない、感情を表に出さない。
二人 えー--(驚)
三原 大人を観察する子供だったらしいです。
淵沢 ご両親は心配されたんじゃないですか?
三原 そうですね。子供らしさを植付けるために児童劇団に入れて。
人前でちゃんと発言できたり、
子供らしさなどをしっかりと。
自見 劇団で「責任感・使命感・協調性」を学ばれたそうですね。
三原 その児童劇団が自主公演の舞台を年に3本ほど、
やっていました。
そうすると自分が遅刻したり、失敗すると
迷惑をかけるということを学びました。
とても厳しい劇団で、毎日3時間正座。
私語などしたら、今では絶対してはいけない体罰もありました。
自見 15歳の時、ドラマ『3年B組金八先生』にご出演されました。
当時の学園ドラマでは珍しい「不良役」をやることに。
演じてみて、いかがでしたか?
三原 当時、山口百恵様が好きで、百恵様をイメージして演技しました。
自見 その後、歌手デビュー。
我々視聴者からは順調に活動されているように見えましたが
実は当時、体調を崩されて大変だったそうですね。
三原 そうですね。歌だけのアイドルではなく
プラスで、ドラマを主役含めて2本掛け持ちしていました。
寝る時間が1時間、2時間ではなく、なかったんです。
二人 えー--(驚)
三原 着替えたり、シャワーを浴びたりするために、
家に帰るだけで、すぐにまた出ていかなければならない。
それをずっと続けていたら、心も身体も・・・。
当時は「パニック障害」という名称がなく、
自分でも何がなんだかわからず。
自見 そうなりますよね。今の感覚でいうと過重労働ですものね。
しかも主役のプレッシャーもありますものね。
三原 視聴率が悪ければ主役のせいですからね。
自見 十代から過酷なプレッシャーを、
凄いご経験ですね。
この番組ではゲストの方に、想い出の本についてお伺いしています。
三原 野田 聖子さんの『私は、産みたい』です。
それを読んで、政治家になりたいなと思い、
野田聖子先生のところの門を叩きました。
子供を産めない辛さを、誰よりもわかってくれるんじゃないかなと思えた。
そういう政治家が日本にいたんだと、心強く思い、衝撃的でした。