5月16日(日)の放送では参議院議員の山田太郎さんをお迎えして「子供の頃」について伺いました。
自見 子供の頃はお母様と当時秋葉原にあった「交通博物館」
に行ってレストランに行くのが楽しみだったそうですね
山田 母子家庭で、一人っ子。鍵っ子でした。
月に1回か2回、母親と「交通博物館」というよりも
その前にある肉の万世で、ハンバーグ定食を食べるのが
めちゃくちゃうれしくって。
自見 小さい頃の太郎先生が目に浮かびますね。
特にお母様との貴重な時間だったということですから
なおさらですよね。
子供の頃、なりたかった職業は?
山田 自見さんの仕事、医者です。
小学校の時、ヘルニアで手術をしたんです。
当時、病室って壁が薄く、
病院で亡くなった方の遺族の方が「先生、何とかしてくだ
さい」という声が聞こえてくるんです。
「ご臨終です」っていう言葉以外、
何かかけられる言葉があるんじゃないかと。
一緒に悔しくなってしまって。
それで医者になりたいと思っていたんですが
成績が足りず断念をしました。
淵沢 大学時代は、ラジオ番組の制作をやられていたとか?
山田 大学は何年か留年を繰り返していて。
表の1年の時、某ラジオ番組のディレクターみたいなこ
とをやってまして。
月曜から金曜まで夜10時から1時間。
制作側、そして金曜日は自らしゃべっていました。
自見 大学生で?信じられないですね
淵沢 きっかけは?
山田 番組開始当初、ゲストで呼ばれたんです。
番組が面白くなかったんで
「面白くない!」とディレクターに言ったんです。
で、どうしたら面白くなるの?と聞かれたので
「僕に任せてください」と言って、
先にお金もらっちゃったんで
やるはめになっちゃったんです。
2人 (笑)