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2018年2月11日
平昌2018パラリンピック 日本選手団情報

日本パラリンピック委員会は9日、平昌2018パラリンピック日本代表に新たに2選手を追加したと発表しました。

 

クロスカントリー / バイアスロン:新田のんの(にった・のんの)選手

スノーボード:山本 篤(やまもと・あつし)選手

 

山本篤選手は、国際パラリンピック委員会・招待枠での出場となります。

これまでに、陸上・男子走り幅跳びで、北京大会(2008)とリオ大会(2016)で銀メダルを獲得しており、平昌大会で夏季・冬季の両パラリンピック出場を果たすことになります。

 

なお、日本選手団は2月26日に行われる結団式のあと、決戦の地・平昌に向かいます。

 

2018年2月7日
パラバドミントン・今井大湧選手 (1)

今回のゲストは、パラバドミントンの今井大湧(いまい・たいよう)選手です。

 

現在、日本体育大学1年生の19歳。

お父様がつけてくれたという名前には「(今井の”井”をとって)井から大きく湧く」、つまり”井の中の蛙にならないように”という思いが込められています。

小学4年生の時にバドミントンを始め、中学生で県大会出場、高校は地元の強豪・イチロー選手の母校でもある愛工大名電で練習に励みました。

 

パラバドミントンとの出会いは高校2年生の頃。

東京2020パラリンピックでバドミントンが正式競技になることが決まり、パラバドミントンという競技があるということを知ったお父さんの勧めで、 地元で開催された大会を見に行ったのがきっかけでした。

「高校生の時、自分の目標はインターハイに出ること。それ以外のことは考えられられなかった」という今井選手は“一回だけ挑戦してみよう”と、第一回日本障がい者バドミントン選手権大会に出場します。

結果は、優勝。

大会が終わり、今度はアイルランドで行われるパラバドミントンの国際大会出場のチャンスが巡ってきました。

出場しようか迷っていたという今井選手。そんな時、部活の顧問の先生の言葉に心を動かされます ー 「パラバドミントンというのは、おまえにしかチャレンジできないことだぞ」

この言葉に後押しされ、国際大会への出場を決めました。

 

初めて出場したパラバドミントンの国際大会 ー その印象は「祭りみたい」

健常者の大会では、勝ち負けというのがすごく大事という雰囲気を感じていましたが、このパラバドミントンの国際大会では、バドミントンだけではなく、海外選手との交流をみんなが楽しんでいて、今井選手もたくさんの選手たちから積極的に英語で話しかけられて驚いたそうです。

そうして少しずつ経験を重ねていき、”一回だけ”から始まったパラバドミントンでしたが、

「気づいたら、いつの間にか違う世界に行ってました」

 

パラバドミントンには、大きく分けて『車いす』と『立位』のカテゴリーがありますが、今井選手のクラスは『立位』のSU5というクラスです。

SU5クラスは、上肢障害(腕の切断や麻痺)を持つ選手たちが入るカテゴリーで、試合は一般のバドミントンと全く同じルールで行われます。

 

今井選手の得意技は、スマッシュ。

177cmとパラバドミントン界の中では背が高い方なので、角度がつくところが強みです。

ただ、(ラジオのトークからも感じられた方がいるかもしれませんが・・・)

「自分からアピールするのは少し苦手」という性格で、コーチからは「球出しが素直でプレーが優しすぎる、ちょっと意地悪になれ」と言われることもあるそうです。

(鈴木亮平さんには”かわいい”、”優しさを感じる”と、とても好印象でした!)

 

そんな今井選手が語るバドミントンの魅力は『ラリーが続くと初心者でも楽しめるところ。たくさんのショットがあるので、それが一つずつできるようになるともっと楽しくなる』

昨年、韓国で開催された世界選手権では、男子シングルス銅メダル(SU5クラス)を獲得した今井選手。

“井の中の蛙にならないように”という名前の通り、大きく、高く、世界に羽ばたいています。

 

次回も、今井大湧選手をゲストにお送りします。

 

今井大湧選手のリクエスト曲:キラーボール / ゲスの極み乙女
試合のウォーミングアップ時など、気分を盛り上げる時にきく曲

2018年2月1日
義足のハイジャンパー・鈴木徹選手 (2)

陸上・走り高跳びの鈴木徹選手を迎えてお送りした第2回目。

 

鈴木選手は、2000年のシドニー大会から、アテネ、北京、ロンドン、リオデジャネイロとパラリンピックに5大会連続で出場していますが、中でも思い出深い大会は、初出場となったシドニー大会だといいます。

