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2017年12月26日
視覚障害者柔道・正木健人選手 (1)

今回のゲストは視覚障害者柔道の正木健人選手です。

(写真)東京2020パラリンピック1000日前イベントに出演した正木健人選手。視覚障害者柔道のデモンストレーションも行われた。

 

現在、身長190cm・体重155kg。
小さい頃から体格が良く、相撲やバスケットボールをやっていたという正木選手は、小学6年生の時にはすでに身長は180cm、体重も100kgあったそうです。

中学に入ってからもバスケットを続けたいと思っていましたが、まわりの走るペースについて行けず、きついと思っていた時に、柔道部にいた幼なじみの先輩から誘われて、柔道を始めることになりました。
初めの1〜2か月は受け身の練習だけ、最初は体重が半分くらいの先輩にも簡単に投げ飛ばされていたといいます。
それでも、柔道が楽しくてしょうがなかったという正木選手はめきめきと力をつけ、中学最後に出場した全国中学校体育大会では自分でもびっくりする程勝ち進んでいき、準優勝に輝きました。

 

その後、柔道の名門・神戸の育英高校から声がかかり進学をしますが、いざ高校に入ってみると、練習量は中学時代の3〜4倍。掃除も洗濯も自分で全部しなければいけない初めての寮生活にホームシックも重なって、入部一週間で「辞めたい」と言いにいったそうです。
「高校時代の3年間は常に辞めたいと考えていた」といいますが、それでも最後までやり通し、大学も柔道が盛んな天理大学へと進みました。

 

天理大学柔道部の監督は子供の頃から憧れていた、シドニーオリンピック銀メダリストの篠原信一さん。
大学ではその”篠原先生”に直接稽古をつけてもらい、来る日も来る日も篠原さんは20〜30分の稽古をずっと続けてくれたといいます。
『逃げるような柔道は絶対にするな、常に前に出て勝ちに行け!執念を持って勝ちをもぎ取れ!』というのが篠原先生の教え。
「篠原先生のおかげで力も強くなったし、今までの指導者の中で一番身を以て指導してくれた方」だと正木選手は語ります。

 

大学4年になり就職について考えていた頃ーー。
警察の機動隊に入って柔道を続けたいと思っていましたが、その頃の視力では試験には受からないことを知り進路について悩んでいました。
そんな時、盲学校で柔道を続けてパラリンピックを目指さないか、という話を受けます。
進学先もみつかって、しかも柔道もできる。
すぐに決断して、そこから視覚障害者柔道を始めることになりました。

 

視覚障害者柔道が一般の柔道と違うところは、組み合った状態から試合が始まること。
大学時代、毎日のように稽古をつけてくれた篠原先生もしっかり持ったところから始めるのが好きで、さらに、天理大学の柔道のスタイルも、しっかり持って一本を取りにいくというもの。この柔道が染み付いた正木選手にとって、組んでから始まるという視覚障害者柔道のルールは最高だったと話します。

 

そして、パラリンピックの舞台に立った正木選手はロンドン大会で金メダルを獲得しますが、その話は次回お送りします。お楽しみに。

 

正木健人選手のリクエスト曲: Moment  /  SMAP

ロンドンオリンピックの時の思い出の曲。
ロンドン五輪に直属の先輩が出場しており、この曲を聴くと、学生時代に自分たちの何倍もきつい練習をやっていたその先輩のことを思い出すそうです。

2017年12月19日
陸上・高桑早生選手 (2)

陸上の高桑早生選手を迎えてお送りした第2回目。

 

高校から陸上を始めた高桑選手の専門は、短距離(100m、200m)と走り幅跳び。
2年生の時に出場した自身初の国際大会・アジアパラユース大会では100mと走り幅跳びで金メダルを獲得し、トップアスリートへの階段を上っていきました。

 

一瞬で結果が決まる短距離レースですが「うまくいくレースはスタート前から集中していて、走っている間何も考えてない」といいます。
決勝に進むとレース前に選手が紹介されますが、レースに向けて集中し緊迫する中で、その時間が唯一肩の力を抜いてリラックスして大会の雰囲気を楽しむ瞬間なんだそうです。

 

高桑選手はこれまでパラリンピックにはロンドンとリオの2大会に出場しています。
初めてのパラリンピックとなったロンドン大会は「何も背負うものがなく、チャレンジャー精神、当たって砕けろという気持ちで臨んだので、大会自体の雰囲気だったりお客さんの歓声を全身で楽しみながら、ただひたすら走った大会だった」と振り返ります。
走り幅跳びは残念な結果に終わりましたが、メインとしていた100mと200mでは決勝まで進み入賞を果たすことができ、当時の自分としてはよくやったと思うと同時に、次は4年間しっかり準備したいという思いが強くなった大会となりました。

 

それから4年。
学生から社会人となり”アスリート・高桑早生”として挑んだリオ大会。
ロンドン大会の時にはなかった「4年間しっかり準備した」という手応えとともに2度目のパラリンピックに臨みました。
100mと200mの予選で自己ベストを更新、100mでは13″43というタイム(予選)でアジア記録を塗りかえ8位入賞を果たしました。そして、200mで7位、走り幅跳びで5位に入賞し大会を終えました。

リオ大会を改めて振り返ると、もっとこうすればよかった、ここまで4年間あったんだからもっとでききたのではないかという思いは残ったものの、「大きな舞台でひとつ大きな記録を残せたというのは、自分にとって大きな自信になったし、まだまだ行けるなと感じた大会」となりました。

 

