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2018年1月23日
義足のハイジャンパー・鈴木徹選手 (1)

今回のゲストは、昨年ロンドンで開催された世界パラ陸上・走り高跳びの銅メダリスト、鈴木徹選手です。


2000年に日本人の義足アスリートとしては初めてパラリンピック出場(シドニー大会)を果たし、アテネ、北京、ロンドン、リオと、5大会連続で出場しています。

 

鈴木選手のクラスはT44(片下腿切断)、義足を履いて競技を行います。

跳び方に注目してみると、走り幅跳びではほとんどの選手が義足で踏み切るのに対し、走り高跳びでは義足ではない健足で踏み切ります。

理由は、背面跳びの「回転しながら背中で跳ぶ」動きに義足だと対応ができないため。

幅跳びの場合は助走して前に跳ぶので走った延長でいけるのですが、高跳びは、ねじって上に行くためブレーキが必要で、ブレーキをかけながら回転していくのに、自分の体はねじれても義足はねじれないので難しいといいます。

義足での踏み切りを試したこともあるそうですが、膝のあたりが痛く、記録も1m40くらいしか出なかったそうです。

 

アテネパラリンピックでは、競技用義足ではなく生活用の義足で試合に臨みました。

競技用に比べて日常生活用の義足は少し重く反発も少ないですが、世界で初めて2mを跳んだアメリカの選手が生活用の義足を試合で使っていて、自分もそれをやってみようとチャレンジしました。

そのチャレンジは失敗に終わったものの、そういう試行錯誤と人知れぬ努力により、2006年には義足の選手としては世界で2人目の2mジャンパーになりました。

 

スポーツ少年だった鈴木選手は、小学校でバスケットボール、中学高校とハンドボールに励み、高校では国体3位という成績を収めています。

高校卒業を目前に控え交通事故に遭い、リハビリの後、義足でハンドボールを続けようとしましたが、いろんな方向に動かなければいけない球技は義足では難しくうまく走れなかったそうです。

そんな時、過去に経験があったジャンプをやってみたら記録がでて、走り高跳びへの転向を決めました。

全く違う競技への転向だと思われがちですが、バスケットもハンドボールも”ジャンプ”という要素を取り出したら一緒。 “ジャンプ”だと、全部筋が通っているといいます。

野球やサッカーにハマらなかったのも「ジャンプが少なすぎる」から。

”ジャンプだったら努力ができる人間”だと、自己分析します。

 

助走、踏み切り、ジャンプ。宙に浮いてバーを越えマットに沈む、走り高跳び。

試合中、スタートを切ってからは何も考えていないんだそうです。

あれこれ考えて意識した瞬間に体が違う動きをしてしまうので、スタート前に跳躍のイメージを作ったら、あとはそこに自分の意識を乗せていくだけ。

地面から突き上げられフワっと浮いて、気付いたらマットの上・・・

その、下からドーンと突き上げられるような力を受けるのが最高の瞬間で、気持ちよく、楽しく、快感だと、魅力を語ります。

さらに、タイミングがずれるとフワッとした感覚は味わえないといい、その感覚が毎回出ないのがまたいいところ、記録も大事だけどそれを作り出すことが一番大事なんだとこだわりを教えてくれました。

 

鈴木徹選手に話を伺う中で、ひときわ鈴木亮平さんが共感したのは、日本人初『義足のプロアスリート』への道のり。

当時まだ知名度が低かったパラリンピックやパラスポーツを知ってもらいたいという使命感、そして「どうしてもスポーツ選手になりたい」という思いに迷いはありませんでした。

すでにプロとして活躍していた車いすアスリートの先輩にアドバイスをもらいながら、プロフィールの冊子を作ったり、過去の新聞記事や映像で資料を作って、大学4年生になると、毎日5社ずつ電話をしたり、広報にメールをして、アタックしました。

ほとんどの会社で断られながらも100社以上にあたり、会ってもらえたのは5社くらい。その中の3社からサポートをしてもらえることになりました。

何度も心が折れそうになったという鈴木徹選手は、最後に「ずっとやっていれば理解してくれる方もいるということがわかった」と当時を振り返ります。

自分も俳優になりたくて50社くらいの芸能事務所や制作会社をまわった経験がある鈴木亮平さんの心にこのエピソードは響いたようです。

 

 

鈴木徹選手のリクエスト曲: I Want It That Way / バックストリートボーイズ

1999年に発売されたアルバム『ミレニアム』に収録されている一曲。

1999年2月に交通事故に遭い、このアルバムがリリースされた頃はリハビリの時期だったという鈴木選手が勇気づけられた一曲。ふだん洋楽は聞かなかったそうですが、この曲がかかってきてなんかいいなと思い、その後コンサートにも行ったそうです。

 

次回も義足のハイジャンパー・鈴木徹選手をゲストにお迎えします。どうぞお楽しみに!

2018年1月23日
平昌2018パラリンピック 日本代表選手団発表!