会場はオリンピックと同じ、5万人程が収容できる大きなスタジアム。

まわりを見ると自分より体が大きな選手ばかりで、競技を始めて一年足らずの鈴木選手にはどの選手もみんな強く映りました。 「ひとりぼっち」という孤独感の中、場の雰囲気に飲まれ緊張し、ピットにいた時のことはほとんど覚えていないそうです。

高校時代に全国大会の経験はあったものの世界レベルを初めて体験し、「世界の重圧」、そしてスケールの大きさに驚いた大会となりました。

 

それから16年。

怪我に苦しみ、時には引退という文字が頭によぎりながらも続けてきたアスリート人生。

長い競技人生の中でも忘れられない一瞬となったのが、リオ2016パラリンピックでした。

その年の春、パラリンピック本番と同じ会場で行われたテストイベントで、鈴木選手は2m02の自己ベストを跳んでいました。

いいイメージの中「絶好調」で臨んだパラリンピック。

自己ベストを出せるという自信がありました。

しかし結果は、1m95。

「 惨敗 」

“普通に”記録を出していれば、2mを跳べていれば、銅メダルが獲れた…

道半ばで終わり「なんかもう、呆然としてしまった」瞬間でした。

何故だろう・・・何のためにこの4年間頑張って来たんだろう・・・そういう思いが頭からずっと離れませんでした。

 

そしてーーー。

鈴木選手はその答えを、昨年ロンドンで開催された『世界パラ陸上』で見つけることになります。

 

アスリートたちは、本番でいかに自分の力を発揮するかという方法を考えます。

陸上の選手たちはレース直前にコーチも入れない招集所で本番を待ちますが、そのピリピリした空気が耐えられないという鈴木選手は、リオの時、一点に集中するためサングラスをかけ、外の情報を遮断してずっと自分のペースを守ることだけを考えていました。

実はそれが自らを追い込み、窮屈にして、周りを見えなくさせたのでした。

リオ大会ではそれが失敗に繋がったため、どうしようかと思っていた時、鈴木選手はあることを思いつきます。

(1回目の跳躍から観客に手拍子をもらってみよう・・・)

以前、ファッションショーのイベントでお客さんに手拍子をしてもらいながら跳んだことを思い出し、いつもは最後の跳躍や自己記録がかかる時にだけもらっていた手拍子を、一回目からやってみたのでした。

スポーツ観戦に慣れ、スポーツをエンターテイメントとして楽しむロンドンの観客の手拍子に乗って、世界の舞台で2mをクリア。銅メダルを獲得しました!

集中を一点ではなく会場全部に拡げ、観客の力を借りながら跳ぶ。

リオの教訓が生きた大会でした。

 

大きな手応えを感じ迎えた2018年。

鈴木選手は新たなチャレンジをすることを決めました。

走り幅跳びへの挑戦。

義足で踏み切る幅跳びを経験することで、義足の動きや技術を高め、それを助走のスピードや踏み切りなど高跳びに応用することが目的です。

高跳びとは違う「新しい景色」を求めて、鈴木選手は走り続けます。

 

東京2020パラリンピックで目指すのは、金メダル。

「日本語が聞けるのがうれしいです。『頑張れー!』というのが聞こえるわけですから。一番の力ですよね」

大勢の観客の手拍子に乗って、鈴木選手は東京の空へ高く高く跳びます。

 

最後に、上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Up”な一言を伺いました。

『 足一本くらい どうってことない!! 』

足を失い義足での生活となった鈴木選手が、自分のことを「かわいそう」と思っていた時期に奥様から言われたのがこの一言。看護師でいらっしゃる奥様は、目の前で亡くなられた方や、ずっと車いす生活を送る方々を見ている中で、鈴木選手にこう言ったそうです。

その時はイラっとしてしまったという鈴木選手ですが、命が残ったら何でもできるんだということをメッセージとしてくれたことに気づき、今ではすごく心の支えとなっている言葉だということです。

 

鈴木徹選手のリクエスト曲:大切なもの / ロードオブメジャー

昨年の世界パラ陸上の時に、同部屋だった芦田創選手がこの曲をかけていて、この曲が耳に残り、試合中にも頭の中で流れていたそうです。帰国して、この曲をローテーションに入れて今でも聞いているとエピソードを話してくれました。

 

次回のゲストは、パラバドミントンの今井大湧選手です。どうぞお楽しみに!