昨年のパラリンピックイヤーを終え、“東京”までの新たな一年となった今年 2017年は、いろいろなことに挑戦しつつも、自分がアスリートとして良くも悪くも安定してきたと感じる一年だったと話します。
100mでこれまで一生懸命調整しないと出なかった13秒台前半というタイムをコンスタントに出せるようになり、落ち着いてレースに出られるようになって『安定』を感じる一方で、「(次のステップへの)突破口がない、何か突き抜けるものが自分には足りない」と思う一年にもなりました。
そして、来年2018年は、もっともっと記録に挑戦して、いろんなことにチャレンジしていき『突き抜けた一年』にしたいと抱負を語りました。

 

その先にある東京2020大会に向けては「(出場できたら)3回目のパラリンピックになるので、しっかりわかりやすい結果、具体的にはメダル獲得を目指して頑張りたい。28歳で東京大会を迎えるので、20代最後、20代めいっぱい好きなことをやってきた中でひとつ終止符みたいなものを打ちたい」と想いを寄せました。

 

最後に、高桑選手が上をめざして進もうとする方に伝えたい『“Going Up”な一言』を伺いました。

『初志貫徹』

“初志”とはパラリンピックのこと。中学2年の時の担任の先生に「パラリンピック目指して頑張ってね」という思いが込められたこの言葉をもらい、今でもすごく大事にしている。最初の“志”がパラリンピック出場だったので、パラリンピックという舞台に挑戦し続けるこれからでありたい。競技を始めた頃は(パラリンピックは)夢物語だったけど、頑張ったその先にそういう舞台があると思うと、今頑張ろうという気持ちになる、とこの言葉に込められた意味を話してくれました。

 

高桑選手にとって飛躍の一年となるであろう2018年、ますます目が離せませんね。
Going Upはこれからも高桑選手を応援します!

 

次回のゲストは、視覚障害者柔道の正木健人選手です。どうぞお楽しみに。

 

高桑早生選手のリクエスト曲: V.I.P  / シド

2017年12月13日
陸上・高桑早生選手 (1)

今回のゲストは、義足のスプリンター・陸上の高桑早生(たかくわ・さき)選手です。

 

11月29日、東京2020パラリンピック開幕の1000日前となったこの日は、日本各地で記念イベントが開催されました。

東京スカイツリータウンでは、東京2020パラリンピックカウントダウンイベント『みんなのTokyo 2020 1000 Days to Go! 』のセレモニーが行われ、高桑選手はアスリート代表として出席しました。(※写真向かって一番左が高桑選手)

 

他の競技からは、(※写真 高桑選手を置いて左から)バドミントンの豊田まみ子(とよだ・まみこ)選手・車いすバスケットボールの古澤拓也(ふるさわ・たくや)選手・水泳の一ノ瀬メイ(いちのせ・めい)選手・柔道の正木健人(まさき・けんと)選手が登壇し、『1000 days to go! わたしの参加宣言』と題して東京2020大会への意気込みが紹介されました。

 

高桑選手の『わたしの参加宣言』は “すべての人へ感動という東京土産を” 。

高桑選手にとっての“東京土産”はメダルを意味しており、東京2020大会でメダルを持って帰りたいという思いが込められています。

 

高桑選手が陸上を始めたのは、高校1年生の時。

中学1年で義足の生活になり、それまでテニスやいろいろなスポーツをやっていましたが、高校に入学して環境が変わる中で何か新しいことを始めてみたいと思ったそうです。

その頃、たまたま義足で陸上をやっている人がまわりにいて、(競技用義足で走るってすごくかっこいい、自分も挑戦してみたい!)と思い、陸上競技部に入ったのがきっかけとなりました。

 

パラスポーツでは、障害の種類や度合いによって「クラス分け」されているのが特徴のひとつでもありますが、陸上は特に細かくクラス分けされています。

高桑選手のクラスは『 T44 』

陸上はトラックとフィールド競技に分かれますが、このアルファベットのT はトラック競技(走る動作が入る種目)を意味します。数字の部分は障害を表しており、40番台は切断・欠損の選手たちのクラスであること、一の位は障害の程度を表しますが(数字が小さい程障害が重い)44となると片方の膝下切断や欠損、主には片足(下腿)義足や片足欠損のクラスとなります。

 

高桑選手の場合は、膝から下の(下腿)切断ということで、ブレード(板バネ)と呼ばれる競技用義足を履きます。
L字型の板の部分はカーボンとグラスファイバーの合成繊維でできており、足を入れるソケットと呼ばれる部分は樹脂とカーボンを注型して作られます。選手それぞれの足のサイズや形に合わせて作られるため、その選手しか履くことができません。

耐久性は板の部分でだいたい1~2年。積層で(繊維を重ねて)できているため、1年も経つと剥離したり剥がれて硬さが変わってきてしまい、パフォーマンスに影響が出るんだそうです。

 

初めて競技用義足を間近で見て持ってみた鈴木亮平さんの第一声は「重い」

板の部分は思ったよりガッと反りが入っていて面積も大きくみえたというのが鈴木さんの印象。カラーリングや素材感、カーボンの細かい模様も入っていて“かっこよかった!”と感想を述べていましたね。

ぜひ、リスナーのみなさんも競技場に足を運んで、“かっこいい”競技用義足に注目してみてくださいね!

 

※高桑早生選手のリクエスト曲: 7 colors / Acid Black Cherry

遠征先などで、ワクワクしたい時によく聴く曲。海外に行って寂しくなったり、試合に向けて自分の気持ちを奮い立たせる時に音楽の力をよく借りるそうです。

 

次回も、陸上の高桑早生選手をゲストに迎えてお送りします。お楽しみに!