日本パラリンピック委員会は、1月22日、3月9日から韓国で開催される『平昌2018パラリンピック冬季競技大会』の日本代表選手団の第一次発表を行いました。

 

日本選手団は、選手 33 名 、ガイド 1 名 、スタッフ 46 名(コーチ・役員・本部役員)の総勢80 名 です。

団長は大日方 邦子氏、副団長は 中森 邦男氏が務め、

主将にはアイスホッケーの須藤 悟選手、旗手にはアルペンスキーの村岡 桃佳選手が選ばれました。

 

日本選手団・選手の紹介です。

<アルペンスキー>

狩野 亮 (かのう・あきら )、鈴木 猛史 (すずき・たけし)

髙橋 幸平( たかはし・こうへい )、森井 大輝 (もりい・たいき)

本堂 杏実 (ほんどう・あんみ) 村岡 桃佳( むらおか・ももか )

 

<クロスカントリー / バイアスロン>

岩本 啓吾 (いわもと・けいご )、川除 大輝( かわよけ・たいき )

佐藤 圭一 (さとう・けいいち )、 高村 和人 (たかむら・かずと)

新田 佳浩( にった・よしひろ )、星澤 克 (ほしざわ・まさる )

阿部 友里香 (あべ・ゆりか )、出来島 桃子 (できじま・ももこ)

 

<スノーボード>

小栗 大地( おぐり・だいち)、成田 緑夢 (なりた・ぐりむ)

 

<アイスホッケー>

安中 幹雄 (あんなか・みきお )、石井 英明 (いしい・ひであき)

上原 大祐 (うえはら・だいすけ)、 熊谷 昌治 (くまがい・まさはる)

児玉 直( こだま・なお)、塩谷 吉寛( しおや・よしひろ)

柴 大明 (しば・たいめい )、須藤 悟 (すどう・さとる )

髙橋 和廣 (たかはし・かずひろ)、中村 稔幸 (なかむら・としゆき)

南雲 啓佑 (なぐも・けいすけ)、 廣瀬 進 (ひろせ・すすむ)

福島 忍 (ふくしま・しのぶ)、堀江 航 (ほりえ・わたる)

三澤 英司 (みさわ・えいじ)、望月 和哉 (もちづき・かずや)

吉川 守 (よしかわ・まもる)

2018年1月15日
長野パラリンピック金メダリスト・マセソン美季さん (2)

マセソン美季さんをゲストに迎えてお送りした第2回目。

東京2020パラリンピックの成功とパラスポーツの振興を目的に設立された『日本財団パラリンピックサポートセンター(通称:パラサポ)』のスタッフでもいらっしゃるマセソンさん。

今回は、マセソンさんがマネージャーを務めるプロジェクトについて伺いました。

 

そのプロジェクトとは、国際パラリンピック委員会公認のパラリンピック教育プログラム「I’m POSSIBLE(アイム ポッシブル)」

Impossible(不可能な)という単語に「 ‘  (アポストロフィー)」をつけると、I’m possible(私はできる)に変わるように、「不可能 (Impossible) だと思えたことも、ちょっと考えて工夫さえすれば、何でもできる (possible) ようになる」というメッセージが込められています。

障害のあるアスリートを見る時、できない部分ではなく、彼らの魅力やすごいところに目を向け、可能性を追求する・・・そういうことから共生社会を構築するための考え方を育んでもらいたいという思いで作られました。

 

マセソンさんは国際パラリンピック委員会の教育委員を務めており、教材の開発にも携わっておられます。

2012年のロンドン大会時には、オリンピック・パラリンピックの価値をベースにした「Get Set(ゲットセット)」という教材が大成功を収めましたが、それをぜひ東京大会に向け日本で、そして世界でもということで、先に英語版が制作され、昨年の2月に日本版が発表されました。

日本の教育現場に合うように改良された日本版は、小学校の授業で活用してもらうため45分(1時限)の授業が4回できるように編集されてされていますが、小学校だけではなく、中学・高校・大学・一般と、幅広い年代の方々に伝えられています。

今後も教材の制作は続き、2020年までに追加の授業セットが順次公開されます(2019年までに15授業分が完成する予定)。

 

教材は大きく分けて「パラリンピックの価値」と「パラスポーツ」の2つのテーマに沿って構成され、教室で行う座学とパラリンピック競技を体験する実技の2種類があります。

現在、公開されている授業内容は・・・

「パラリンピックって何だろう?」(座学)
「パラリンピックスポーツについて学ぼう!」(座学)
「シッティングバレーボールをやってみよう!」(実技)
「ゴールボールをやってみよう!」(実技)の4授業分。

授業を通して、楽しい!と感じることで興味を持ってもらい、実際に体験することによる“気づき”という部分を大事にしているといいます。

授業を行う教師用にハンドブックや授業ガイドも用意されていて、パラリンピック教育を受けていなくても、そして、選手などの経験者でなくとも子供たちに教えられるように教材が用意されています。

パラリンピック教育は、東京大会が行われる2020年を目指しているわけではなく、2020年をきっかけにそれ以降も続けていってほしいというのが教材制作にも携わるマセソンさんの願いです。

 

最後に、マセソン美季さんが上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Up”な一言を伺いました。

『道がなければ、作ればいい!』

「前例がありません」「今までこういうことをやった方がいらっしゃいません」と断られることがあったり動くのに躊躇される事があったりするけれど、だったら作ればいいんじゃない、今までやった道を歩いていくだけではなく新しい道を作ってもいいんじゃないかと思う。この言葉を常に頭に置いて、新しいことを開拓していきたいといつも思っていらっしゃるそうです。

 

マセソン美季さんのリクエスト曲:セント・エルモス・ファイアー / ジョンパー

だんな様と好きな曲が偶然一緒で、結婚した後にふたりで同じCDを持っていたそうです。

この曲は、元車いすバスケットボールの選手で1980年アーヘン(アーネム)パラリンピック陸上・車いす800m金メダルをはじめ、パラリンピックで6つのメダルを獲得したカナダ人のリック・ハンセンさんが車椅子で世界一周した時に応援歌だった曲。障害のある方に対する認識を変えたいという想いで世界を一周した彼の応援歌を聴くと、自分も頑張りたい!という気持ちになると、この曲に込められた想いを話してくれました。

 

次回のゲストは、義足のハイジャンパー・鈴木徹選手です。どうぞお楽しみに!